九州から、父の転勤で、自分も、福岡支店から、本店に転勤をしてきました。皇居の真前のビルで、窓からは、皇居の松が見えました。今思えばずいぶん、贅沢な環境にいたのだなあと。でもその時は、全くそんなことを考える自分ではなかった。当時は、とにかく継母の環境から逃げたい。それだけ!それしか自分にはなかった。花嫁修行というよりは、仕事が終わってから家に帰る時間をなんとか遅くしようと、お花、お料理、洋裁に、励みました。 やっぱり、なんとなく、九州からという’劣等感’みたいなのが頭の根底にあって、今考えたら、おかしな話だけど、日本には、地方 x 都会、という格差な心理があったと思う。今でもあると思う。

考えれば東京なんて、地方から出てきた人の集まりなのだけど。だから、好きな人が居ても、自分を抹殺していた。 彼は、目白出身。色白な、背の高い、痩せ気味の彼女と、社内恋愛をしていた。 これが、私の最初の失恋経験。 到底、叶う条件を持っていない自分。

 

 

 本店に移って、最初のボーナス。丸の内にある宝石屋さんで、真珠の指輪を買った。リングには、自分の名前を入れた。少しピンク色が輝いて、大事に大事にしている。 多分当時の1万5000円だったと思う。 まだ、$1が、360円の時代。

 数十年前に、ここの宝石店で、5万円の価値があると言われた。 ケースがなぜがボロボロになっているのが気になっていた。

もう購入してからは、50年近くになっているものの。久しぶりに帰国した時に、その宝石店がまだ実在しているのを知って、懐かしく思い。。。訪ねた。 店員さんは、体温が、ないような人間であった。自分の懐かしい思い出話を、表情のない顔をして、聞いてた。 全く感動してなかった。 ケースがボロボロなので、新しいケースを譲ってもらいたいと言ったら、はっきり断られた。 せっかくの思い出に、シミがついてしまった。いまだに、この店員さんは、どんな人生を送ったのかなあと思う時がある。 他人のいい感情に、同様しない人は、体温がない! 冷たい人間には、なりたくない。

 

 もうこれも数十年前の話。。。。成田空港で、免税店をいつもは、素通りするのだけど、なぜかその時は、テイファニーのお店に足が向いた。 自分には、全く関係のない社会だし、また、テイファニーに自分の経済が許してくれる商品なんてないと思っていて、それは、それでと思っていた。  ちょっと恥を感じながら、お店の中の展示品を見ていると、とっても優しそうな感じのいい店員さんが、前に立った。こういうお店には、劣等感を真正面にぶつけてくるような店員さんが多い中で、いかにも、 気さくな女性でした。 恐る恐る、自分は、ただ見ているだけだけど、だいたい$100ぐらいの予算しかないのだけど、ありますか? と初めから期待していない質問をした。 すると、驚くこともなく、ごく自然に、そうですね。。。。と言って、奥の方から、探してくれた。

何十万、何百マンもする商品の中で、一万の商品があることを知っている彼女が、まづ素晴らしいし。。そして、大好きな銀の指輪、そのリングには、テイファニーの、ニューヨークの住所が彫られている、とっても素敵な指輪を見つけてくれた。一目惚れ。

確か$120だったと思う。 今でも、私の薬指には、この指輪をはめている。別にもう結婚はしてないし、恋人もいないけれど、私にとってこの指輪は、恋人より素敵な想いがこもっている。 テイファニーで、朝食を、という映画の中で、ヘップバーンが、同じような経験をしている画面がある。親切な店員さんが、一生懸命に、客の思いを受け付けている場面。

 そして、私は、この店員さんが、その後、いい人生を送っていることを祈っている。

 

人生80年間、私にとって、このふたつの飾りが、大切な思い出。  宝石って、いろいろな思い出を含むものですね。

 結局は、愛されてもらった宝石は、なかったけれど、この真珠と、銀の、指輪は、自分へのご褒美だと思っている。