やっとこ『大日本人』 | 言葉があふれてる

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この映画は2007年公開。
まっちゃんが1963年生まれの当時44歳なので、劇中の大佐藤大も同じで一世代25年とすれば
おやじが1938年生まれ・生きていれば69歳
じいちゃんが1913年生まれ・94歳
3代目・1988年生まれ
2代目・1863年生まれ
初代・1838年生まれ
てな感じか。
初代は江戸時代になるんだけど、やっぱ『エレキテル』を使ったんでしょうかね?(笑)

勝負パンツのツヤのある紫色とか、先代たちのふんどしとか、特に人気のあったらしき4代目グッズからイメージするのは “力士”。
なんだけど、4代目の頃はゴールデンタイムで視聴率がすごかった→今は深夜「2:40大日」って、プロレス中継か(笑)
力道山の活躍をご近所みんなでTVのある家に集まって見る感じだったんだな。
そう思うと、この「怪獣倒し」が “興行” であり “伝統” でもある、というのがよく分かる。

昔のヒーローは兵隊さん、
高度成長期のヒーローが力道山、
しかし次のヒーローは “サプライズ演出” や “でかさ” で勝負しようとして自滅し、
いまはTVの中で暴れても、お茶の間は冷めた視線を投げかけるばかり。
むしろヒーローを叩く方が娯楽となり、
TVに映っているのは、カッコ悪くあたふたする生身の人間そのもの。
カッコ悪いことが “オイシイ” と捉えられたりするのだから。
戦争でさえも擬人化コントのネタとなり、楽屋トークも特典映像に付いてくる。

実写の方が嘘くさいのは、興行が憧れの対象ではなく茶番になってしまったからじゃないだろうか。
TVの中に憧れを持たなくなったのは、『獣』が減った=日本人の生活を脅かす不安が減った、からなのかもしれない。
だから最後の『童の獣』は「人畜無害」なのかもしれないな。
それは勝手に推論し過ぎかな(笑)

わたしは、この映画の一貫性は、【ヒーローと興行】にあると捉えた。
「怪獣倒し」は一つのショーであり、見世物である。
“ヒーロー” がいて、それに敵対する “ヒール” がいて、“ヒールを倒す” のがお約束。
だから、“ヒール” に対しては強気で「日本を守る者だ!」と言えても、取材には自信なさ気にしか答えられない。
見世物の一つである「映画」を「壊す」とは、こういう事なんじゃないか……
まぁトンデモ学説はこれくらいにしておこうか(笑)