ここ1ヶ月ほど、副腎皮質ホルモンを補うためのコートリルのない生活を送っている。
と、言い切りたかったが、数日前喉の痛みと倦怠感に襲われて、風邪が悪化するのを恐れて、0.5錠を2日間飲んでしまった。
けれど、その2日以外はコートリルの存在すら忘れて過ごせている。
あんなにも、日々コートリルの飲み忘れがないか、自分の体調に見合った量に調整できているか、に囚われて生活していた10数年が嘘のようだ。
先日、数週間ぶりに飲んだコートリルは、以前の飲み方のコツを忘れていて一気に喉まで水で送ることができずに口中に残り、久しぶりにあの強烈な苦みを食らってしまった。
それでも、コートリルの苦みを感じると、その時の苦痛から解放される、という安堵感は相変わらずだった。
副腎がん再発予防で飲んでいたミトタンと、ミトタンによって出なくなった副腎皮質ホルモンを補うためのコートリルを飲みながらフルタイムの仕事をしていた頃、自宅に帰った夕方はそのまま横になりたいことも度々あり、必要な家事はしても、娘にきちんと向き合う余裕がなかった。
あの頃は、病気(薬)のせいで余裕がないんだ、と自分に言い聞かせつつ、もしかしたらそもそも育児に向いていないだけなのではないか、今はただ病気を理由にして逃げてるだけじゃないのか、とも思ったりしていた。
テレビでは、ガンを患いながらも子供にはその辛さを見せずに懸命に生きる様を描いたドラマが流れ、病気を理由にしちゃいけないんだ、としんどくなって、とても観れたものではなかった。
ミトタンの副作用とコートリルから解放された今、あの頃の倦怠感は病気(薬)のせいだったんだ、とようやく認めてあげることができた。
それでも、相変わらず娘には優しくできないので、これは体調というより性分なのだと、認めざるを得ない。
そして、仕事のペースを落として余裕のある今でも、食事づくりはめちゃくちゃ面倒くさいしサボりたいから、これも性分。
だけど、夕飯を作った後のひどい疲労感やイライラはなくなった。
先日娘から、夕飯ができたと呼ぶ声が「どうして怒ってるの?」と指摘されたから、こちらの体感は変わっていても、以前の態度が悪習慣として残ってしまったようだ。
申し訳ない。修正できる態度は、改めていかなければ。