祖国の皆さま、きぼうブログを御覧頂き、

感謝いたします。

 

お元気でいらっしゃいましたか?

 

記事掲載が遅れましたことを

お詫びいたします。

 

とりわけて、どなたかとお約束を

しているわけでもありませんが、、、

この世のどこかに、お一人でも、

更新を楽しみにしていらっしゃったら、、、

そんな風に感じております。

 

これらの記事は家族史的な内容も含みつつ、

長年表す事の出来なかった

母へのオマージュ(敬意)でもあるのですよね。

 

ここで、お恥ずかしいながら、、、

きぼうのお宝写真、公開です!

 

 

1歳8ヶ月頃の私と、30歳前後の母。

50過ぎの晩年まで、見かけはほとんど変わりませんでした。

 

(私がしっかり手に持っているのは、

 マルハの魚肉ウインナー、、、

 おやつだったのかな、、、?ハハハ!)

 

そして、気恥ずかしくもありながら、これらの

記事はあまりネットを使わない私の妹にも

読んでもらえたらいいなとも願っています。

そうして、もっと客観的に自分の信仰を省みて

ほしいのです。

 

 

さて前回では、生まれては来なかったけれど、

母のお腹には、新しい命が宿っていた、、、

すなわち初孫の私に、本来は父親の違う

お兄ちゃんか、お姉ちゃんがいたんだ、、、

 

                  (写真はお借りしています。)

 

母は、闇に葬られた赤ちゃん、『水子供養』を

熱心に行ったり自分自身の実家や嫁ぎ先

(つまり私の実家)の代々家系がどのように

供養されているのかを、

詳しく調べるようになりました。

 

そしてご先祖様も共に救われる道、弥勒

(みろく)信仰の教えに感銘を受け、弥勒さま、

多宝塔などを授かる事を通して、

この恩恵を皆に広めたいと、

布教活動に喜びを見出したのです。

 

 

さて、ここで弥勒(みろく)信仰 とは、

一体なんでしょうか?

 

我が国では古くは飛鳥時代より信仰が

続けられてきました。

 

”現在仏”で あらせられる釈尊 

(お釈迦様)に対 して

”未来仏” で あらせられる弥勒様を

信仰することです。 



会話力や容姿など、大して人の目を

引く訳でもない素朴で地味な母でしたけど、

 

嫁姑問題、夫の女グセ、家庭内暴力など、

家族問題で苦しんでいる友人知人などの話に

傾聴したり、家事を手伝ってあげたりして

奉仕を続けていた様に記憶しています。

 

そうしたら、そのご家庭、ご家庭の状況が

段々と癒され、不思議な事にやがて

朗らかな笑い声で満たされてゆくのです。

 

だからその方々も喜んで、弥勒さまをご自宅に

授かられて、今度は一緒に奉仕活動したり、

読経したりして交流の輪が広がりました。

 

実は、これらのお話をブログに書こうかどうか

迷っていたので、なかなか筆が進みませんでした。

 

集中出来ず、母の心情を想うのですが

何かがもやもやしてしまうのです。

 

ふと、受け止めたような感覚に陥ったのは、

図らずも

「私は加害者なのか。」

そんな深い悲しみです。

 

 

なぜなら、この教えには再び弥勒菩薩が

この世に現れ、生きとし生ける者を救う、と

いう箇所があるのです。

 

そして、ちょうどたまたま母の所属していた

弥勒信仰の団体は、韓国発祥のある

キリスト教系ともつながりがあるのでした。

 

韓国発祥の、、、キリスト教系の、、、

そうです。

 

 

あの旧統一きょうかいです。

 

皆さまは、

主に活動が外地での宣教であったと

しても、私が元信者としてどんな実態を

暴露するのか好奇の目をお向けですか?

 

或いは、

元信者のクセして、罵詈雑言の限りを

叫びながら教会批判しないので、

「 コイツ、まだ現役じゃないだろうな? 」

いぶかしがっていらっしゃいますか?

 

 

そうですね。実際そういったコメント、

過去いくつか頂いたりしましたので、、、

 

私は、伝わりやすさに留意しながら、

誠実に表現させて頂くだけです。

 

この団体にご興味のおありの方は、

他の宗教団体さんと同じく、グーグルや

ブログ村などでも現役派、アンチ派、

中立派その他、

 

たくさんあると思いますので、そちらの

方を検索して、御覧になられたら

よろしいかと思います。

 

 

元信者の方々の喜怒哀楽、共感できる所も

あります。

 

私の母も、この教会のことを背負い込み

すぎて、早くに旅立ったようなもの、、、

そんな風に思ったりしたこともありましたね、、、

 

ですが、過去の恨みを強調して、激しく罵る

反対派記事を拝見しているだけで、

なぜか私の思考は止まってしまうのです。

 

ものすごく疲れて、読み進められません。

 

離教後、私も色々と不安定な時期を

通過しました。

詳しい記事はIchi市と私の鼓動の世界

など書いてありますよ。

 

 

ハテ、、、?以前、どなたのブログだったか、、、

 

「近所に、ハングルと日本語を話す家族が

 いくつか固まって共同生活し始め、

 韓国語の聖歌らしきを歌っていたのを

 聴いた」という記事を拝見しました。

 

すると、あるブロ友さんが、

「うわー!それってヤバくない??

 警察に通報したほうがいいよ!」

 

とコメントされていらっしゃり、

苦笑してしまいました。

 

もしかしたら、、、

私も、このご家庭は旧統一の

信者さん方かな?とも思います。

 

そしてこのブロ友さんは、よほどご関心を

お持ちとお見受けします。

 

その様な家庭を見つけられたら、

今度、ためしに、お訪ねになられたら

宜しいかと思いますよ。

 

真心からの歓迎を受ける事はあっても、

彼らは、皆さまを怖がって、

通報したりしませんから。

 

世間では、いぶかしがられる

旧統一きょうかいの結婚ゆえに、

日本人の奥さん側はご実家の理解を

得られず、頼れる人もいなかったり、

 

旦那さんも言葉が上手く通じず、

仕事もなかなか決まらなかったり、、、

 

だから、ほかの恋愛結婚のカップル

よりか、我が国に住む旧統一信者の

外国人配偶者の定住は少ないです。

 

それでも何らかの理由で来日した家庭は

同じ境遇下の者たち同士、子供たちの

面倒を見ながらお互いに助け合って

暮らしているのでしょう。

 

そして、法律云々ではなく、

 

”貞操観念は、配偶者だけへの純愛”

”救いは個人個人にもたらされるのでは

 なく、家庭にもたらされるべき”

 

信者もこのことを真摯に実践、

維持しておりますから、

 

複数の家庭が同居していても、

男女問題は起きません。

 

それらの点は、普遍的な価値観として

私は、宗教云々に関わらず、

今でも尊いと思っています。

 

 

宗教は、別にスキャンダルを起こす為に

存在しているわけでもないですよね?

 

でもとりわけて教えの本質から

切り離され、異常性ばかりが

マスコミでは強調されますよね?

 

 

なぜでしょうか?

 

 

新宗教の信者さん方は、(昔の私も含め)

信者同士だけが

その教えの価値を知っていて、

 

それ以外の人には

チンプンカンプンな考え方をします。

 

信者同士だけにしか通じない言葉を

使い、

教えの価値観を共有して、

 

自分の教祖は偉いのだ、と言っています。

 

でも外部の方から見るとそれらが一切通じず、

信じる事できません。

 

 

長くなっておりますネ、

お疲れではいらっしゃいませんか?

 

次回では、母が命がけで私に願った事、

 

      大正生まれ、今も元気一杯で

      揺るぎなき現役信者、

      母方祖母のお話に

      移らせていただきますね。

 

 

そして、花うつくしき、やまとなでし子、

母のお嫁入りの姿です。(自宅の座敷にて撮影)

 


 

親馬鹿ならぬ娘バカ?とってもきれいなので、

時々取り出しては、悦に浸っていました。

 

思えば、私、このお衣装には袖を通した事が

ないので、眺めて自分もハレの日の

気分を想像していたかったのかなァ?

 

 

昭和の香りですね~

 

おふく様や、博多のネネ様もこの様な色打掛を

お召しになられたのですか?

 

寺本様は?まっちゃん兄、トリトン様、まめ助様、

トミさん、おやじ様、夢曼荼羅様は?

 

紋付袴、、、渋い和装は、

今のご年齢が一番よく、お似合いですよ!

 

このブログを御覧の全ての方が、

 

お幸せであられますように、、、照れ

                祈~

 

晩年の母が好きだった、鼻うたです。

父も少年の様な不思議な表情で

聴き入っていました。

 

 

1. 
主はわが牧者(ぼくしゃ)わが飼い主(ぬし) 
わが生命(いのち)の君なれ 
緑の野原に谷川に 
われを導(みちび)きませり 
主こそわが牧者、われは主の羊 
日ごと夜ごとわが生命をば 
育(はぐく)み生(い)かしませり 

2. 
小鳥の歌う清き朝に 
夕日照らす日暮れに 
愛するわが牧者の声が 
われを常に呼びたもう 
主こそわが牧者、われは主の羊 
日ごと夜ごとわが生命をば 
育(はぐく)み生(い)かしませり 

3. 
悪しき者ややに迫(せま)るとも 
憂(う)き雨風(あめかぜ)襲(おそ)うも 
強き御手(みて)にかき抱(いだ)かれし 
われに恐れはあらじ 
主こそわが牧者、われは主の羊 
日ごと夜ごとわが生命をば 
育(はぐく)み生(い)かしませり