ブログタイトルで 韓国の事とか とか書いておきながら
まだ全然書いてなかったので。 軽いジャブを。
よく韓国を揶揄する意味で 「ウリナラマンセー」 なんて言葉があるけれども
これは実際に彼らがよく使う。北のほうとか特に。
ウリ(我が)ナラ(国)マンセー(万歳)
ようするに わが国万歳! ってことである。
第二次世界大戦中の日本における 「大日本帝国ばんざーーい!」 にすごく似ている。
このご時世にジョークみたいなものに感じられますが
彼らは本気だ。
文化の根幹部分に 「自分達の優秀性を誇る」 というのがあるらしく
自慢話が多いのが 特徴的です。
わたしはニュースサイトをだらだら見るのが好きだけれど
韓国のニュースサイトの解釈や、コラム、社説などは もう完全に
「ウリナラマンセー」 が全開になってます。
その中でも 「日本と比較した内容」というのが多いです。
面白いのがあったので ご紹介。
軽いジャブですので、 簡単に理解しつつどうぞ。
( )内は私のいれた 説明等で、本文ではありませんのであしからず
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日本映画はどうしていつも「沈没」するのか?日本映画の越えられない限界
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一時、日本文化の開放にぶるぶると震えた時代があった。
開放と同時に明らかにされる幾多のコピー本の正体、そして歌謡曲、
映画などの市場が無差別爆撃に当たらないかと思っていたからだった。
今は笑いながら回想することができるが、当時は
文化界の存亡を分けるくらい深刻な問題だった。
しかし、もう誰もそんな恐れを持っていない。
(韓国では戦後から、日本文化を締め出していた時期がありました。
日本の情報を国民に流さないのをいい事に
ポッキーやら、キノコの山、かっぱえびせん などの お菓子をはじめ
日本のアニメやマンガを「韓国で作られた物」として放送してました。
どんな物があったかというと、こちらから どうぞ )
韓流という流れは、香港で韓国を文化の中心を移して来た。
それに比べて、私たちが恐ろしさに震えた日本の映画は苦戦している。勿論、
「いま会いに行きます」「ラブレター」のように暖かい愛を受ける作品もある。
ホラームービーに関して一歩抜けたものもある。
しかしいざ「お金になる」ブロックバスターを標榜した「陰陽師」や「日本沈没」などは
封切りと同時に言葉通り沈んだ。
もはや彼らの文化が私たちの文化的根幹を脅かすという憂慮は聞こえない。
歴史的背景から来る反感ではない、幾多の作品を見て得られた市場の結論だ。
彼らが持つ「限界」はしばらく飛び越えられない自らの障壁のように見える。
■日本映画の限界
1)緻密で細々としている。
日本で作った創作物の最大の特徴は緻密ということだ。
TVで見る彼らの都市や郡区のように、小さくて緻密な空間構成が彼らの最大の特徴だ。
これは彼ら文化の根だ。体つきが小さくて大陸を踏んで見られなかった彼らの眺める世の中は
あまり大きくなることができなかった。
これは卑下ではなく民族間の差だ。気候と空間的制約、そして小さな体つきから来る特性は
彼らが見る空間を小さなものに作った。ドラマを見ても、彼らのドラマと映像物が描く部屋や居間は
他の国の物より小さい。ドラマと映画で見せてくれる空間は彼らが慣れるように
見て来た環境が反映されるのだ。
(※ 日本の場合 法令で、街中で無茶な撮影ができない ってのはありますよね。
てか国土の広さの問題ならまだしも、体が小さい ってのはちょっとアレですね。
要するに、人間的に「井の中の蛙、大海を知らず」といいたいようです。)
2)表現方法
彼らの表現方法と文化の根はマンガだ。
原爆と敗戦後、彼らには何も残っていなかった。製作能力も劣っていた。
こんな彼らが関心を持ったのがマンガだった。資本と空間の限界を越えて、
何でも表現することができたマンガは最高の道具だった。しかし、
それさえ資本で完全に自由な数はなかった。原画が使われるフレーム数を
最大限減らさなければならなかった。こんなマンガで使われる展開方法は説明的になるしかない。
笑いのコードも、静止した表情で通す場合が多かった。
このような点は他の文化圏では通用しにくい。
(※ マンガと書いてるけど、恐らくアニメと言いたいみたいです。
そのマンガやアニメをパクリまくってた国が何を言うんだとry
初期のディズニーとかと比較されると劣るのはわかりますが、
現在のアニメやマンガのレベルは、韓国の遥か上を言ってる気はします。
てか、本当に原爆って言葉好きだな、日本全土に落とされた訳じゃないのに。)
3)全体主義の残り香
もう一つ。彼らの話にはまだ全体主義的なにおいが残っている。
個人よりは団体が優先で、その社会の中で認められる矜持と自負心が重要だ。
個人と実利がもっと重要になって行く現代にこのような考え方も他の文化圏で持つしかない限界だ。
(映画において、具体的にどういう所を見てそう思ったのかがわかりませんね。
社会としては そういう風習なのは間違いないでしょう、「報告、連絡、相談」を第一に。
映画においてはそういう雰囲気は無いけどなぁ。)
4)女性に対する描写
OLという単語がある。オフィスレディーという意味だ。
役目や分担された仕事もなしにただ「事務室の女性」という概念。
彼らの著作物で描写される女性は絶対、主体的存在にはなれない。
文化はその文化圏の人々の行動や使う単語一つに現れるのだ。
サムライのような男性が結局すべてのものをやりこなして、これを横で愼ましくひざまずいて助ける..
′きれいで白痴美の感じられる′女性の構造はこれからはどこにも通じない。
(女性は絶対、主体的存在には慣れない・・・李氏朝鮮時代は女性を人口から省いてた民族が何をry
これも時代遅れが はなはだしい感じはしますね。。いったいどんな昭和の遺産を読んだのやら・・。
ちなみに 白痴 という言葉は現在差別語です。
精神障害者って意味がありますからね。「美」つけりゃ何言ってもいいって訳じゃないです。
「意見も言わない馬鹿な女が美しいと思われる女性構造」は 何処にも通じない
ってことかな。。大和撫子は馬鹿なのではない、一歩身を引いて男を立てる事ができた女性だ。
馬鹿だから意見をいえなかったのではない・・。男なんかよりもずっと優れてるし
当時の男はそれを理解していた。)
彼らが持ったこういう自らのくびきがあるので、
彼らは絶対に島の外へ出られないようになっている。
(※ 最近の北朝鮮の報道とかでもそうだけど 「島国」 というのは侮蔑の言葉みたいです。
日本人は「島国」と言われても何とも思わないわけですが、
あっちからすると「(中華)大陸に属してない」っていうのは、劣った民族の証みたいですね。
てか、ここまでだけでも 見事に上から書いてる文だなぁw)
■文化界の韓日戦
過去文化開放以前、日本文化に沸き返えた理由は作品性よりは希少性だった。
他人が見られないものを見て享受する楽しさは、あれこれ計算して見るよりは一応スリルがあることだった。
しかしもう望むものはインターネットにすべてある。
政策的に開かれていなくても、願えばダウンロードしてどのようにでも楽しむことができる。
(※ 違法ダウンロードを平気で新聞のコラムに書いてくるあたりの意識がすごいですねw
まぁダウンロードできるのは現実ですけどね。規制する気はないらしいw)
ケーブルには日本専門チャンネルもある。しかし、それがすごい風を起こすことはできない。
普遍的ではない想像力の限界と上に言及した要素のせいであるといえる。
彼らがそんな自らの限界を飛び越えることができない限り、私たちが構築している全般的インフラを飛び越えるのは難しい。
(この時点でお気づきでしょうが、 韓国映画>日本映画 と表現してるのはお分かりいただけます
根拠は知りませんけど・・・)
勿論、日本市場は巨大だ。
ハリウッドでも神経をたくさん使う所で、アニメーションの市場も物物しい。
映画の歴史や製作者たちの能力も高い水準を誇る。
しかし、こんなものがグローバル時代の生産競争力を意味するものではない。
独り歩き的に乗り出したけれども絶えず革新を繰り返えす私たちの
文化的底力は恐ろしい程だ。
( 今回笑うところはこの辺りです。 これぞ我田引水自画自賛、
日本の市場は大きいが、絶えず革新を繰り返す韓国の文化は 日本を凌駕している!ってことかな)
いつも100%の速度は出ないとしても、絶え間ない成長を確信する人々が多い。
それがうぬぼれに陥らない限り、
文化界の韓日戦で私たちはいつも勝者であるだろう。
キム・ヨンギ客員記者
(※ いつも勝者!! ウリナラマンセー! って感じですか。
うぬぼれに陥らない限り って
数行上で モロに うぬぼれてましたが、
あれは うぬぼれ ではないらしい。
うぬぼれたら どういう言葉になるんだろうか・・ 一度見てみたい・・。
ニュースの原文(ハングル)
翻訳サイト (かなり正確に翻訳してくれます)