天台宗護國山尊重院天王寺は谷中墓地の北の端にあります
谷中墓地の1/4は天王寺の境内で五重塔なども存在した大寺院
もともと日蓮宗の長耀山感応寺尊重院というお寺でした
日蓮上人が鎌倉から安房へ行く際にこの地の関長耀宅に泊ったおり自分の像を刻みそれを長耀が草庵に奉安したことが起源とされる古刹で江戸三富と呼ばれてた富くじの興行も行われていました
元禄11年(1698年)に幕府より弾圧を受け天台宗に改宗して今に至っています。
山門(向唐門)
新山門
元禄12年(1699年)幕府の命令で天台宗に改宗
本堂
ご本尊:阿弥陀如来像
奈良の十輪院を模した本堂
境内と客殿
毘沙門堂
谷中七福神のひとつ毘沙門天さまはここおられます
毘沙門天像は元禄12年(1699年)比叡山より賜ったもの
上野戦争寺についた刀傷が柱に残っています
地蔵堂
上野戦争時に彰義隊の営所となり戦闘に巻込まれ毘沙門堂・堂宇などが焼失してしまった
江戸時代の谷中周辺
谷中五重塔跡
昭和32年の心中放火により焼失してしまった五重塔今でも残っていたら遠くから拝むことが出来たでしょうね
小説五重塔(幸田露伴作)では寛政9年(1791年)に再建された2代目がモデルとなっています