探しもの、見つからず。
今日は心地良い、晴れだった。雲が夕方から出てきたけれど、昼間は良い天気だった。
2つ授業があったはずが、両方とも休講・・・
一つは先生がど忘れしたらしく、一つはご高齢のため風邪ひいたとか何とか・・・
たまにある授業に行くと、いつもこれである。
学校でボンヤリしつつ、学校でできることはして、街に出かける。
・・・バスで着いてから考える・・・・・・何か買わなあかんもん、あったっけ?
・・・バス停に佇みながら、色々考えた結果、本屋とインテリアショップを4軒まわることに。
すっかり街は暗がりを見せている。
・・・・・
本屋では、ある友達が介護の仕事を始めたので、その人に贈る本を探しにいった。
なかなか・・・見つからない。本屋があまり大きくないというのもあるのかもしれないが、
合う本が見つからないというのも、若干ある気がする。
その人は、老人介護といっても、老後をどう生きるか、という老人たちと接するというより、
むしろどう最期を看取るか、という状態にある老人たちと接している現場にいるらしい。
最期を看取る、ということについて語った本といえば、昔学部生のころ、私自身も少し
お世話になった色平先生の本などがある。
-
- 色平 哲郎
- 大往生の条件
私は、この夏、伯母が末期癌で最期の治療に向き合っている時期、そしてその
伯母が亡くなった翌朝、この本を読んで、気持ちを落ち着かせ、またその「死」
というものに対して、自分なりに考えたりするキッカケにしたりした本だ。そして、
その友人もまた色平先生に世話になった身でもあったので、この本を読んでいた。
ところが、こうした「最期」に関係するような本というのは、意外と少ないと本屋へ
行ってから感じる。もちろんAmazonなどで検索しようものなら見つかるだろう。
でも多くは「老後の生というものをどう生きるか/どう介護するか」という点か、
「死後に生き残ったものたちに何を遺すか」という点のものが多いようだ。
「死」と肯定的に向き合うなら、そうした傾向は、ごく当たり前といえるのかもしれない。
ただ、「死」は現実的なものであって、やはりそう簡単には肯定的に捉えられるものでもない。
だからこそ、そうした往生について書かれた本って、貴重なのかもしれないと感じてくる。
さて、結局、その友人へ贈るに適した本は見つからなかった。
また明日、学校の本屋などで探してみるつもり。
・・・・・
今月末、学部時代の後輩がずらずらと来るという怪情報が耳に入る。部屋をそこそこ
整理するためにインテリアショップで色々と探し物・・・でもなかなか欲しいものが見つからず。
こちらもまた明日以降、他のお店に当たらなきゃ・・・
結局そうして買い物に出かけど、本当に買いたかった本と家具は一個も買えなかった。
先日、PCが結構良い買い物となったことを考えてみれば、今回もまた「4時間」かけた
買い物をしたのだが、同じように時間かけてもHitしないなんてこともあるものなんだな・・・。
・・・・・
帰りのバス停でバスを待っていると、隣の男女のある会話が聞こえてくる。
そこで聞いてしまう自分も自分で悪趣味なものであるが、その内容がとても気になった。
男「就職どうするの?」
女「え~しないかなぁ」
男「あぁ、結婚とかしちゃえばいいもんね」
女「いや、そうゆーんじゃなくて~S先輩見てたら~なんかフリーターでも、やってける、
そんな感じしてきてて~」
男「そうだよね。フリーター、やった方が良いよ。俺も大学入る前、やってたし。」
女「へぇ、そうなんだ。かっこいい~。」
・・・何がかっこいいんだろう(苦笑)とにかく、こうして仕事はせず、フリーター肯定談義が続く。
別に私自身フリーター歴あったし、それが決して悪いとは思わない。でも、会話の内容からして、
明らかに働く意欲がない、それだけだ。ニートの話はよく聞くし、ニートとフリーターはもちろん
違うのだけれど、とにかく「働く意欲が減っている」そんな社会の一端を、まさかこんな学校の
人たちの口から聞くとは思わなかった・・・世間では一流(準一流?)ってところなのに・・・
彼らはこれからどこへ向かうのだろう。こうした流れって、やっぱ本当に根強いのかもしれない・・・。
・・・・・
帰りに回りを見回すと、世は、すっかり、クリスマス一色に染まっている。



