リガ散歩
本日もまずは自由の記念碑へ。
なんだかお花をたくさん持ってる人がいる
昨日までとは警察の数も全然違うし、軍人さんまでいる
時間はあるから何があるのかしばらく見てみるコトに。
何かの式典なのかな⁇
楽器の音と、センターにいる人の声で始まった。
道路脇にいた、花を手にする人達も列の後ろに参加しているし、テレビやカメラマンもいました。
ただ、見れば見る程、なんとなく悲しい気持ちになってくるんですよね。
隣でラトビアの歴史について聞かせるおじいさんがいたり、周りの人の雰囲気で。
実はこの日1月21日はラトビア、とくにここリガにとっては忘れられない日だったのです。
1991年 1月21日 バリケード事件
1980年代、ソビエト連邦の経済崩壊を乗り越え、新しい2つのポリシー「ペレストロイカ」「解放」を実行に移しました。この運動 によりラトビアは独立へと向かいます。「The Popular Front of Latvia」が1988年に設立され、1990年最高評議会選挙で勝利しました。そして5月4日にはラトビア共和国の独立復興宣言を採択されました。しかし、ソビエトはまだあきらめず、1991年リガでバリケードをはって対抗、ラトビアの人々は自国を守るためリガへと向いました。
本日もまずは自由の記念碑へ。
なんだかお花をたくさん持ってる人がいる
昨日までとは警察の数も全然違うし、軍人さんまでいる
時間はあるから何があるのかしばらく見てみるコトに。
何かの式典なのかな⁇
楽器の音と、センターにいる人の声で始まった。
道路脇にいた、花を手にする人達も列の後ろに参加しているし、テレビやカメラマンもいました。
ただ、見れば見る程、なんとなく悲しい気持ちになってくるんですよね。
隣でラトビアの歴史について聞かせるおじいさんがいたり、周りの人の雰囲気で。
実はこの日1月21日はラトビア、とくにここリガにとっては忘れられない日だったのです。
1991年 1月21日 バリケード事件
1980年代、ソビエト連邦の経済崩壊を乗り越え、新しい2つのポリシー「ペレストロイカ」「解放」を実行に移しました。この運動 によりラトビアは独立へと向かいます。「The Popular Front of Latvia」が1988年に設立され、1990年最高評議会選挙で勝利しました。そして5月4日にはラトビア共和国の独立復興宣言を採択されました。しかし、ソビエトはまだあきらめず、1991年リガでバリケードをはって対抗、ラトビアの人々は自国を守るためリガへと向いました。
この運動は「Singing Revolution」と言われ、バルト諸国が自らの独立のために、暴力的な手段や武器を用いずに戦いました。バルト三国の人々が、エストニアのタリンからリガを経由しリトアニアのヴィリニュスまで、手をつなぎ人の輪を形成するといった運動が有名だそうです。
そして、いよいよヒートアップした1月21日、リガ大聖堂前の広場にて、立ち上がった市民のうち五人の犠牲者が出てしまった日なのです。
その後、ロシアでのクーデターが失敗に終わると、民主主義勢力が台頭し、ソ連最高会議はラトビアの独立を宣言しました。独立を取り戻したラトビアは、その後EUやNATOに加盟しました。
参考latvia travelより
先日の石碑は追悼慰霊碑だったそうで、裏面には亡くなった方の名前が彫られていたそうです。
何も知らなかった私達。
何も知らなかった私達。
この式典の内容も、先日の記事に載せた石碑の意味も、知った瞬間とっても複雑な気持ちになりました。
今こうして旅行していられるコトも、美しい街並みも、全てラトビアの人達が守ってきたからなんだなと。
今こうして旅行していられるコトも、美しい街並みも、全てラトビアの人達が守ってきたからなんだなと。
歴史を知る度に思うコトですが、どこの国も、平和のために立ち上がって来た先人には頭が上がりません。
何も知らずに来て、
何も知らずに来て、
色々知って、
少し恥ずかしくなったり…
でも、そうやって感じたコトは忘れないし、こうやってブログに書くコトで、読んでくれた人にもラトビアに興味を持ってもらえたらいいな
可愛らしい建物や街並みに、見所もたくさん!とっても優しい人が多いです
私達は色んな意味で忘れられないリガになりました。
勉強したところで、
さぁーラトビアの皆んなが守ってきた街をもう少し観光です
Art Academy of Latvia
続いてラトビア国立美術館
ここは両方共、外から見るだけ
しばらく歩くとリガの見所の1つアルベルタ通り。
ここは、ユーゲント・シュティール建築が建ち並ぶ通りです。
美術や工芸としてのユーゲント・シュティールとはフランスのアール・ヌーヴォーなどと同じ様式で、人間の頭部や全身像、それに動植物を装飾に用いて、さらに曲線と直線の組み合わせを巧みに取り入れるコトで構成される様式。たびたび「装飾過多」「貴族主義」と批判されるコトもあるそう
ほら、早速
凛々しいお顔が上からこちらを見ています
この辺りのアルベルタ通り・エリザベーテス通りはとにかくこのユーゲント・シュティール建築と呼ばれる建物がいっぱいで、芸術についてはよくわからない私達も見ているだけでかなり楽しい
おもしろいけど、ちょっと怖いもん(笑)
ここは窓の形が可愛いかったな
上おじさんだけど
サッパリに見えても、やっぱり顔ユーゲント・シュティール建築がこんなにたくさん残っている所はヨーロッパの中にもあまりないそうで、リガの旧市街が世界遺産登録されている理由もこの建築群があるからという説も。(ただこのエリア、マップ上だと旧市街外なんですよね)
19世紀末から20世紀初頭に大流行したこの建築様式ですが、民衆が機能性を重視し始めると同時に流行らなくなってしまったそうただ、ちょうどこの時期にリガでは木造建築を建て替えるための建築ラッシュを迎えたため、今でもこの様にたくさんの建物が残っているそうです。
この中で特に数多くの建築デザイン(作品)を残したのは映画監督エイゼンシュタインのお父さんミハイル・エイゼンシュタイン。その当時〝気の狂ったケーキ屋〟と呼ばれていたそうですよ
ほんとおもしろいけど、外観掃除はエライ大変だろうなぁ
近所にあるこのTHE FLYING FROG CAFEもなぜかマップに載ってます
このカエルが有名なのかな外のテラスに置いてあるストーブ⁇ライト⁇が可愛いかったけど、テーブルとイスに雪が積もりっぱなしなので入るのは断念
最後にOrthodox Cathedral 救世主生誕大聖堂へ。
1884年頃のキリスト降臨の正教会。ネオ・ビザンティン様式。
先に通ったアカデミーの並びにあるのですが、周りに建物がないせいなのか個性的な外観のせいか独特の雰囲気。
中は装飾もたくさんのすごく豪華な教会でした。地元の方がたくさんお祈りに来ていて、観光地というよりは本気度高めの教会。写真禁止のため撮れないのが残念なくらいここは見てよかったなと
先に通ったアカデミーの並びにあるのですが、周りに建物がないせいなのか個性的な外観のせいか独特の雰囲気。
中は装飾もたくさんのすごく豪華な教会でした。地元の方がたくさんお祈りに来ていて、観光地というよりは本気度高めの教会。写真禁止のため撮れないのが残念なくらいここは見てよかったなと
小さい街だけど色々あるリガ
まだまだ全然見きれてない
Wi-Fi環境が悪くてどんどんリアルタイムから遅れちゃう
がんばらにゃ
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