今まで大きな敗北はなかった。
適当に生きてまたとない命を使い切っていきつつ、現在を楽しんでいる。
しかし三角関係ができあがった。
Aさんとしよう。
Aが「アイキとずっと一緒にいたいので別れていただけると嬉しいのですが」とメールしてきた。明らかに喧嘩売っている言葉遣いだ。「一存では決めかねます故アイキに打診してみてください」と返信。
A「『何でどっちかに決めなきゃいけないの、私は両方を選ぶ』だそうです。納得いきません」
自分「なんか生き急いでる?」
A「いえ、べつに。ただ、私の居場所はアイキだけなのです」
自分「現代の若者は居場所がない、と決めつけたがる大人がいるが、そんなもの現代に限ったことではない。大人たちが感じた居場所のなさと現代の若者が感じる居場所のなさの感覚にギャップがあるから、大人たちが胸糞悪いことをいうのだ。
日本において、昔は世間というものがキリスト教でいう神であった。神の前では罪は犯せず、監視されている。これは若者には窮屈で居場所がなく思われた。
現代では、昔ほど世間の力は働いていないと思われるが、居場所という定義が変わって、「自分をすべて受け入れてくれる場所」と思うようになったのではないか。そんなもんこの世にあるわけねーよ。学校に居場所がない?甘ったれんな。日本でなくともこの世である限り誰かからは疎まれ嫌われ、自分のどこかは受け入れられない。居場所がないと感じることが問題なのではなく、そういうことに折り合いをつけられなくなっていることが問題である。
このままではあまりに酷だな。もし居場所があるとしたら、それは「死」のみである。「死」は自分のすべてを受け入れてくれるはずさ。自殺はいけない、生きられない人もいるんだ、なんて言わないから、本当に居場所が欲しいなら自分を縊ってご覧。
人間関係の認識を見直したほうがいいよ」
という冗長な説教メールを送ってしまった。
返信はこない。
自分のすべてを受け入れてくれる場所という意味で居場所という言葉を使う人間が大嫌いだ。
いままでAとはそんなに仲も悪くなく、たまに目障りなだけであったが、今回から完全に拒否態勢となった。
それでも嫌な思いをさせたくないからアイキだけにはメールの内容を見せないところがまだまだ甘い。
メンヘラってどういうものかいまいちわからないけど、自分のなかでは「居場所」とか使い始めたらそうだと思っている。合っているのだろうか。
※Aは女、しかも女子校生。女子校生という四文字がもはやウザい。
関係ないけど「駄文失礼」とか「乱文失礼」とかにもいらっとする。謙遜なのはわかるが、駄文乱文だって自覚があるなら文書くなよって思う。
逆に「美文失礼」は脱帽するくらい清々しい。ドルイット子爵のターン。