ザ・シネマHD      12月27日(日) 19:45-21:00(吹き替え版) ザ・シネマHD  
原題 The Post 監督スティーブン・スピルバーグ出演トム・ハンクス メリル・ストリープ
「報道の自由か、政府の機密保持かに迷うワシントン・ポスト紙の決断とその後の裁判の行方」

 時は1971年、ニクソン大統領の時でした。ベトナム戦争は長く泥沼化しアメリカから派兵された兵士も多く亡くなりました。反戦気運がアメリカ国内に広がり、政府は戦争継続のために戦況について多くを語ることはできませんでした。当時のマクナマラ国防長官の要請を受けて軍事アナリストが自ら戦場に赴いて報告書を作成しました。そういう報告書を元に、シンクタンクでベトナム戦争を分析し報告したものが「ペンタゴン・ペーパーズ」です。政府の最高機密文書でその内容が漏れることはアメリカに大きな損害を与えると政府は考えていました。

 その「ペンタゴン・ペーパーズ」のコビーがニューヨークタイムズに持ち込まれ新聞でベトナム戦争の真実が報道されました。人々はベトナム戦争の真実の一端を知ることになりましたが、政府はそれ以上の報道を恐れ、裁判所を通じて記事の差し止め命令を出しました。この命令に背けば逮捕、拘留されるのでした。ニューヨークタイムズ紙の「ペンタゴン・ペーパーズ」に基づいたベトナム戦争の記事は2回で止められてしまいました。

 こういう状況の中で地方新聞のワシントン・ポスト紙の社主と編集主幹がどのように考え決断したかを描いています。この二人の決断に至る人間としての苦しみが、それは職業人としての苦しみですが、どのようなものだったか、その悩みの深さと重さがテーマの映画です。

 ニューヨークタイムズ紙の記事が差し止めになったので、ワシントン・ポスト紙のベン・ブラッドリー主筆は今がチャンスと考えました。どういう意味でチャンスと考えたかと言うと、ニューヨークタイムズはもうベトナム戦争の記事を書くことはできません、他社は「ペンタゴン・ペーパーズ」を持っていません、しかし、ベトナム戦争の真実を報道することは極めて重要で大切な新聞の使命である、それを今ワシントン・ポスト紙ならやることができると考えたのです。でも、そのためにはニューヨークタイムズ紙が持っていない「ペンタゴン・ペーパーズ」の残りを手に入れなければなりません。

 他社が法律で記事を書くことを禁止されたことについて記事にすることは危険と多くのワシントン・ポスト紙の重役たちも思いましたが、ベンは有無を言わせませんでした。とにかく「ペンタゴン・ペーパーズ」を探すことを要求しました。編集局次長が昔「ペンタゴン・ペーパーズ」を作成していたシンクタンクで働いたことがあって、知り合いが何人かいました。片っ端から電話をして、とうとう文書の持ち主を探しだしました。持ち主は早くベトナム戦争を終わらせたいので、そのためにその重要文書をコピーしていたのです。そして必ず記事にしてくれとお願いされて、次長は「ペンタゴン・ペーパーズ」のコピーを入手しました。

 それからが大変です。新聞の入稿までに8時間しかありません。7,8人の重役はページのない文書をつなぎ合わせて何とか記事が書けるまでの読める状態にしたのですが、記事にすることがよいのかどうかの議論が始まります。記事を載せたらニューヨークタイムズ紙と同じく裁判所の命令に逆らったことになるので逮捕、拘留されてしまうと言うのです。

 しかし、主筆のベンは譲りません。信念があります。報道の自由が大切か、政府の機密保持が大切かの問題です。「機密が漏洩する国は駄目、大統領と言う存在が危機に瀕している」と言う機密保持派を主筆は一蹴します。しかし機密保持派は判事の命令に逆らえば法廷侮辱罪に問われて、新聞自体の存在が危うくなるというのです。

 丁度その時、ワシントン・ポスト紙は新株を発行するのと時を同じくしていました。問題が起これば、新株の引き受け手がいなくなってしまうのです。ベンは「報道の自由は報道することで確保される」と言う信念を言います。最後は社主であるキャサリン・グラハムの決断にかかっています。キャサリンの心はすでに決まっていました。

 史実に基づいて描いた映画だと思われますが、「報道の自由か、国家の機密保持か」のどちらが重要かの問題は司法に提訴され最高裁に預けられます。最後に裁判所から主張を終えたキャサリンが退場します。裁判所の出口から途中の階段を含めて沿道には女性が溢れています。その女性たちのキャサリンに対する憧れの眼差しと尊敬を含めた笑顔がこの戦いの勝利の美酒を表現しているように思いました。