街路樹の膨大な、マロニエの花びらが、道を埋め尽くしています。 もうすぐ花粉も落ち着いてくれることを祈りながらも、毎日、薬の飲むこの頃。それでも鼻紙は、欠かせない毎日です。

 

 

 

 私も蕾時代があったのかなあ? と、中学校時代を振り返る。楽しい思い出は、残念に思い出せない。

小さい時の環境が、その後の人生にどれだけ影響するかということ。 韓国ドラマも、ほとんどが。幼い時のトラウマが、主人公の人生を。悲観的に影響されているストリーが、ものすごく多い。そのトラウマというのは、両親からの愛情が欠けていること。両親がたとえいても、放棄されている環境。 

 私の逃避場所は、机でした。その小さなスペースは、私にとって、母親の胸元。

 当時、私のその机に座ると、小倉の小文字山が、目の前に見えて、よく眺めていました。今思えば継母自身の悩み、嫉妬の全てが

私の存在に、、ターゲットになっていたのだと思います。 暴言ではなくて、じめじめした嫌味。批判。 何をしても否定されていました。

日本の社会には、人を訂正したくなる習慣があると思います。目上にはしません。自分が、少しでも優に感じる人には、矢継ぎ早に、批判、訂正が、飛び込んできます。 カナダの生活では、経験しないので、久しぶりに、日本に帰るとたん、この習慣に、合います。 ガイドをしていた時も、日本人のグループには、必ず、その訂正をする人がいて、皆さんは、ただ黙って聞いていました。不思議な光景でした。

そうです。 何をしても、訂正されます。声が大きいよ。それは言ったらダメよ。その洋服で外に出るの? そんなことは、日本人は言わないよ。そこに座ったらダメよ。 し〜!!ここはアパートだから、静かに!!等々。途端に子供時代に突き落とされる日本です。まだまだ日本社会から、個人を敬うという文化は、遠い。 こんなことを言うと、私が、あたりを気にしない、大声で喚く人間に聞こえそうだけれど、ごく普通の声だと思います。 カナダでは、いつも声が小さいと言われますけど。

 

  家庭内の継母の愚痴に耐えられないので、小文字山の中にある、メモリアルクロスに登っていた。朝鮮戦争の時の慰霊碑。

 父親に相談しようとして、会社の入り口まで行ったけれど、そこまで、黙って帰ってきた。  毎月のお小遣いで、赤毛のアンを

一冊買うのが楽しみだった。 彼女自身が、うるさいおばさんからの逃避のために、空想の世界に住んでいて、それに共感。

また、文学作品の中の世界に主人公と一緒に生きていった。 

でも実際に自分が、現実逃避からの行動は、できなかった。ただただじっと我慢。

それが今の非社交の性格になったのだろうと思う。別にこれが悪いとは決して思わない。 何となく、安心する。

 夏の昼時。。。机にしがみついている私の横で、継母が、弟の昼寝を、団扇を仰いで添い寝をしていた。 その場面が、今でも忘れられない。 自分には、母親がいなかったので、そういう感情なしに育ったのだけど、その場面で、

何とも言えない感情が、私の内部にうやむやにあるのを感じた一瞬であった。

 自然界のつぼみ。。。。しっかりとどれも、何物も入らないよ!とつぼんでいる。それが開花するのだから、感動。

蕾の中には、もうすでに、昆虫の食べられてしまっているのも数少なくあった。 

 

今日は、次女の46歳の誕生日! 長男が、3週間のメキシコバイクツアーに出発した。 無事な旅を祈る。

長女は、3ヶ月のネーパールの旅から、戻り、いつもの生活に戻っている。

三人とも、大きく開花して、それぞれに人生を謳歌している。 四人の孫たちは、今蕾時代絶好中。頑張れよ〜〜!