先日、図書館から借りて来た文藝春秋7月号。

 特集で、このタイトル。  素晴らしい物語ばかり。恋する人とは、必ずしも一緒になれない。ならない。

人間関係の複雑性が、この恋物語に、たくさん描かれている。なぜ好きな人とは、一緒にならないで、違う人と一緒になるのかなあ? 田原総一郎と下重暁子の対談がまた興味あった。二人とも社会では、’成功’を遂げた人生。そしてそこには、人を恋すると言う人間の本質を失わなかったのは、素晴らしいと思うし。そこにこと、本物の人間だと私は思う。 どんなに社会的に、成功していても、人を恋する心を失って仕舞えば、意味がないと私は信じる。 この対談の終わりに、89歳の田原氏が、まだまだ恋をしよう!と言ったので、勇気づけられた。

 

 

 自分の人生でも、いろんな人に、恋心を持った。でも告白したことは、一度もなかった。 宇野千代さんが、好きな人ができたら、彼の前で、’好きです”と告白して、振られたら、思いっきりおしゃれをして、買い物に行く!とおっしゃられていました。

なんと素敵な行動か。でも、私には、無理。

 

22、23、24歳の若い頃、同じ会社で、違う課にいる男性に恋をしました。そう3年間。ただただ遠くから眺めていました。

たまたま彼の課の女性と知り合いになった時に、好きな人はいるのか?と質問されて、実は。。。と告白。 彼女は、早速彼にその旨を伝えたところ、すぐに彼から連絡があり、デートに漕ぎ着けましたけれど。。。。私は、クールに行動。ドキドキも何もしませんでした。 彼と多摩川の土手で、お話をしたのですが、私は、トイレに行きたくて、デートどころじゃなかったのを記憶しています。 でも、3年間の恋も、初めの数分で、さっと冷めてしまいました。彼が、最低な人間だったのです。

 歩いている時に、向こうから来た女性が、昔付き合っていた人だと言って、私に隠れるように言ったのです。

彼は、田園調布に住んでいること。学習院に行ったこと。。。。 こんな男に片思いをしていた自分が悔しくて、無駄にした3年間でした。  だからと言って、こう言う失敗をしたにも関わらず、やはり、自分から告白するのは、怖い。

多分、否定されるのが怖いのだと思う。  私は、多分 恋に恋しているのかも。

 

 結婚した相手は、カナダ人。最初から、もちろん積極的にお付き合いを推してきたけれど、初めから真剣なお付き合いを求めてはいなかった。 お勤めしていた会社には、何千人もの男性がいたけれど、一度もお付き合いを言ってきた人はいなかった。これは、ちょっとがっかり。そんなに私には、魅力がないのか?  と言うよりこの会社は、とても保守的で、男性のほとんどは、自分の出世が1番の目的であるから、そう簡単には、声をかけてこない。そう言う雰囲気も持っていた男性がいたけれど、一度もデートのお誘いは、なかった。 寂しく一人で、トボトボと、丸の内を歩いて帰宅についていたあの時代。 その間に、花嫁修行はちゃんとしていました。お茶の水のYWCAで、お料理、会社では、お花、銀座の洋裁学校。  お見合いも2度しました。 東京會舘で、お見合い写真を撮って、1回目は、ネクタイ屋の息子。 最低なデートで退屈だったのを覚えています。個性が一つもない。それでも気に入られて、お付き合いをしたいと言ってきたのは、理解できません。 次は、写真も見せられました。でもその時は、カナダ人とのお付き合いが始まっていたので、お見合いは、終わり。  継母の世界から逃げ出したいと言うのが、私の一番強いモチベーションでした。カナダ人と結婚して、さっさと日本を脱出できたのも、この理由が唯一だったと思います。

 人間的には、全く相性の合わない二人でした。結局結婚19年で、終了。それでも3人の子供たちに恵まれました。

   だから、好きだ、恋だ。って一体なんなのでしょう!

 

 やっぱり忘れられないのは、小学校5年の時の初恋の人。  彼も79歳。お元気でいるかなあ?  どんな人生を送ったのかなあ? 本当に、初恋は、カルピスの味ですね。 お付き合いをしたことはないし、告白もしたことないから、ただただ酸っぱいだけ。  今は、引きこもり生活だから、人に会うことはもうないでしょうし、、、79歳の婆さんが、恋の相手に選ぶ人もいないでしょう。 アジア人が大好きなカナダのおじいさんは、よくいます。それも嫌だしね。。。。

 恋に恋をするしかないのかも。