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誰でもこの世に生を受けたものは若い時があり、老いも有ります。

私の親もこの先の夢を持って結婚した筈です。この時代は(昭和19年)お見合いが当たり前の時代  母も十代で一度は東京へ出ましたが東京の空襲が酷くなり僅か6ヶ月程で長野の木曽へ帰ったそうです。

その後地方事務所の総務課の受付にいた時に、私の父の父親が村長でしたので、出張がよくあり、たまたまお気に召したようでうちの次男坊の嫁にとお誘いが、でも、まだ若いし、仕度もあの時代でまともに出来てないと断り続けていたのだそうですが、あの手この手で誘われて、断わり切れなくなり、19歳で私の父の元へ、、、。
上の写真が私が2、3才の頃撮った三人でのたった一枚の写真です。

この後私は結核性の腰椎カリエスになり、歩く事は出来ても立って歩く事も許されず、(背骨が病で侵されて、膿が出てたので)12才で療養所に入る迄ハイハイの生活でした。当然小学校も入学出来ませんでした。若い母は私の為に毎日背中のガーゼ交換をやってくれていました。

あの時代は結核が流行り殆どの人はうつされると今のように医学が進んで無くて亡くなる人が多勢いました。
そして長男である伯父夫婦も一人娘でまだ赤ちゃんだった子供を残して逝ってしまい、兄妹の真ん中の伯母も、父も又この病で38歳で倒れ、一年入院の末、数え歳40歳で逝ってしまいました。
私の8才の時でした。

その後母は父が務めていた役場に、私は12才の夏まで家で母の仕事を終えて帰るのを待つの生活をしておりました。

時を得て、12才の夏私は療養所へ入所
昭和32年7月の事でした。それから4年はギブスの舟の上に寝たきり、時折肘たてで上半身を起こす事はありましたが、基本は寝てないと駄目   でした。勉強は分校と言う事で、学校の先生がベット学習をしてくれました。


16才の時   医学が進歩してそのおかげで私も背骨が固まり快方に向かい、ただ  弱い背骨  そのままでは歩けないから骨盤の骨を継ぎ足しましょうと手術をし、18才の春やっと晴れて退所    

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実は母と今の父は私が14才の時再婚しました   私の父の11人兄弟の下から二番目の弟で、小姑がいっぱい居た中で、実家へ戻るのが良いという話が出た時、今の父がそんな事は出来るか!と反対して、母を貰ってくれたとか、これは母のはなしです。
私はこの話は今の父が倒れてから初めて聞きました。

私に取っては伯父なのですが、私が家に戻った時からずっと怖い存在の人でしたので、辛かったことがいっぱいあり、何度も私が結婚した後はどうしても我慢が出来ず、チャンスを待って家を出たり入ったりの繰り返し 、でも今の父が倒れた事で、母も入院してる   これは放っては置けないと覚悟を決め、戻る事にしました。一人っ子である私が見なければ誰もみるひとが居ませんので、、、。
今の父は外ではとても人気が有りました。
お葬式には私達が知らない団地の人達が沢山来て下さいました。人気のひとつは皆さんのお庭の植木や花が枯れそうな時、嫌な顔せず手入れをしたり冗談を飛ばしたりで好かれたのでしょう   ご近所のおばさん方は皆さんいまだに   おじいちゃんその辺から顔を出して来そう^ ^だなんておっしゃいます。

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この写真は2011年に私の従弟が撮ってくれたものです   先程のからは随分老いました^_^

随分長々と書いてしまいましたが、何か私の今までの過ぎた過去を日記の様に残してみたくなり、皆さんには何にも関係無いので、随分悩みましたが、私の人生はこんな風で、そして今があると言いたかったんです。
どう感じるか感じないかは人それぞれ、今は私もガタがきましたが、ある程度の自由が持てるようになった事で、幸せを感じてます。長々と読んで頂きありがとうございました。