抜け出したくなる瞬間は?

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  これこそ、私が、幼い時から望んでいた日でした。 父は、私が、4歳の頃、再婚しました。 いまだに、彼女のどこを気に入って彼女と結婚したのか理解し難いのですが、世の中には、相性というものが有るのは、確かです。 幼かったのですが、私は、最初っから、違和感がありました。  そうですね。尻尾を振って、懐いていたら、彼女との関係は、違ってたかもしれませんが。80歳の今になっても、彼女の存在が悪夢として出てきます。 こういうことを言うといけない時代になったのですが、彼女の出生環境は、どちらかと言うと、労働者階級、言葉もラフ、行動も、ちょっと下品でした。そう言う人の下で、24年間いたのですが、不思議なことに、彼女の言葉、動作とかは、私には、影響されませんでした。ところが、母違いの妹は、そっくり母親のママです。

教育は、受けていても、とにかく、私の目からしたら、ちょっと下品、世の中を見る目がいつも、批判的、卑屈的。
ある時お墓参りをしたらそこの村の人に、’ガラの悪い人?は、どうしているのか?と彼女とことを聞いてきました。もちろん、こう言うことは、今の時代では、禁じられていることなんだと理解していますが、人間がいる限り、どうしても、こう言う格差は存在するのです。     何が本当の理由なのかわかりませんが、とにかく、このまま母は、嫉妬の塊の人で、何かというとそのターゲットは、私に向いていました。だから、私は、小さい時から、何をしても嫌味を言われて、私の自信をもぎ取られました。幼い時の親の愛情が、どれだけ人生に影響するかは、世の中で成功しても、いつもこの経験が、大きなトラウマになっていることがわかります。ドラマも、そのテーマがなんと多いことか。
 知らず知らずに、私の人生の目的は、早く家を出ることでした。 父親は、一切相談してくれませんでしたし、彼に泣きついていくことを、私は、しませんでした。
 21歳で、就職しても、当時のお給料では、とても、独立するのは、無理でした。また、その時代は、女が、一人で生活するなんていうと、社会的には、よく見られなかった時代でした。
 そこへ、のこのこを現れたのが、私の前の旦那。   彼は、世界旅行を計画していて、日本が最初の目的地。
女一人で、日本を脱出するほどの勇気がなかったので、彼と一緒に、旅をしたいと思いました。
 愛とか、恋愛とかそんなことより、彼と一緒に、家を出られる!!それのみ。   
 それが、私が、1969年、7月に、日本を脱出した理由でした。
脱出しないで、日本にあのままいて、お見合いをして、日本人と結婚していたら、どんな人生だったのかと時々思う。
旦那とは、考えの違いがすぐに、表面化して、夫婦関係は、最低でした。それでも、継母から逃れているという安心感の方が、
強くて、3人の子育てに夢中になったのが、私の脱出の結果!
 離婚の決断もある意味では、脱出。   思い切って、離婚したことは、いい決断でした。 幸福な離婚!と言っています。
旦那は、数年後に、とってもいい女性に再会して、再婚をしました。 よかった、よかった!
 私の方は? 相手には、恵まれなくて、づっと独身。 でも、いまだに、継母の悪夢から、解放されているという開放感、自由
は、最高です。  幼い時の経験、トラウマは、人間関係に、暗い影を作るので、なかなか難しい。 脱出の日、万々歳!
  脱出したい人は、下方がいい。