感想 獣の奏者( ネタバレあり) ②政治視点のもう1人の主人公

 

お久しぶりです。

仕事の忙しさと祖母たちとの大分への里帰り、その旅疲れによる祖母の足の不調の介護や自身の体調不良と仕事の忙しさからリアルが色々と遅くなってしまい、前回の感想からかなり遅れてしまいました。

もう半年近いというか新年あけおめとうに過ぎで、新年度直前です。

 

鳩羽にとっては11〜12月と3〜4月は最も忙しい月となります。

 

 

さて、前回は闘蛇編を中心に世界観や主人公のエリンとソヨン母娘周辺を中心に話しましたが、

今回は半分予告通り、王獣編を中心に『獣の奏者』もう1人の主人公であるイアルとエリンが遅かれ早かれ突き当たる獣と人との隔たりを中心に書いていこうと思います。

ちなみに鳩羽は獣の奏者のキャラでは、イアルがイチオシです。イアル、かっこいいですよね………。

 

 

私は『獣の奏者』はアニメから入ったのですが、今思い出すと『獣の奏者』に強く興味を持ったきっかけはイアルだったと思います。

それまで飛ばし飛ばしでそれとなく見ていたのですが、イアル初登場回10話の「夜明けの鳥」およびその次回予告で、好奇心旺盛な少女が色々な人と巡り合いながらも生き物の神秘に触れていく今まで比較的暖かめな話の中に、まるでかけ離れた影を纏った隠密のような男が登場し、これからエリンと深い縁をもつらしいことが暗示される。

今まで生い立ちから浮世離れした幼いエリンの視点だけでは見えなかった国の情勢をイアルを通して語られ、そこから一瞬で世界観が広がると同時に話が引き締まって一気に深みが増した。これで興味を持たないわけがない。

 

このエリンと獣達の物語との接点が見えない影のある男がどのような人物で、エリンの物語にどのような影響を与える存在であるのか想像つかず、急に物語の先が、イアルの役割が気になりすぐさま『獣の奏者』の本を手に取って一気読みした。これが大きなきっかけのひとつだったと振り返ってふと思いました。

 

 

政治側から見る主人公

 

上橋作品の物語は基本的に2人の主人公による視点が交差し、一つの大きな物語を構築していく構成となっています。

 

1人は本筋の主人公で、獣や精霊のように自然や超自然的な人智の枠を超えた存在と関わり、国や権力、政治のしがらみに追われながらも挑んでいくのが大体のあらましです。本作のエリンや『精霊の守り人』の短槍使いの用心棒・バルサ、『鹿の王』の独角の頭・ヴァンが該当します。

彼らの主な共通点には、後ろ盾を持たない一市民であり、物語の舞台となる国や領土とは異なる出身のいわばよそ者であることや、バルサはチャグムやアスラ、ヴァンはユナといったように子供を守るという共通点もあります。エリンの場合は少しニュアンスが違うかもしれませんが、リランがその存在に当たりさらに続編ではエリンの実の息子が登場します。

主人公達は国や政治などの人が決めた規範や型に縛られず、自分の信念を貫こうと抗っていく「挑む者」と言ったところでしょうか。

 

それに対しもう1人の主人公は、あくまで一市民である主人公達とは異なり、為政者やその関係者など国の政治に関わる立場として、国や政治からの視点で物語を進めていきます。

『精霊の守り人』では新ヨゴ皇国の第二皇子・チャグム、『鹿の王』では東乎瑠帝国の医術師・ホッサル、そして本作『獣の奏者』の真王を護衛する<堅き楯>の神速のイアルが該当し、主人公達と違う視点からの世界観を展開しながら物語を広げていく役割を持っています。

国の掟やしがらみに反旗を翻して抗う本編の主人公たちとは異なり、もう一人の主人公達は現在の立場や歴史の流れ、国や政治により決められた枠組みに従事した存在です。その立場から国や為政者達の思惑に疑問を抱きつつ改革していくための方法を模索していく「索る者」としての役割が強いと思います。

 

イアルは皇子であるチャグムや王のお抱え医師であるホッサルとは違い隠密の役割も担った一護衛士であるため、王族や政、歴史には直接口出しできる立場ではありません。が、主君であるハルミヤ真王を陥れようとする陰謀を探り、地盤が崩れつつある国の有り様をこの目で見据えて、自分にできることは何かを見極めて行動していきます。

 

上橋作品の基本的な構成は、精霊の守り人のバルサとチャグム、鹿の王のヴァンとホッサルのように、

 

人が立ち入れない獣や精霊などの自然や独特な風習と自らの数奇な運命に立ち向かう大筋の物語

国の政治や社会情勢などの世界観を国の内側から突き詰めていく国や為政者の歴史の物語

 

同時進行で展開し、後に交差し一つの大きな物語へと紡いでいくのです。

(なお、筆者自身は上記の三作品を中心に考えており、上橋菜穂子先生の新作である『香君』は読んだことがないのですが、違っていたらご了承ください)

 

『獣の奏者』は、生物の生態に強い興味を抱く才能豊かな<霧の民>の血を引くエリンが数奇な運命を歩みながらも人にけして馴れないと伝えられていた獣、王獣・リランと垣根を超えた絆を重ねていくのが本筋です。その一方で、物語の舞台となるリョザ神王国の2人の王と二分したの国の軋轢による政治劇も物語の大きな軸であり、エリンとリランはその国の政治のいざこざに徐々に巻き込まれてしまうのです。

ですが、エリン自身は蜂飼い暮らしで世間から離れた暮らしをしていたこともあり、政治や世情にとても無頓着で「くだらない」とすら一蹴するほど(政治に疎いのは他の主人公も同様ですが)。そのため、彼女に代わって世界観や政治を中心とした国を取り巻く情勢についてはもう1人の主人公であるイアルによる焦点が当たるのです。

 

つまり、『獣の奏者』物語は、

獣との絆を描いたエリンの視点権威と権力が分断された国の政治劇をイアルの視点

この、2つの視点がら同時進行で描かれ、2つの視点が出会うとき点と線が結ばれるように構築していくのです。

 
 

神速のイアル

 

もうひとりの主人公のイアルは真王とその一族を護る護衛士<堅き楯(セ・ザン)>の1人で、最も多くの刺客を討ち取り真王の命を救った強者として<神速のイアル>という異名で称されています。

 

堅き楯の名の通り、死すら厭わず自らの身を楯にしてでも真王を護り、厳しい武術の訓練を受けた武人たちは戦を嫌い兵を持たぬ王である真王の唯一持つ武力と言える存在であります。王の近衛兵としていつ死ぬやもわからない生涯を一生を捧げ、穢れ仕事を淡々とこなし、時として国や真王を脅かす反乱分子を探る隠密のような役割を担っていきます。

<堅き楯>になった者はたとえ庶民出身であっても貴族同等の地位を得られ(親族も口止め料や偽装工作的なものとして同様に地位を与えれます)一生食うに困らない生活を送れるほどの富を得られます。

が、その引き換えにそれまでの親兄弟含めた友人知人の他者との縁一切を断たれ、厳しい掟の中いつ命を落とすか分からぬ身の上から弱みを持たぬよう他人との関わりを許されず、結婚して世帯を持つことを禁じられた孤独な生涯を送る事を誓わされます。

 

<堅き楯>の設立自体は意外にも歴史が浅く、約50年前に<血と穢れ(サイ・ガムル)>という太公推進派の過激派たちが王宮に火を放ち、当時の真王・シイミヤの娘のミィミヤが命を落とす事態に発展したのが発端。

真王およびリョザ神王国の情勢に不満を抱く<血と穢れ>は太公領民だけではなく、貧しく清廉な暮らしに不満を抱く真王側の貴族たちも同様で、少しでも甘い蜜が吸いたいと<血と穢れ>をこれ幸いと隠れ蓑として利用しようとする者も存在する。

そんな、真王への信仰が薄らぎつつある四面楚歌な時代では信仰心のみで支えていく今までのやり方ではやっていけない。そう悟ったシィミヤは亡くなる寸前に、武術に長けた信頼厚い臣下たちを集め、幼くして真王の冠をかぶることになる孫娘のハルミヤと未来の真王となる子孫たちの身を護るための武力を設立したのです。

 

現実世界で知られている城の衛兵や騎士は身分が高く名誉ある輝かしい印象がありますが、<堅き楯>が隠密や暗部のような汚れ仕事のような印象を抱くのは争いや武力を穢れと忌み嫌う真王領の影響が強いかと思います。

 

上橋作品では<堅き楯>のような国の隠密・暗部組織は登場し、『精霊の守り人』の<狩人>のジンや『鹿の王』の<モルファ>のサエなどと主人公たち(もしくはもう1人の主人公)と深く関わっていく重要な人物たちとなっていきます。

 

 

イアルが<堅き楯>となった経緯はイアルが8歳の頃、指物師であった父が地震で亡くし、助けを呼ぼうとした際に馬車との衝突を反射的に避けたイアルの身体能力の高さに武術の才に目をつけた<堅き楯>の男に金一封と引き換えに勧誘されます。

元々貧しい暮らしだったところに稼ぎ頭を失い、路頭に迷ったうえに病弱な母と生まれたばかりの妹がいるイアルは、身売り同然で家族と引き離され<堅き楯>になる道しか残されていなかった。

 

普段はとても真面目で物静かで無口で非番には趣味の細工物作りを道楽と称する地味な男で、軟派な真王の甥のダミヤなどからは遊びを知らない面白みのない男と呆れられることもあります。

しかし、ひとたび<堅き楯>の俊敏な身のこなしと鋭い勘から堅き楯の中でも特に優秀な武人へと早変わりし作中でもかなりの強者です。功績はもちろん生来の誠実さと忍耐強さから他者からの信頼厚く、真王であるハルミヤからは冷静で本質を正確に捉える切れ者だととても厚く信頼され、イアル自身もハルミヤのことを第二の母親のような存在として尊敬し慕っています。

 

エリンは彼のことを冬の森の木立のような静けさをまとった人と称し、さらにはその生涯をまるで耳を塞ぐ術を奪われ戦い続けさせられる闘蛇のようだと重ねます。

 

武人としての才能を見出され、望むものではないのはともかくその才を持って真王を護り続けているうちにいつしか神速の異名を持つようになりましたが、その強さは本編で知られている範囲でも、

 
  1. 真王誕生日の宴で暗殺者の矢から真王の楯となり自らの腹に受け、すかさず刺客に弓矢で反撃し撃ち獲るも、重傷を負うも矢が王獣の幼獣(リラン)を掠って矢の威力が削がれたため運よく命拾いする。その後、暗殺騒動の黒幕の正体に勘づき、独自で探り始める。
  2. 真王の行幸の帰りの御座船での川下りで闘蛇軍の襲撃された際、先陣に立って弓矢で次々と闘蛇の背に乗る乗り手を撃ち落とし、傾いた御座船を引く船とつなぐ縄を咄嗟に斬り落として船体を立て直す。さらに刀を自らの腕ごと闘蛇の口を突き刺して仕留める。その後、闘蛇に噛まれ猛毒に侵されているにも関わらず長時間会議に参加されられた後に治療を受ける。治療中も動いたり会話もできるほどの体力が残っていた。
  3. ハルミヤ真王暗殺の黒幕であるダミアに毒を盛られた状態で刺客に奇襲され重傷を負わされるも返り討ちにし、朦朧とした意識のまま馬に乗り約30分ほどの距離を移動する。
他にも<堅き楯>引退後である続編では、11年のブランクで身体が鈍っていたにも関わらず、自分と息子を誘拐しようとする刺客2人を不覚を喰らいながらも素手と添木だけで撃退したり、憂き目にあったダミア派からの襲撃をサラッと返り討ちする、濁流に飲み込まれたエリンを雷雨の夜中にも関わらず夜目を効かせて見つけ出し荒れ狂う流れの中で見事救出する等々、神速の異名は伊達ではない……どころか多少人間離れした部分もある強さを持ち合わせています。

 

 

戦や争いを穢れとして忌み嫌う傾向が強い真王領の一庶民の出とはいえ、上記の通り鋭い慧眼を持ち<堅き楯>として国の裏側から政治の動きを間近で見ていくうちに、多くの争いと犠牲の上で平和が成り立っている現実を見ようともしない真王領の貴族たちとその境遇に不信感を募らせる大公領民たちによって傾きかけた国の現状に、イアルは疑問を抱きながら冷静かつ鋭い見解を示していきます。

身を挺して真王を護衛し時として手を穢す立場は、領地を離れ戦前に立つ大公一族や領民たちと通ずる部分もあるのか、終盤で真王の座についたセィミヤに対しての直談判と求婚しに謁見したシュナンの荒療治とその前のセィミヤの失言に対して、前者に対してははいい意味で後者に対しては悪い意味で感情が揺さぶられた心の内をエリンに語っています。

 

王の楯として口出しできる立場ではなくとも瓦解の危機を孕む二分した国の歪みの構造とハルミヤ真王の命を狙い若きセィミヤ王女を掌握しようと企むダミヤの陰謀を阻止しようと自分の信念のため、自身はどうあるべきかを考えながらも、奔走していくのが、もう1人の主人公であるイアルの物語です。

 

そして、物語が進むうちにそのエリンと出会い、とてもよく似た境遇から心を通わせ合い深い縁で結ばれることになります。そして徐々に惹かれ合っていき、数奇な運命を共に歩んでいくことになり、エリンにとって人間としての相棒とも言える存在になります。

 

 

エリンとの関係

 

2人の主人公達の出会いはリランの出産を知った真王が王獣の子を見にカザルム保護場への行幸。真王の行幸にてハルミヤの警護に責任者として同行したイアルは、そこで教導師をしているエリンと出会います。

前述の王宮放火以降、暗殺への危惧からこの老年まで一度も王宮の外へ出たことがないハルミヤがリランの妊娠を機に、王として一眼だけでも自分の国を見てみたいと周囲の反対を押し切ったほどの切実な願いも込められています。

 

リランの仔・アルの様子を遠目で見ていたハルミヤでしたが、子育て最中で気が立っている王獣達に警告を無視して不用意に近づいて襲われそうになったのをエリンが竪琴でなだめて収めます。

けして人に馴れぬ獣を竪琴の音色だけでなだめた上に、霧の民の教導師であるエリンに皆が一斉に注目し、矢を構えていたイアルもその光景を目の当たりにします。

特にエリンに目をつけたのは真王の甥のダミヤ。野心家で女癖の悪いダミヤは手早くエリンに言い寄り、脅しも交えて抱き込もうとしたのを、毅然とした態度で屈することなく断ったエリン(むしろ怯えや嫌悪感の方が強かったと後で悔しそうに語ります)にイアルはますます興味を持ちます。

 

リランが大怪我を負った経緯でハルミヤを狙った矢をイアルが腹にうけて真王の命を救った話を聞いたエリンは、<堅き楯>の名の如く、御身を楯に王を護った冬の木立のように物静かな武人がなぜか無性に心に焼きついて、彼の孤独な生涯に思いを馳せます。

 

行幸で出会った人たち中で、神のように崇められる真王のハルミヤやしつこく言い寄ってはセクハラを行ったダミヤではなく、お互い会話どころか言葉すら発せずただ黙って真王たちの後ろに立っていたイアルのことが最も印象に残る存在だったのです。

 

 

王獣編でエリンとイアルが深く会話を交わし合うのは2回ほど。どちらもエリンがイアルを治療していて、1回目は御座船への闘蛇襲撃で闘蛇の牙に噛まれた時で、2回目は真王暗殺の黒幕であるダミヤから毒を飲まされた上に刺客に深傷を負わされたイアルを治療し匿った時になります。

イアルを治療した時、エリンもイアルも疲労疲弊しているせいか滅多なことで人には語らない話すべきでない自身の生い立ち、政治や自ら置かれた立場に対する憤りや本音をポツポツと胸の内を語り合ううち徐々に親密になっていきます。

 

 

個人的にエリンがイアルを治療するシーンは特に好きなシーンで、深い仲どころか昨日今日であったばかりで心の深い部分までを語り合ってしまったしまったことに、

お互い「どうかしている」と苦笑し合うのがなんだかほっこりと胸を暖かい気持ちにさせられました。

特に最初の闘蛇の襲撃での治療は人との関係に距離を置きがちなエリンがまともに話したのは今回が初めてなのに、イアルに対して色々と打ち解ける姿にはニヤニヤさせられ、青い鳥文庫版では上記の治療のシーンの挿絵がある章は何度も読み返してしまいます。

 

幼い頃に家族と引き離され、<掟>によるしがらみに苦しめられた過酷な生い立ちのためか冷静に物事を眺めるように生きてきて、山奥の湖や冬の森のような静けさと喩えられるほどの実年齢以上の落ち着き。上記の境遇と秀でた才能を持つ故に他人から共感を得られにくい性質からどこか世間離れしていて孤立しがちながらも周囲の人間関係に恵まれているなど、境遇や性質など似通った部分が多くどこか通ずる匂いを嗅ぎ取ったのでしょう。

 

後半に差し掛かって、親友のユーヤンと別れたことや王獣を操る術を目を付けたダミヤにカザルムの者たちや友人たちを人質にされ、リランとの信頼関係に亀裂が入ったことで精神的に不安定な上に味方がいない状態の中、エリンが相談できる心強い味方ができた時とても心が穏やかになりました。

 

エリンがイアルに惹かれた理由は、似通った性質や理解しづらい孤独の理解者など精神的な部分が強いと思うのですが、最近少し思うのは、エリンがイアルが簡単に死なないのも選んだ理由の一つでもあるのではないかと思うのです。

幼くして早くに唯一寄り添える身寄りの母を失い、育て親のジョウンも僅か4年で死に目にも会えぬまま別れてしまいます。

そんなふうに立て続けに大切な家族を失っているエリンにとって強く手練れの刺客や闘蛇と戦って返り討ちにするなど、簡単には死にそうにないイアルの強靭さはエリンにとって、家族にする相手としてとても重要なポイントの一つだったのかもしれません。

 

王獣編にて関わる回数は数えるほどしかありませんが、そのわずかな2人のやり取りが、静かながらもとても濃厚で深く印象を焼き付けられたのです。

 

リランによって命を救われたイアルとリランの命を救ったエリン。リランによって間接的ながらも繋がった奇妙な縁は、語り合いの末にて国と獣達を蝕む陰謀を打ち砕く解決策を見出すのです。

 

エリンと獣の物語と王を守護するイアルの2つの物語が出逢うことで大きく展開していくストーリーも見所のひとつでもあります。

 

 

束の間の平穏 刹那の幸福

 

その後、本編終了の続編や番外編の刹那にて黒幕であるダミヤを討ったイアルは<堅き楯>を辞め、<堅き楯>以前からの親友であるヤントクの伝手で家業であった指物師として暮らします。ハルミヤ暗殺の黒幕という謀叛者とはいえ、私情混じりで王族であり新たな真王セィミヤの肉親で婚約者を殺害したことによって疎まれ、自ら責任を取る形で<堅き楯>の誓いを解いたのです。

 

続編である『探求編』の開幕は、『王獣編』の降臨の野(タハイ・アゼ)での騒動後、自分の見解を交えながらの歴史とともに大きな変動を迎えた情勢や政治的に目をつけられることになったエリンの今後を案じる心情を書き綴ったイアルの手記から始まります。

 

<堅き楯>の地位も富も捨てたイアルは、多くの命を殺めてきた凄惨な過去から独り鬱屈した日常を過ごしていましたが、約2年後に王都で王獣の異変の調査を依頼されていたエリンと再会したことで逢瀬が始まります。

 

それ以来、エリンは何かと理由をつけてことあるごとにお惣菜の残り物や食材を口実にまるで餌やりにやってきてはとっとと帰っていくのが煩わしくなって夕食を共にするようになり仕事のことで相談したりと、徐々に距離を縮めていきます。

最初は自責の念からエリンとの距離を取ろうと必死だったイアルだけれど、エリンと共に過ごすしていくうちにますます情を募らせ離れ難くなり、最終的に自らの人生に対する後ろめたさからエリンと関係を持つことに拒むイアルに対しても力強く手を差し伸べ続ける(それはむしろ押し倒してくれと言わんばかりに)エリンに手を伸ばすことになります。

 

結ばれることへの葛藤や国や立場からのしがらみ、生き別れた妹との再会に対する葛藤と悔恨が残る母との別れ、そして母子ともに命をかけた出産など試練を乗り越え、最終的にエリンと結ばれ、ジェシという子供を儲け、共に家庭を築いていきます。

 

2人の立場や難産など苦労あって2人の間に産まれたジェシは両親譲りの頑固さとは反面、

口数が少ない両親と異なり、というかその反動かとても口達者なやんちゃ坊主で会う人会う人誰に似たのやらと口々に言われるのがお約束です。母親譲りの利発さと父親譲りの俊敏さを持ち、半年にして這い這いをはじめて<神速>の片鱗を見せつけたり、2歳にしてすでに口達者で片言ながらも屁理屈をひねくり出すほど。

リランの娘であるアルのことはアル姉ちゃんと呼び慕い、王獣舎に忍び込んでは菓子をやったりして母やエサルに嗜められたりもしばしば。

両親が悲劇に見舞われずそのまま平穏な幼少期を送れた場合の姿とも考えられますし、もしくはジェシの祖父でありエリンの父であるアッソンに似たのかもしれません。

ちなみに、ジェシは母の背中を追うように獣ノ医術師を目指してカザルムに入舎しますが、入舎ノ試しの際に書いた志望理由の作文には、「ぼくは王獣が大好きだからお母さんみたいになりたいです」と、大きな文字でデカデカ書かれていて、入舎時の年齢が違うとはいえ生き物たちの在り方を知りたいと深々と書き込んだ母親とは大きなギャップがあり、試験官のトムラ同様笑いを堪えきれませんでした。

 

『刹那』では、夕餉を共にしたり、エリンのお洒落着に両者ドギマギしたり、祭りでデートしたり、同棲したりと激動な本編では想像つかないくらいごく一般的な似合いの男女2人のありふれた幸せを噛み締めています。

エリンとの関係に戸惑っているイアルの相談に乗りながらも喝を入れて背中を押す戦友のカイルや祭りデートで高級料亭をお膳立てするヤントクのイアルの友人2人もイアルには幸せになってほしいとナイスアシストです。その節々の描写だけでもイアルの人望の強さが伺えます。

 

祭りの露店で買ったお祓い葉をエリンがイアルの平穏を祈りながら背中を撫でて、なかなか堅気の世界に馴染みきれずにいるイアルに、

「あの(堅き楯の)ころより、いま(指物職人)のほうが、すっといい」

と、優しく「今」を肯定して背中を押すエリンに、じわりと言葉にできない感情とともに目頭に熱が込み上げるイアル。そんな彼らのささやかな幸福を暖かく祈らずにはいられません。

 

 

『刹那』から8年後の『探求編』『完結編』にての夫婦仲は睦まじく、闘蛇乗りとして遠方の大公領にいるイアルからの手紙やジェシの入舎ノ式に駆けつけたイアルに心ときめかせたり、息子に自分たちの馴れ初めをはにかみながら語ったりと子持ちになっても恋する少女のようなエリンは少女だった本編よりもむしろ若々しく感じるほどです。

子供の頃、意味が分からずに口ずさんでいた夜明けの鳥(艶歌)の歌を母親になってから聞いて初夜を思い出す描写や幼い記憶を辿りながら母との思い出の料理である猪肉の葉包焼きをジェシに振る舞う姿は、子供の頃からエリンの物語を読んでいる身としては感慨深いものです。

 

エリンとは距離を取りながらも惹かれ合い、結ばれ、子を成し、父として指物師としての8年間。長いようで短いけれど確かな平穏を束の間ながらも家族と共にイアルは過ごしました。

 

「……ここまでね」

 そう言ったとき、つかのま、脳裏に天を舞う王獣の姿がひらめいて、消えた。

「ああ、ここまでだな」

 イアルはつぶやき、腕をつかんでいた手をあげて、エリンの頭を抱いた。

 エリンは引き寄せられるままに、その胸に頬をつけた。

「生まれて死ぬまでのあいだに」

 イアルの胸から、こもった声が伝わってきた。

「この十年があって、よかった」

 それを聞いたとたん、また涙があふれた。声がでなかった。

 この十年があって、ほんとうによかった。心の底でいつも、長く続かぬ平穏であることを感じてはいたけれど、それでも幸せな日々だった。

 いま、あの日々は終わる。そして、新しい日々が始まる。

『獣の奏者』探求編 第五章・新たな道へ 5.ふたつの道 p463より

 

上記の言葉からも波乱万象の生涯を経たエリンとイアルの幸福が確かであったことが十分に溢れでています。

 

瞬き程度の瞬間だったとして愛する人との平穏な日々がひと時が存在したと………それだけでも優しい眼差しに暖かさを滲ませます。

 

 

アニメ版との相違

 

アニメ版ではイアルの設定が結構変わっていて髪の色が黒髪ではなく茶髪だったり、家業の職業が竪琴職人で父の死因も地震が火事に変わっており<堅き楯>に才能を見込まれた理由も変更しています。

原作にはなかったイアルを<堅き楯>へと引きこみながらも掟を破った恩師をイアル自ら討つ話やダミヤの密使でワジャク(大公領民の蔑称)を憎む仮面の男との因縁など、『獣の奏者』の世界観をわかりやすく引き込むイアルと縁のあるオリジナルキャラクターとのストーリーも展開されています。

 

エリンとの出会いも原作ではエリンが大人になった終盤で出逢うのですが、アニメ版では前半のソヨンを亡くしたばかりでジョウンに引き取られた幼少期に出逢います。

それ以降も、少ない回数とはいえ原作に無い接触やニアミスも節目ごとにあり、

物語の中でとても重要な存在となるエリンの竪琴作りにも関わっていたり、イアルとエリンが<血と穢れ>(を騙ったダミヤの密使)に狙われながらも解毒薬を届けにいくという上橋先生原案のアニメオリジナル回があったりします。

 

アニメ版でイアルを竪琴職人にしたのも竪琴で2人を結びつける目的があり、

アニメでのエリンの竪琴は、イアルが<堅き楯>として連れて行かれた際に母から別れの餞別に貰ったもので、その後エリンに手渡されのちに王獣の鳴き声に合わせた音にイアルの指導のもと改造されるという流れにすることで、2人の関わりを早いうちから視聴者に印象付けるための工夫です。

原作でエリンが歌う恋歌として(幼いため艶歌ということを知らず耳コピして再現)ほんの少しだけ登場する「夜明けの鳥」が、アニメでは母親の子守唄として(聞き方によっては恋歌とも捉えられる)イアルが演奏した「夜明けの鳥」をエリンが気に入ってその後、何度か歌ったり演奏します。

 

個人的にエリンとイアルの出会いが早まったことで「冬の森のような人」と想いを馳せるくだりが無くなったのは残念ですが。なんせ出逢いが10歳の少女の時なので、無理なのはしゃあない。

 

 

ちなみにこちらは完全に私情による余談ですが、イアル役の鈴村健一さんがとても好演でした。

当時はイアルとは正反対の明るくおちゃらけた役(どちらかというと親友のカイルのような)が多かったので、イアルのようなクールで物静かな役を演じたのはとても意外で、こんな普段と違った役もできるのだとそのギャップから鈴村さんのファンになったきっかけのキャラクターでもあります。個人的には、イアルのようなクールでストイックな傭兵風な役の方がハマる役なのではないかなぁと低音演技好きな勝手な見解を抱いています。

鈴村さんいわくイアルを演じるにあたって、自分と似た部分の引き出しを意識しながら、「何を考えているのかを見せないよう」を心がけて演技したとのことです。

 

時に冷徹なまでの冷静でストイックな中にある優しい部分や人間臭い部分をうまく引き出している鈴村さんの低音クールな役が好きで、鈴村健一さんのイアルの演技がイアルも鈴村さんも好きになるには十分すぎるほどの好演でした。

 

 

終わりに

 

人文学者由来の造詣が深い上橋菜穂子先生が構築する独特な世界観で展開される獣との絆を中心としたエリンの物語に、さらに味わいを加えるのは、その世界観で繰り広げられる国の歴史や政治に焦点を当てるもう1人の主人公イアルの物語。

 

自然や未知なる存在達へと挑んていく主人公国の政治や情勢を索っていくもう1人の主人公。

上橋菜穂子先生の壮大なストーリーには2人の主人公による視点が不可欠で、政治方面に焦点を当てたもう1人の主人公は物語を深く掘り下げる重要な存在でとても魅力的なキャラであることも書き綴りたかったのです。

 

とはいえ、色々とあって半年近く試行錯誤した結果、結局もう1人の主人公イアルもといイアエリのCP語りになってしまいました。本編読んでいても、イアルおよびイアルとエリンの関係性が特に好きだったのと他にもまとめたい項目があり、まとめるのに難航してしまい、結局新年迎えてしまいました。

 

ぐだぐだで申し訳ありませんがまだまだ書きたい部分はあり、まだまだ続きます。次は特に『獣の奏者』が自分の中で心に焼き付く一冊となった要素である、獣に対してのシビアな部分を書いていきたいと思っています。予告しておいて結局書けなかったテーマも次回書いていきたいと思います。

生暖かい目でもし見かけましたらよろしくお願いします。