書きたいことが山ほどあるのに昇華できなくなったのは去年の夏からだった。

2010/8/20夜。一年を過ぎた今でも書けないのは変わらない。というより書く必要がなくなったのかもしれない。

だから検閲が制度化したとき、悲しかったというよりは寧ろ、書くのをやめる口実が増えて嬉しかった。

書けなくなった一次的な理由は分かっているが、あまりに馬鹿らしいので言えない。まさか、と思うようなことだ。


書くという行為は、錦の御旗に掲げるのと似ている。孤独で、異端で、怖がりで、何に対しても不器用で、ただのオフラインでは何も表現できないような人間が、文字を使ってやっと主張する。書くのに必要なのは怖がることだった。

しかし一次的な理由のあとで、書けない体質となった。

この前、めずらしくちゃんと書いた、某人批判の「鄙人は…」も、エナジーは怖がることへの苛つきだった。
この時に書けなくなった究極の原因を悟った。怖がらなくなったからだ。これが自分、好きになれないならなれないでいい。敵は多いほうが楽しい。と思うようになった。これから一生日本では異端であっても構わないと決めた。


怖がりチェリーは暑さで死んでしまったんだね。