久しぶりに、ダウンタウンにある図書館に行き、数ヶ月分の、文藝春秋を借りてきた。

街を歩くと、マリアナの匂いが、漂っている。最近は、マリアナを売るお店が、たくさん開店。 随分とお客さんがいるのだろうなあと思う。 違反になる前も、マリアナを吸っている人は、周りにたくさんいた。ある州政府に働いている人のところに行った時には、居間に大きな瓶があって、ぎっしりとマリアナが、詰まっていて、びっくりしたのを思い出す。 

私のマンションでも時々、エレベーターに匂いがする時がある。

 でも、まだまだ法律違反の国がたくさんある。日本もそうだし。このために、仕事を失ったり、名声を失ったり。同じことでも

罪になるのと、ならないのがあるのは、よく理解できない。

 ましてや、人を殺していないのに、死刑になったりする人がたくさんいる。 こんな不都合なことがあっていいのか?

 

今の社会は、男女の関係も、法律が決まってあるけれど、、世界の歴史においても、今の夫婦の関係が、必ずしもただしいとは

言えない時があった。石器時代の人間関係は、サバイバルのため、子孫を残すためだから、家族という形はなかったのだろうし、

平安時代の男女関係も、今の法律では、全て裁かれる。 源氏物語のような形で、男性が家に来たりしたら、今だと大変なことになる。

 明治、大正時代でも、妻以外に、女性関係を持ったとしても、社会が許していたらしい。このように。法律が国によって違うし、時代によっても違うし、、、、、、裁かれた人たちは、違った国にいたこと、違った時代に生きていたことによって、刑罰を受けたことになる。

 法律は、あくまでも、人間社会の秩序を守るために、人間が作っているのだけれど、悪用されているのも法律。

昔、良くても、今は、悪。 今は悪でも、昔は、善。    

 女性が髪を隠してないと刑罰を受ける。  かと言って、夏になると、裸も同然な格好をするこの国の若い子たち。

度肝を抜かれます。 よくあんな格好で、道を歩けるなあ!と、その度胸に感心します。 でも男性の方には、気の毒。

肌を出していて、見るな!という方が、おかしいと私は思う。

 

 スピード違反の罰金は、とても高い。 交通事故を取り締まることで重要なことでもあるのだけれど、時々、隠れている警察官たちを見ると、もっと堂々と違反を捕まえるべきとも思うし、その方法が、疑問に思うときもある。

 

 法律は、人を守るために作られているはづなのに、 人をはめるように、法律を利用する人間がいる気もする。

 

動物の社会を見ていると、強い、美しい、が生き残っている。  人間の社会では、みんなが平等であるように、努力をしているけれど、まだまだ、世の中には、権力を利用しているリーダーが、いる。

 いつになったら、法律がなくても、人間が安心して、生きていかれるのだろうか?

 

マリアナの匂いを嗅ぐ度に、法律の違いを思う。 それこそ、匂いがついて、このまま成田に着いたら、大変なことになるのではと考えたら恐ろしい。