side Y







〜♪





パチパチ…パチパチ…




静かに流れるピアノの旋律と、

保護者や関係者からの温かい拍手。




縦横キチッと整列されたパイプ椅子に、

厳粛な雰囲気を醸し出す装飾、


そして、


ステージ上の一際大きい

"卒業証書授与式"の文字。




三月一日、この晴れの日。




学園の体育館で、

粛々と執り行われているのは、卒業式である。




昨今の状況を鑑みて、

式典は卒業生とその保護者、

学校関係者と一二年生の代表数名のみで行われ、

その他の生徒は、

登校できないことになっている。





パチパチ…パチパチ…




しっかりとした足取りで入場してくる生徒達を

微笑ましく見守る私。




高校の卒業ともなれば、

入学してきた時の幼さはもう無くて、

それぞれが自分の意思で

旅立つというような、凛々しさがある。

 

 


卒業生の担任ではなくとも、

感慨深いものを感じて、目元が熱くなるものだ。



 

こうやって、

"卒業"という人生の一つの節目を

共に迎え見送れるのは教師として

光栄なことだと思う。






全卒業生が入場し終えると、

厳かに開会が宣言された。




"卒業証書、授与"




"三年A組、…"




一人一人、生徒の氏名が呼ばれ、




"はい!"




気持ちの良い返事が繰り返されていく。




生徒数が多いため、

登壇するのは代表者のみだけだが、

クラス単位で立席していく卒業生。




だが、


"岡田 奈々" 


その名前を呼ばれることはなく。



卒業生の並びにも、その姿はない。




まるで

初めから居なかったような式の成り行きに、

心苦しく感じて、

感動とは正反対の涙が出てきそうで

私は思わず天井を仰いだ。




(あー、ヤバい…)




たった残り数ヶ月だった。



残り数回だった授業も、

彼女の席は空席のままで。



家で見る"私のなぁちゃん"じゃない、

学校での彼女を、

もっとちゃんと見ておきたかった。



そして、

この卒業式で、

ちゃんと、送り出してあげたかった。




二度とら戻らない大切な時間があったのに…。




そう思うと、

後悔と悔しさがグッと込み上げてくる。




「…ふー、」




茂「…ホイ」




別の意味で感極まる私に、

そっと、ハンカチを差し出す茂木。




「あり、がと」




茂「しっかり、見送ろう」




「、うん」




茂木にはなぁちゃんの許可を取って

ある程度のことは話してある。




だから、

私の葛藤に気付いているんだろう。




それでも、相変わらず

何も言わなくても察してくれる、優しい茂木。




自分のハンカチもあるけれど、

その優しさを受け取って目元を拭った。






そんな中でも、

滞りなく進んでいく式典。




途中、理事長や来賓の祝辞が長々と続き、

一旦引っ込んだ感動ムード。




それも、

在校生送辞になるとまた復活していって…。




"答辞 卒業生代表 向井地美音"




お「はい」




シーンとした静かさの中、

スクッと立ち上がる向井地さん。




通路を通り、一番前に出る。




少し緊張感で強張った表情だが、

リハーサルで聞かせてもらった答辞は

素晴らしいものだったし、

心配はいらないだろう。




そこにいる全ての人間の注目を浴びる彼女を

見守っていると…




…? ザワザワ…




何故か、登壇しない彼女。




そのまま、司会席の方へ向かう。




「ぇ、なに?」




茂「ぉ、どうした、どうした?」




リハーサルにない動きに学校関係者は驚き、

その動揺からか保護者が騒つく。




"む、むかいち?どうした?"




司会の先生はマイクを押さえながら、

小声で向井地さんに話しかけているが、

しっかりスピーカーに乗っている。




すると、

マイクの前でペコリと頭を下げた向井地さんは、

そのまま司会者を置いてきぼりにして

話し始めた。




お「式典中、申し訳ありません。

  三年A組、向井地美音です。


  私はこの度先生方から、卒業生代表として

  指名していただきました。


  しかしながら、

  辞退させていただきたいと思います。」




ザワザワ!!!




茂「え、ゆうちゃん、どういうこと?」




「いや、分からないってっ」




呆然とする教師陣と、

事態が飲み込めない保護者の声で

体育館は異様な雰囲気となる。




それでも、向井地さんは、

意に介さないように続ける。




お「私は、いいえ、私達は。

  まだまだ未熟で、大人の方々に

  導いていただくことばかりです。


  ですが、これから、

  成人の第一歩を踏み出す

  私達だからこそ、

  見過ごしてはいけないもの、がありました。

  それが、何かは敢えて言いません。


  ただ、今日この晴れの日、

  私達は"全員"で卒業したい。

  それが卒業生の総意です。


  答辞は、私達卒業生が選んだ者が

  務めさせていただきます。


  では、改めまして… 」




向井地さんの言葉に、三年生の皆が頷く。




そんな皆に、ニコッと笑う向井地さんは

姿勢を更に正した。




そして、




お「答辞 卒業生代表



  岡田奈々」







『、はい』




ザッ!




声のする方へ、卒業生以外の視線が、

一斉に向く。




保護者席の一番後ろ。




そこには、

目を真っ赤にしたなぁちゃんの姿が。




「…うそ」




茂「え、岡田?!」




グッと涙を拭うと、

コートを脱ぎ、制服姿で立ち上がった彼女は、

深々と一礼した後、

ゆっくりと前に歩き出す。



 

何故、そこにいるのか、という保護者の疑問と、


何故、ここにいるのか、という関係者の疑問。

 

 

 

特に、"海外進学"という嘘偽りを作った人間は、

彼女の登場に、

ワタワタと慌て、顔色を変える。



  

彼女を止めようと立ち上がるそのうちの数名。




だが。



 

パチ、パチパチ、パチパチパチパチ!!

 

 

 

一瞬、戸惑った空気が

卒業生全員の拍手で、ガラッと雰囲気を変える。

 

 

 

その温かい拍手の中を

堂々と歩き、登壇する彼女の

行手を遮ることができる大人は、居なかった。




茂「うわぁ、やるなぁ、三年」




思わず感心の言葉を出す茂木。




私は驚きすぎて、言葉が出ない。




それでも、

登壇して威風堂々と立ったなぁちゃんの視線が

私の元に届く。




固まってる私を見て、

なぁちゃんは一瞬だけ微笑むと、

また真っ直ぐ前を見つめる。




そして、

原稿を出すこともなく、

ただ前だけを見て、声を発した。





 

卒業の 前夜に流す 涙かな

 

 

 厳しかった季節も過ぎ、

 春の訪れに胸弾ませる本日、

 

 諸先生方並びに来賓各位、

 多くの皆様の御臨席を賜り、

 盛大な卒業式を挙行していただいたこと、

 卒業生一同、心より御礼申し上げます。』





冒頭に俳句を持ってくる高校生がいるんだと、

混乱し過ぎて、

的外れな感想を考えるほど、

滑舌の良い、聞きやすい声色で、

答辞を述べていくなぁちゃん。




その驚くべき登場へのざわめきは

すぐに収まって、

学校、教師、保護者、在校生への

感謝を理路整然と語る彼女の話に、

皆引き込まれていった。




『…。


 この3年間という時間は、

 長くもあり、短くもあったと思っています。


 嬉しいことも悲しいことも、

 楽しいことも辛いことも、

 沢山ありました。


 私にとっては、

 人生が彩りを変える人との出会いがあり、

 親友という存在を知り、

 皆さんのような優しい友人に囲まれた

 大変有意義な時間となりました。


 私にとって、

 この学園で、皆さんと過ごせた日々は、

 心の財産となることでしょう…


 そして、

 私が本日、この場に立てること、

 それは全く想像していなかったことでした。


 このような大切な役目を私に与えてくれ、

 共に卒業しようと背中を押してくれた、

 皆に、心から感謝しています。


 私は

 皆と卒業できて、本当に、本当に嬉しいです。



 かの夏目漱石が、

 I love youを、月が綺麗ですね、

 と訳したというのは有名な話です。


 それについては諸説ありますが、

 私は、愛する人と綺麗な月を共に見上げる情景を

 思い浮かべました。


 と同時に、

 大切な仲間と、

 同じものを見て同じ気持ちを共有し、

 共に汗を流し、時に涙したこの3年間に、

 かけがえのない友情が重なりました。


 なので、今日は、

 I love youを愛している

 とは言わない日本語の多様さにあやかって、


 友情は永遠に。


 そう、訳したいと思います。


 

 これからそれぞれの未来に向かって

 一歩一歩自分の足で歩いていく中で、

 今後、大きな壁にぶつかったとしても、

 高校で得た多くの思い出、学び、誇りを

 人生の糧とし、力強く生きていましょう。



 保護者の皆様、先生方におかれましても、

 日頃の感謝を申し上げると共に、

 今後とも未熟な私達を叱咤激励し、

 見守っていただけたら、幸いです。

 

 また、最後となりましたが、

 学園のますますのご発展を、

 心より祈念して、答辞と致します。


 卒業生代表 岡田奈々」


 




…パチ、パチパチパチ!





なぁちゃんらしい、答辞だったと思う。




私は溢れ出る涙と、

皆と同じように卒業の区切りをつけることが

できたなぁちゃんに、

心の底から賛辞をむけた。