恩人 2
1995年 初年度は参戦したばかりで、メンバーとの連携不足が露呈された。
震災の影響で練習量が不足し、そのまま開幕を迎えてしまったカタチだ。
シーズン後半になると、組織力が高まり、勝率がぐんと高まった。
そして2年目のシーズンを迎えJリーグ昇格への準備が整い、序盤から快進撃を繰り広げた。
デンマークの至宝 ミカエル・ラウドルップが加入し勝利を重ねていった。
最終節 1996年10月27日vs NTT関東(現 大宮)でジアードのゴールとともに試合終了、昇格が決まった。
神戸にJリーグのチームが生まれた瞬間だ。
胴上げされるバクスター監督を見て大泣きしたのを覚えている。
監督が言った言葉。
『もうこれはサッカーじゃない。』
私もそう思った。
サッカーで街が変わっていく、人が元気になっていく。
感動した。
初めての感動だった。
人目を気にせず泣いた。
この時、私はこの人の言葉を信じようと思った。
翌年、成績不振により監督を辞任した。
翌日の神戸新聞に監督と私が写っている写真が掲載された。
私の宝物だ。
彼には色んな事を学んだ。
それをベースに生活しているといっても過言ではない。
3へ続く。
震災の影響で練習量が不足し、そのまま開幕を迎えてしまったカタチだ。
シーズン後半になると、組織力が高まり、勝率がぐんと高まった。
そして2年目のシーズンを迎えJリーグ昇格への準備が整い、序盤から快進撃を繰り広げた。
デンマークの至宝 ミカエル・ラウドルップが加入し勝利を重ねていった。
最終節 1996年10月27日vs NTT関東(現 大宮)でジアードのゴールとともに試合終了、昇格が決まった。
神戸にJリーグのチームが生まれた瞬間だ。
胴上げされるバクスター監督を見て大泣きしたのを覚えている。
監督が言った言葉。
『もうこれはサッカーじゃない。』
私もそう思った。
サッカーで街が変わっていく、人が元気になっていく。
感動した。
初めての感動だった。
人目を気にせず泣いた。
この時、私はこの人の言葉を信じようと思った。
翌年、成績不振により監督を辞任した。
翌日の神戸新聞に監督と私が写っている写真が掲載された。
私の宝物だ。
彼には色んな事を学んだ。
それをベースに生活しているといっても過言ではない。
3へ続く。