言葉があふれてる -14ページ目

言葉があふれてる

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「暴れないけど、従いもしない、という感じ?」
従わないのも、それが思春期であり、第二次反抗期だ。
自分で情報を得て、自分で判断するようになり始める頃だからだ。
だから「何故そうすることに疑問を持たれているの?」という疑問を持つのだろう。
わたしは地元の学区ではなく、校区のない私立に電車で通学するようになったのだから、なおさら親の目の届かない世界を体験をするようになって、家族とわたしが離れていったのだろう。

何故わたしは、今だにあの頃を振り返って、その軋轢を解釈しようとするのだろう。
それは結局、その軋轢が解決しないまま今に至っているからか。

「何故そうするのか?」という問いかけを、わたしは「説明を求められている」様に感じた。
歩きたいように歩いていると、遮断機が降ろされ説明を求められる。
それに対して説明を回答し、納得させられたら遮断機が上がって、また続きを歩き始められる。
そんなイメージだったと思う。
結果として、わたしの回答は遮断機を上げさせるため、その前に遮断機を降ろさせないための “理屈” になっていたのだと思う。
それは疑問を投げかける側から見れば、攻撃はしてこなくても “防衛” と感じただろう。
どこに向かって進んでいれば「まっすぐ進んでいる」と判断されたのか?
それは結局 “親の願い” であって、今更探しださなくてもいいんじゃないだろうか。

ただまぁ、「地味でもまっとうな人生を歩んでほしい」 的な“底辺をクリアしてほしい願い” はあっただろうから、“まっとうな人生” から転落したら「お日様の当たらない世界で生きていかざるを得なくなる」という、「夜に活動したら負け組」なイメージは持っているかもしれない。

“勝ち組な願い” が何なのかはわからないけど、下手に “勝ち組な学校” に進学させたばっかりに、周りから「末は博士か大臣か」なんて言われて、プレッシャーだったんじゃないかなぁと思うのだけど。
だとしたら「博士か大臣までは行かなくても、“並” よりは上等になってくれたらいいなぁ」ぐらいの淡い期待は抱いていたかもしれない。
その結果(?)、大学教授が親で会社経営者や海外支社長が親戚のセレブに嫁入りしたのは、さぞかし鼻が高かったに違いない。
「せっかく玉の輿だったのに出戻って、今何やってんのさ?」親戚連中は面白がって、根掘り葉掘りするだろう。

さて、また同じ話になってしまった。
親戚の話はやめとこう。
で、どう脱線していたのだろう?
小さい頃に「宇宙飛行士になれ」と言われて、「宇宙飛行士になるなら英語が喋れないとイカン」と英語教育に力を入れている学校に進学した、という進路自体、目標も何も支離滅裂じゃないかと思うのだけど(笑)
いま宇宙飛行士をしているほとんどの人達は、基本的に本来の専門分野があって、「宇宙での結果を知りたい」という目的のために宇宙に行っているはず。
本来クリエイターな人が、その仕事のステージが世界中になった結果、“ノマドクリエイター” という状態になるのであって、ノマド状態に憧れてなるもんじゃない。

話が脱線した。
あの時の表現は「脱線を注意したら」と言っていたけど、きっとはじめは “注意”ではなく “疑問” だったに違いない。
「何故そうするの?」という疑問に対して、わたしは「何故そうすることに疑問を持たれているの?」と疑問を返していたんじゃないだろうか。
「何かおかしい?」と。
それは受け止めようによっては「そうしたら何かアカンのんかい?!」と反抗しているようにも聞こえるだろう。
わたしの中では何がおかしかったのかわからないまま、向こうから見たら脱線しまくって迷路に迷い込んだままになっている様に受け止められているのではないだろうか。
思春期に迷路に迷いこむのも、珍しいことではないと思うけど。
「どうであれば脱線してなかったんだ?」
「手は挙げないけど理屈で攻撃する人だったのか?」
その両方とも答えが出ないけど、
「Yes」とも「No」とも言わない事については、思い当たることがある。

はち太が「質問に質問が返ってくる」と苛立つ時がある。
「質問に対する返事は「Yes」か「No」だろ?」と。
そういう時はだいたい、わたしの中で「Yes」でも「No」でもない。
どっちでもある、ということの方が、むしろ多いかもしれない。
「Yes」と答えるには、Yesの条件があり、「No」と答えるにも、Noの条件がある。
そのどちらの前提で質問されてるかを確認して答えようとするからだ。
「最近どう?」と言われて「何について?体調?仕事?」と返すようなものだ。

まぁ「最近どう?」は誰もが答えにくい質問であって、わかりやすい例えのつもり。

でも書いていて思ったことが、また二つ。
質問の前提を確認したいということは、結局質問の意味がわからなかった、ということ。
質問に質問を返すと、質問した側は “返答を拒否された” ように感じるのかもしれないなぁ、という事。
わたしは “不良” のイメージだったのだろうか?
“不良” ってどんなイメージだよ?
尾崎豊みたいな、反抗的な感じ?
反抗期に反抗的になるのは珍しくないと思うのだけど……
反抗的だったかもしれないけど、攻撃的では無かったはず。
暴力的ではなかったから。
暴れないけど、従いもしない、という感じ?
うまく説明できないから、「Yes」とも「No」とも言わない人だった気はする。
自分ではそう思ってる。
でもそう言えば、小さな頃から理屈っぽい子供でもあった。

そうだ。
「進路を誤って脱線しそうになって注意しても屁理屈ばっかり並べやがって」的な事を言われたんだった。

いま二つの疑問が湧いた。
どうであれば脱線してなかったんだ?
手は挙げないけど理屈で攻撃する人だったのか?
朝なら良くて、夜が悪い理由は、何なのだ?
夜 仕事するのがダメなことなのなら、コンビニは24時間営業できないじゃないか。
電車だって25時ぐらいまでは走っている。
夜働いている人がいるから、火事が起きたって、トイレが詰まったって、冷蔵庫が故障したって、対応してもらえるんじゃないのか?

“一部の特殊な人” が夜に働いているイメージなのだろうか?
だったとしても、 “一部の特殊な人” になる事はいけないことなのだろうか?

いや違う。
夜に “働く” という問題じゃなかった。
夜 “家にいない” 事が問題だった。
はじめに、家族の夕飯時に仕事から帰宅できなかったことが許されなかったことだった。
帰りが遅くなることに慣れても、夕飯をとってから外出するのはダメなことだった。

で、なんでダメなんだ?
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