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エビータ (映画) - Wikipedia

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原題 Evita 1996年 アメリカ (134分)監督 アラン・パーカー

原作 アンドリュー・ロイド・ウイーバー(ミュージカル「エビータ」)

出演 マドンナ アントニオ・バンデラス

「大ヒットミュージカルを映画化したものです。映画の中で何度も流れる‘Don't cry for me Argentina’(アルゼンチンよ、泣かないで)はマドンナの美しい歌声とメロディとその抒情性に胸がうたれます。エビータはアルゼンチンの大統領・ホアン・ペロンの奥さんで、国民に絶大な人気がありましたが、33歳で亡くなりました。映画の中では『生き急いだのかも』と言っていますが、民衆と夫のペロンに‘You must love me’(私を愛して)と言って死んでいきます」

 

(物語)アルゼンチンの首都ブエノスアイレス、1952年。恋愛映画が上演中に突然止り、観客からブーイングが起こります。舞台に館長が現れ、「悲しいお知らせです。我々の精神的リーダー、エバ・ペロン(エビータ)が天に召されました。今夜8時25分でした」と告げます。観客は全員悲しみに包まれ、隣の席の身内の人の手を握ったり、顔を腕の中に埋めたりして、悲しみに打ちひしがれます。

 時は遡って、エバがこどもの頃、1926年のチビルコイです。葬儀場です。そこにまだ小さい子から青年になった子どもまで連れた女性が現れます。亡くなった人の喪主の妻が現れ、「愛人の分際で汚らわしい。帰って頂戴!」と葬儀場の中に入れません。するとまだ小学生低学年位のエバが突然走って、葬儀場へ入ってしまいます。父の遺体に持ってきた花束を置き、踏み台に乗って遺体にキスをしようとします。つかみだされます。「やめて、私の父さんよ。そばに居させて」と叫びます。

 1952年のエビータの葬儀です。棺が通る場所はエバを見送る人で溢れ、花びらが舞い、軍人、政治家、財界人が一緒に歩きます。「永遠の安息をエバに与えたまえ」と壮大な見送りの曲が聞こえます。

 映画館でエバの死を冷ややかに受け止めたチェ(アントニオ・バンデラス)は今また、エバの葬儀の日に酒場で酒を口にしながら、エバについては批判的です。「なんというサーカス、なんというショー、国民全員が女優エバ・ペロンの死に大騒ぎだ。国民全員が彼女の死を味わい尽くしたいと思っている。なんという退場。見事な旅立ち。ある意味では国に尽くした。新聞の一面トップ。世界中の新聞に掲載された。『聖女エビータ』は何者だ?どうしてそこまで悲しむ?女神だったとでも言うのか。強烈な個性で時の人、国民は大統領府で絶叫した『エバ・ペロン!』だが、この大騒ぎが落ち着けば、皆気がつくはずだ。彼女は何もしていない!」

 「祝されよ。元后あわれみの母。私たちの命、喜び、希望。祝されよ、聖なる母。エバの子である私たちはあなたに叫びます。嘆き、泣き叫びながら、あなたをお慕いします」と、国民の声です。 

 大統領のホアン・ペロンを先頭にして壮大な見送りの群衆と葬列が進みます。

 チェはメロディに乗せて「君は民を裏切った。不死の存在のはずだったのに。彼らが望んだのはそれだった。でも、君はただの人間だった」と歌い続けます。「1945年10月17日から続いたショーもスター不在じゃ魅力半減、この国は大ピンチ。あれは政治じゃなく舞台、理念じゃなく怒り、支援じゃなく祭り、彼女は声がでかかっただけ。君らの女王は死んだ、もう帰ってこない」

 マドンナは熱演です。美しい歌声と鮮烈な抒情的なメロディが、その繰り返して流れる印象的なメロディと詩が、エビータを忘れられない存在にします。
 

ブログ掲載作品放送予定(放送日時、チャンネル名は必ず自分でお確かめ下さい)
放映日 曜日 開始時間 映画タイトル 放映チャンネル ブログ掲載日
4月23日 13:00 志乃ちゃんは自分の名前が言えない NHKBS 24.4.17
休載      ブログ掲載作品一覧「う」    24.4.18
4月23日 13:40 奴らを高く吊るせ 東京12 24.4.19
4月24日 13:00 エビータ NHKBS 24.4.22
       ブログ掲載作品一覧「え」    24.4.23
4月29日    未定   未定  24.4.24
       ブログ掲載作品一覧「お」    24.4.25
4月29日 9:00 ダーテイハリー ムービープラス 24.4.26