エッセイの方向転換によりむだになったイントロダクション。
なんかちょっと違う……と思ったため変更。


I have been living in Tokyo throughout my life. So I can not have something like my second life. But university students who came from the country may regard their lives in Tokyo as their second lives. How I envy them! Then I made a trip in this spring in order to console myself.

 I went to Kyoto with my girlfriend and saw the sight of Kyoto, for example, Kiyomizudera, Kitano-tenmangu, Rokuonji, Ryoanji, Ninnaji and so on.



結論として、「なんかとてつもなくさびしく感じた。それを田舎者たちは感じているのだなと気づいて、うらやましいという気持ちは消えた。しかし憐れみというものがある。彼らを今度見るときは、その気持ちなしには見られないことだろう」という、果てしなく上から目線のモノを書こうとしていた。
発表はされないものの、結構多い田舎者どもを敵にまわすところだった。危ない危ない。
一生東京に住んでるわけでもないし(ま、一応両方首都だから)、旅行にいったわけでもないのに平然と書こうと思う気持ちに、我ながらびっくりするよ。


方向転換したあとは、日本の観光名所の推移を記述しようと思う。
伝統→サブカルって感じだよね、最近。
んー、というより、伝統だけだった観光枠に「サブカル」が加わったというほうが正しいのかな。

都内がアツい!!ってことにしようかな( ´(ェ)`)


ではイントロダクション書くか。
しからば。