皆さま

 

ありがとう存じます、きぼうです。

 

 

何かと自粛生活が長引いたご時世、

 

孤立感を抱えたままの方々が

 

武漢ウィルス以前より増えています。

 

きぼうブログのご縁で

 

ご家族様から

 

ご相談頂いたりしておりましたので、

 

🎶行きはヨイヨイ帰りは、、、のお話、

 

苦手な方は

 

スルーをお願いしたい、所ですが!

 

あえておどろおどろしい例文を

 

考えてみました、

 

転用はお控え下さい。

 

分かるよあなたの苦しみそれって

一体誰のせい?そいつをみんなで

潰したらレイワな未来が待っている

キョウにでもさっサとやらン?

 

偽共感?犯人捜し?粛清?

 

発想が

 

全く我が国の国柄と相容れません!

 

尊い国民の義務である選挙投票ですらも

 

有権者がよくよく吟味しなければ、

 

広義において

 

政党側からの

 

マインドコントロールになり得る事実を

 

忘れてはなりませんよね。

 

 

悩める心に“寄り添う“のか?

 

“つけ込む“のか?

 

SNS上での優しい出会い。

 

ミステリアスで親切で話も合うし楽しい!

 

私の事を分かってくれるし。

 

そして全人類の為の

 

「普遍の真理」を見いだした!

 

彼等と共にもっと教えを実践してみたい!

 

 

そうこうする内に

 

世の中には二種類プラスアルファの

 

人がいます。

 

一種類目は新興宗教に入る人。

 

二種類目は新興宗教に入らない人。

 

プラスアルファは

 

新興宗教に入ったけど、出て来た人。

 

(私は二(三)世信者なので

 

正確な入教時期など曖昧ですが)

 

“主観的“出て来た期間も

 

さらに長く続きますので!?

 

本記事読破に挑戦なさる方は

 

随所にちりばめられている違和感に対する

 

そのご感覚は大切ですので、

 

そのまま保たれながら

 

お読み進め下さい。

 

 

、そんな長い間“あっち“で

 

ナニしてたんですかぁ!?」

 

「御旨(みむね)を歩んでおりました。」

 

「、えッ?ナニソレ」

 

 

(これは極めて個人的経験値で、ですが)

 

幾つかの民主主義国家において、

 

多少の縁と今日も元気だご飯が旨い!な

 

心身さえあれば

 

雨風を凌ぎ、

 

自己の生命維持の為に

 

あくまで「最 低 限」の糧を得る事は

 

それほど難しくはないと感じます。

 

しかし

 

現代ニッポン社会

 

モノは溢れて心が虚しい

 

あべこべな社会でありながら、

 

出て来た問題は自己責任で片付けられ

 

人同士が善き関心を寄せ合わないのに

 

遠目な世間の常識は依然存在する。

 

厄介事が起きれば

 

本質を我が事として理解しようとせず

 

互いへ罪の擦り付け、

 

或いは

 

福祉や行政シゴトに放り投げるから

 

手落ちも出る。

 

精神的に居場所がない、

 

日常に漠然とした不安を感じる、

 

などの方々は

 

ますます

 

どうしていいか分からなく

 

動けなくなっているのでは

 

ないのでしょうか?

 

 

私にとって祖国で難しい事二つは

 

其の壱、お金とのお付き合い。

 

まず献金ノルマ有りきの世界から抜けると

 

生活費を差し引いた

 

収入は手元に居るままですが、

 

どの辺りからが我欲で

 

どのあたりまでが自己投資なのか?

 

罪悪感から

 

やっぱりなかなか抜け出せず

 

お金に“旅をさせる“事の方が

 

何倍も複雑!

 

自分の生き(学び)直しへの配分と

 

日本国籍保持者への配分バランスが

 

難しいです。

 

 

其の弐

 

「履歴書に書きようのない人生」を

 

一切封印して、

 

全くの別人として振る舞ったり

 

生きることは

 

自分自身が不自然に感じるし

 

社会もそれを許しません。

 

日常の実生活でも

 

私の風変わりな背景に

 

ご関心下さる方々いらっしゃいますが、

 

帰国子女でも

 

駐在員妻でも

 

バリキャリウーマン現地企業勤務でも

 

なかった!?と知ると

 

「で、、今まで一体

ナニしてたんですか?」

 

「何してたんですかあ?!!」

 

 

(旧統一)・家庭連合現役信者の家族からは

 

「開拓宣教、成約聖徒の誉れが

 

天宙の恥さらし、裏切り者!

 

今さら何で帰って来た?」

 

「何で?落ちたのよ!!!」

 

(信仰につまづく、背信、の意味。

 

信者は非原理世界=仏教でいう娑婆に

堕落しないよう

日常において信仰生活を送っている)

 

双方、つまり

 

私から見れば二つの“あっち“世界から

 

怪訝な表情で

 

山びこの如く投げ掛けられる問いが

 

二年も続けば、

 

どこからどこまでを

 

どんな風に説明すれば良いか

 

分からなくなってしまいました。

 

 

加えて

 

殉教した実家の母以上に心情の絆を結び

 

手塩にかけ信仰を育てて頂いた

 

責任者夫人にも

 

お目通り叶わなかったのは

 

私はもう、あちらでは

 

既に亡き者と扱われているからでしょう。

 

かつての自分も

 

落ちてしまったと耳にした仲間へは

 

衝撃と無念さでいっぱい、

 

前途祈る余裕などなかったですから。

 

 

恥の多い人生です、

 

勇んで突っ走って転んだ者の成れの果ては

 

令和の浦島太郎、

 

今どきあんなことも知らなかった

 

こんなことも分からない、と

 

疲れて果てて塞ぎ込む時もあります。

 

 

そんな時ふと想い出すのは、

 

かつての外地流転

 

日本人との出会い、語らいはおろか

 

日本語の活字に飢えても触れられず

 

せめて、

 

拾ってきた現地語古新聞を

 

舐めるように(読む、より)凝視

 

分かる単語をつなぎ合わせ凌いだ日々や、

 

皇國からの恩師を変わらず思慕しつつ

 

同時に

 

両民族の行く末も案じていらっしゃった

 

韓国、臺灣他日本語世代の方々の

 

古めかしくも端正な日本語の響き。

 

コーヒー色の肌の人々の地では、

 

初め各々目を吊り上げた仕草で

 

こちらにワラワラ駆け寄ってきて連呼の

 

「シニー!(支那人!)」  

 

もとい!居ずまいを正して

 

「ようこそ!

“レディ⋅ ライジング  サン“」

 

「あの“Oshin“(ドラマおしん)は

 

達者でいるかい?」

 

 

全人類を救う

 

真の父母なる神の御(み)言葉と愛を携えて

 

遠路はるばるやって来た布教者の私、

 

では、

 

なく

 

単なるこの「日本人」を

 

もてなそうと躍起になるご町内の皆様。

 

 

 

 

日本(にっぽん)、人(じん)、、、?

 

 

 

 

 

朝鮮を侵略した野蛮なサタン国家

 

この上なく

 

残忍で卑劣な日本人の罪を償う為、

 

私は神の道具として

 

より苦労の行くべきだ!

 

昭和30~40年代に吹き荒れる

 

左翼学生運動期には

 

公開討論

 

ゲバ棒メッタ打ちも想定の

 

殉死覚悟にて

 

真新しい白下着を内に付け

 

「共産主義は必ず滅びる!!」

 

大規模共産党大会に乗り込まれた先輩方。

 

(私個人の認識として

 

注、韓国発祥の旧統一、の教祖は

 

日本統治期の教育を受け

 

内地に留学もしているので

 

良い意味でも悪い意味でも

 

日本人理解にも長けていたと感じますし

 

彼の宗教的摂理の観点から

 

共産主義発展を許容出来なかった。

 

我が国の左傾化に危機感を持った

 

市井の若人から当時の有名無名言論人、

 

北朝鮮に対峙する韓国の保守派クリスチャン

 

台湾に敗走大陸復帰を掲げる國民黨

(蒋介石元総統はクリスチャン)は

 

アジア諸国の赤化阻止活動を共に断行。

 

現在でも

 

韓、台エリート達にとって

 

クリスチャンであることは

 

一種の社会的ステータスを意味します。

 

親日家であるか否(いな)かよりも。)

 

 

昭和50年代から平成初期にかけて

 

日本中を騒がせたノストラダムスの大予言、

 

霊能力者・宜保愛子女史など

 

心霊ブームがもてはやされる中

 

人類の永遠の真理を求めて

 

旧統一の信者も急増、

 

同時に

 

左翼系キリスト教牧師らにより

 

信者のご両親の不安につけ込んで

 

法外な報酬金と引き換えに

 

棄教を強制する拉致監禁ビジネスも

 

急増しました。

 

廃人になるまで追い込む数々の折檻、

 

12年5ヶ月 監禁

 

餓死寸前まで食事を与えられなくとも

 

屈しなかった方もおられます。#後藤徹氏

 

 

“悲しい日韓歴史の架け橋に“、と

 

願われれば

 

水道や電気がまともに通っていない地方の

 

酒乱、暴力、無職者であっても

 

神の国の選民であるというその一点で

 

かの地の男性へ

 

일본(イルボン日本)며느리(ミョヌリ嫁)の


民族的贖罪として

 

合法的強姦をひたすら耐えるお姉さん方。

 

(注、クリスチャン犠牲精神の伝統と

 

教義中の日本はサタン国家という、

 

自虐史観が混ぜられた悲劇)

 

私はその頃韓国で花嫁修行中、、、

 

もちろん

 

全てのご家庭で、ではありませんでしたが

 

私が寝起きしていた教会へ避難してきた

 

お姉さんのお話をお伺いしたり

 

身体の青あざが増えているのを見る度

 

“私はまだまだ

 

信仰に対する

 

勝利基準を立てられていない、

 

先輩方だけに苦労の道は行かせない!“と

 

反省と決意の日々だったのです、、、

 

 

 

(続く)
 

 

 

 

 

 

(お壺や仏像のことは

 

苦しくても

 

また いつか書くかもしれません。

 

自宅にもありますから 、

 

忘れていないです。)