軍艦香椎顕彰の碑 | おもいつくままに

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なにをかくやら

福岡市東区にある香椎宮、楼門をくぐり本殿には行かずに

右に足を進めるといろんな石碑があり

そのなかの一つに「軍艦香椎顕彰之碑」がある。


軍艦香椎とは


ウィキペディアにはこう書かれている


香椎は旧日本海軍の香取型練習巡洋艦3番艦。


艦名は、福岡県の香椎宮に由来している。


練習艦として建造されたが、長距離練習航海には
使用されないまま実戦投入され、
船団護衛中に空襲で撃沈された。



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 画像はウィキペディアから






 さて、顕彰之碑とは


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                         碑にはこう刻まれている       

                         (改行、お許し願います)

          軍艦香椎顕彰碑


軍艦香椎は、練習巡洋艦として姉妹艦香取、鹿島に次いで
昭和十五年七月十五日、三菱重工横浜造船所にて竣工した。


初代艦長岩渕三次大佐、香推宮に詣で、
御分身を請願され、守護神として奉載し就役す。


既に時局は、急を告げ、旗艦として直ちに南部仏印に
進駐の陸軍部隊を護衛し、サイゴンに進出す。


大東亜戦争開始に当り、わが国の運命を屠して敢行せる
山下奉文将軍麾下第二十五軍の大部隊の船団を護衛し
タイ国シンゴラ・コタバル等の上陸作戦を支援し
シンガポール攻略の端緒を開く。


以後全作戦の支援を主任務とし、南支那海は勿論
西は、印度洋、東は遠くラバウルに至る広大なる海域を
総航程一万五千浬に及ぶ作戦行動に従事す。


 昭和二十年一月十二日


第一〇一戦隊の旗艦として
航空燃料等の強行輸送船団を護衛し航行中
仏印キノン沖で


敵機動艦隊の艦載機延べ300有余の執拗な
攻撃を受け、克く奮戦激闘したが
被害累積して十隻の船団悉く撃沈され


「最後に香椎は魚雷二本、中部および後部に命中」

艦は一瞬にして棒立ちなるも機銃は尚も応戦


司令官渋谷紫郎少将、艦長松村翠大佐以下死闘後

遂に力尽きて艦と運命を共にし者、便乗者を含め一千余名
生存者は兵員僅か十七名に過ぎず。


死しても止まざる殉国の気魂は米軍をして心胆を寒からしめ
深く感銘を与え敢えて戦史の記録に特筆せしむ。


想うに


かくの如き勇猛果敢にして従容として
死地に赴いた崇高なる精神は
光栄ある我が海軍の精華にして
永く歴史に躍動するであろう。


ここに軍艦香椎の顕彰の碑を建立し
艦と共に短い生涯を閉じた英霊の勇戦と労苦を偲び
祖国日本の興隆を祈念する。


    昭和五十六年五月十日


    軍 艦 香 椎 会


碑の周りには、お亡くなられた方々のお名前が刻まれた石碑が・・・


                            合掌



 無学なため下記の文字の読み、意味がわからず調べた


  屠して (ほふるして) 敵を破って


  麾下  (きか) 指揮のもと


  克く   (よく) よくぞ


           間違っていたらゴメンナサイ。