人生で、この決断が、いちばん難しいと思う。

ここの人から聞いたことは、結婚生活で、お互いを許せるけれど、忘れることができない!と、ちょっと意味のわからない話を聞いたことがあります。微妙な話。

  最近は、過去のいじめで、いじめた人、いじめられた人が、ニュースになっています。しかもそれが起きたのは、当事者が10代の頃。すでに、いじめた人は、社会で、成功している人たちが、いじめられた人に、ずり下ろされて人生を消滅されている事件。 

これも、今のメデイアが、金儲けに報道することも原因だと思います。  自分達の浮気は、棚上げして、人の浮気をニュースにするメデイアの人たちの醜さをいつも見ます。

 国民性もあります。 島国にいる日本人は、許すというより、忘れる文化?  原爆でも、前向きに、2度とそういうことを起きないようにします。と宣言。でも、パールハーバーでは、絶対忘れない!絶対許さない! のスローガンです。

 キリスト教の教えで、いちばんなのが、赦しです。  でも世の中の宗教色の強い国民ほど、この許しが、難しい傾向にあるのが、不思議です。 世界中の人間同士の戦いは、自分が生まれる前からの、罪を負わされます。それは、’許し’がないから。

世の中で、時々、信じられない美談を聞きます。 息子を殺した若者を養子にしたとか。戦争中の罪を、償うために、自宅の庭に、

悔恨の碑を作り、毎日祈っている人。 実際に、難しい許しの行動を実行しているお話をよく聞きます。

 この世の中から、’許し’が、行き渡ると、平和が来るのでは?

 

  頬を叩かれたら、もうひとつの頰を出せ!  頬を叩かれたら、頬を叩き返せ! どちらが世の中を、平和にする行動でしょうか?

  人差し指で、人の行動を指差すと、残りの3本指が、自分を指します。   私は、これを聞いた時に、本当にそうだと思いました。 誰でも、人の間違いを指差すことは、できません。 報道の記者会見とかで、マイクをむけて、厳しい質問をして吊し上げる記者たちを見てると、罪を犯してない人から、石を投げなさい!と言った、イエスの言葉を思い出します。

 罪人を私たちは、法律で罰します。彼らは、罪を償うために、刑に従います。それでも、その罰則を終えた後も、世間は、いつまでも彼らを自由にしません。だから、高い比率の罪人が、また罪を犯すことになるのです。 私は、彼らが、刑を終えた時には、社会は、許すべきだと、個人的には、思いますけど。

 

 全ての人間は、生まれた時は、無実、無垢、なのですけれど、それから、世の中の荒波に投げ出されて、あざができ、しわが増え、傷が刻まれ、愛されず、愛することもできない、。。。残念ですね。 私の街にも、たくさんのストリートピープルがいます。テント生活をしている人たちがたくさんいます。 彼らのほとんどが、麻薬患者です。彼らを見ると、生まれた時は、どんなに可愛かったのかなあ?と想像する時もあります。 毎日オピオイドという薬で、亡くなる人が絶えません。

 戦争のニュースで、穴の中に、たくさんの死体が捨てられるのをよく見ます。一人一人が、もっと生きたかったと思います。愛した人もいたでしょう。。。家族もいたことでしょう。 

 いつになったら、人間同士が、情愛を持って、生きられる時代が、来るのでしょうか?  人を引きずって、成功してもかならず、幸せな気持ちには、慣れないはず。 完全に、解放され、自由になるのには、いじめた人、騙した人、叩いた人、盗んだ人、

を許さないと得られないのではと思います。  

 動物の世界には、人間よりもっと厳しいと思うけれど、、許すという行動があるのかな?

植物の社会でも、敵に対して、協力して、守ることがあると最近聞きました。 

 私の人生でも許せないことはあります。 許すことの難しを知っています。 多分私自身も、周りに許さない決断をしていたかも。    次女が、私の老後を見るとかいうので、私が、大人しく老婆にナルトは、限らないよ?と言ったら、台所から、木のスプーンを持ち出して、これがあるから!と言いました。彼女が、小さい頃、私が、木のスプーンを何回かお尻に当てたことがあるからです。  老人施設に入る方がいいのかも。