そうですね。。もう今から約 60数年の話ですけれど。。中学校の国語の試験に、夏目漱石の’門’についての質問が出ました。

質問は、忘れてしまいましたが、確か、小説の中からの数説があって、それに関しての質問だったとぼんやり記憶しています。

 ただしはっきりいまだに覚えているのが、自分がその質問に関して、チンプンカンプンな答えを書いてこと。

全く何がなんやらで、解らないのだけど、無回答にするのが悔しくて、自分で作り上げた答えを書きました。それがいまだに

恥ずかしいやら、悔しいやら。。。。。。。。   青空文庫という素晴らしいサイトがあって、ちらっと目にしたこの本。

なんとなく60数年も避けてきたこの謎の本。   を読むことにして、700数ページの今やっと200数ベージです。

小説の内容は、まだ淡々と家族の中の様子が描かれて、大して大きな展開は、起きていません。一体何が’門’なのでしょうか?

と推測しながら読んでいます。  何か心理的な展開があるのか?何かの事件が起きるのか? 

 中学校のこの試験以来、自分のチンプンカンプンの解釈をした、’門’

  夏目漱石には、失礼をしました。    私の解答を読んだあの時の国語の先生は、どんな風に、思ったのでしょうか?

なんじゃこれ?  本当の教育は、こういう機会を 逃さないで、先生と生徒が会話をすればいいと思います。それこそ私の書いた答えが、間違いと判断しないで、そこから導かれるのが教育。 国語の試験は、ただその鍵なんだと思います。でも日本の教育は、そこまで行きません。

 カナダでよく感じるのは、答えが正しい、間違っているというより、その人の意見、感情、思考を、大切にします。

正しい答えなんてどこにもないと思います。

 

 人生の中で、引っかかっていたこの出来事。。。。。さあ。今から、’門”がどんな展開になるのでしょうか?

 

ロンドンに旅をした時に、夏目漱石が、滞在していた街を、車の中から、眺めたことがあります。ものすごい田舎町でした。彼は、ロンドンの滞在は、決して楽しんでいなかったようです。 私が思うに、文化の違い、食事の違い、言葉の違い、等々で、初めから神経質で、プライドの高い人のようですから、なかなか馴染めなかったのではと想像します。彼が、岡本太郎氏のような、自由で、

明るく飛び込んでいったら、ロンドン社会も、受け入れたのではと、思います。

 人間には、尻尾を振る人。尻尾を振ってもらいたい人。どちらが、社会では、生きやすいのだろうか?

自分自身は、なかなか尻尾を触れない、だから、引きこもりの生活を選んでいる。尻尾を振る人を羨ましいとは思わないけれど、振ることのよって、社会は、広がるのではとも思う。

 私と継母の関係も、どんなに意地悪をされても、私が、尻尾を振って彼女に対応したら、楽だったのではと思う。 結局は、相性が良くなかったのかも。