ものがたりが学級崩壊から救った
ある小学1年生のクラスが、どうしてもまとまりませんでした。
集団行動になじまない、あらゆるタイプの子がいました。
私は、思わず「博物館だ」「図鑑だ」「教科書だ」と
不謹慎なことを口走ったくらいです。
担任の先生はとってもまじめな方で、
心から生徒のこと、保護者の方のことを考えていました。
陰で、心配のあまり涙を流されていました。
決して、経験が不足しているわけではありません。
キツイ叱り方をした後では、
「また、鬼になってしまった」と自分を責めておられました。
しかし、ストレスが微妙に先生の心身をむしばんでいました。
そして、ついに限界が来たのです。
授業中に涙を流されて、翌日、
リタイアをしてしまったのです。
その後、そのクラスは
教務主任の先生や教頭先生など、
学校中の先生によって、あれこれ面倒を見てもらいます。
学校の「総力戦」により
表面的にはやや静まっていましたが、
このままでは、また爆発するのは時間の問題でした。
学校は最終手段も考慮しはじめているようでした。
そんな時、臨時に講師の先生が派遣されてきました。
臨時の担任になりました。
この先生は最初何をしたでしょうか?
その前に、…
X君のものがたりの続きを
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
きらめく好奇心と才能
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
3年前の大晦日、お母さんの言動に、怒りが頂点まで来た私は、
「とにかく、このお母さんの言葉の虐待から、
この子を引き離さなくてはいけない、」
という思いだけになりました。
とりあえず預かって、様子を見させてもらうことにしました。
それにしても、いったいどんな家庭?
父親はどうしてるんだ?
そのために、夕方5時に自宅まで送っていくとしました。
そこで、事情聴取をしてやろうと。
二人になって、
「ここはね、科学実験をするところなんだよ」
「こういうの見たことあるかい?」
と私が水を向けるより早く
子どもの目が、キラリと光るのがはっきりわかりました。
もう、どっぷりと科学の世界に浸っていきます。
これほどの集中力、理解力、思考力の子を私は知りません。
しかし、学校では落ちこぼれ。
本もまともに読めないのです。
いや、そう聞いたはずでした。
しかし、彼は、今、難しい科学の本や図鑑に見入っています。
だいたい内容も理解していきます。
2年生の子としては、驚異的です。
私は、一瞬にして、この子を弟子にしようと思いました。
たとえ、十分な授業料を保護者が出してくれなくたって
これは、別問題だ、とまで思えました。
何という展開でしょう。
(つづく)
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
双子の兄弟の冒険ものがたり
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
新しく来られた先生が、はじめて生徒たちと会ったときに
一番最初にしたこと…、
それは、先生の双子の息子の話でした。
今、5年生の二人が繰り広げる、冒険ものがたりでした。
豊かな自然の中で、川や山で出会う、驚きと危険なこと、
みんな固唾を飲んで、次にどうなるんだろう、
二人は大丈夫なんだろうか、と身を乗り出します。
私も思わず、夢中になっていました。
「このおはなしの次は、みんながおりこうさんにしてくれたら
また、話してあげるね」
もう、これが、先生の切り札の一つになったのです。
3日にして、完全に別のクラスに変身しました。
同じクラスとは思えません。
教頭先生も、クラスがあまりにも集中しているので、
教室に入ることを躊躇するほどです。
もちろん、問題は山ほどありますが、明らかに違います。
これらの現場に立ち会わせてもらった私は幸せ者です。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
すべてのものに命が宿る話
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
世界の特色ある教育に、シュタイナー教育というのがあります。
そしてシュタイナー学校があります。
そこでは、ものがたりが、授業の重要な役割を担っています。
1年生には、「すべてのものに命が宿る話」をすることによって、
子ども自身と、動物、木々、花々、植物、石、星、雲、風、人間
といった世界に存在するあらゆるものを関連づけて、
子どもの心に植え付けます。
1年生の子どもの世界は、年齢的に、大人と全然ちがいます。
心の中と外の世界がつながっているのです。
担任の先生は、ある花を訪れた蝶が花と話したり、
木がコケと話したりするように、
すべてのものがたがいに話すことができるようなお話をします。
たとえば、木がコケに「守ってあげるよ」と言っています。
そしてそのお礼に、コケは木にとって必要な水分をあげます。
小鳥はやぶと話をしています。
そのやぶの中に、小鳥が巣を作っていいと聞いたからです。
このようなお話を聞くことによって、
子どもの感受性はとても豊かになります。
身の回りにあるすべての美しいものが
子どもに語りかけてくるようになります。
子どもの感覚はどんどん繊細になり、
世界とつながっていくのです。
すると、次にようなことが起きるのです。
いつもは落ちつかない子どもたちも耳を澄まし、
静かになるもんですから、
授業の取り組みそのものに良い影響をもたらすのです。
メルヘンのお話は、いっぱい絵本にあります。
しかし、「すべてのものに命が宿る話」をする場合は、
先生自身が、自分でその世界を新しく体験し、
世界の本質を直接感じることによって、
物語を先生が作ることが大切であると
シュタイナーは言っています。
ただ、空想しただけの無意味なファンタジーでは
子どもに害があります。
たとえば、木がいきなり空を飛び回り、
月まで飛んでしまうようなお話は自然の理にかなってませんから
子どもと大地をつなぐことができません。
コケと木の物語の場合、実際に木とコケは助け合っていますから
それを使ったファンタジーは子どもを本当の意味で、
自然や大地と結びつける効果があるのです。
以上は、シュタイナー教育の考え方ですが、
私も、こういうお話をつくることは、先生にとって
オマケの仕事ではなく、本質的で最重要な仕事だと思います。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
すべてはおはなしになる
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
ものがたりは、特定の子の特定の問題を解決するのにも
とっても役立ちますし、クラス全体にも良い影響を与えます。
ある子の道徳性を問題とする場合、その子を特定するのではなく
おはなしの中で、登場人物に感情移入をすることによって、
子どもたちに、失敗や痛みをいっしょに体験させてしまうのです。
「生き物を大切にしましょう」
「みんなは一人のために、一人はみんなのために」
といったありきたりの言葉は、子どもには通じません。
子どもたちは、お話の登場人物に共感することによって、
自分で自分を教育してこうとしはじめます。
もちろん、先生は、本気でその話しをします。
こういうことはしてはいけない、という強い気持ちが
お話に入ります。
その気持ちが子どもたちに、ファンタジーを通じて伝わるのです。
世界にはすばらしい教育がいっぱいあります。
ぜひ、一緒に勉強しましょう。
そして、ステキな物語をつくりましょう。
良いおとしを。
PS 私にシュタイナーの世界のトビラを開けてくださった、
パン屋の木村さん、さらに講座を開いてくださった
福島玲子先生に感謝します。
集団行動になじまない、あらゆるタイプの子がいました。
私は、思わず「博物館だ」「図鑑だ」「教科書だ」と
不謹慎なことを口走ったくらいです。
担任の先生はとってもまじめな方で、
心から生徒のこと、保護者の方のことを考えていました。
陰で、心配のあまり涙を流されていました。
決して、経験が不足しているわけではありません。
キツイ叱り方をした後では、
「また、鬼になってしまった」と自分を責めておられました。
しかし、ストレスが微妙に先生の心身をむしばんでいました。
そして、ついに限界が来たのです。
授業中に涙を流されて、翌日、
リタイアをしてしまったのです。
その後、そのクラスは
教務主任の先生や教頭先生など、
学校中の先生によって、あれこれ面倒を見てもらいます。
学校の「総力戦」により
表面的にはやや静まっていましたが、
このままでは、また爆発するのは時間の問題でした。
学校は最終手段も考慮しはじめているようでした。
そんな時、臨時に講師の先生が派遣されてきました。
臨時の担任になりました。
この先生は最初何をしたでしょうか?
その前に、…
X君のものがたりの続きを
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きらめく好奇心と才能
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3年前の大晦日、お母さんの言動に、怒りが頂点まで来た私は、
「とにかく、このお母さんの言葉の虐待から、
この子を引き離さなくてはいけない、」
という思いだけになりました。
とりあえず預かって、様子を見させてもらうことにしました。
それにしても、いったいどんな家庭?
父親はどうしてるんだ?
そのために、夕方5時に自宅まで送っていくとしました。
そこで、事情聴取をしてやろうと。
二人になって、
「ここはね、科学実験をするところなんだよ」
「こういうの見たことあるかい?」
と私が水を向けるより早く
子どもの目が、キラリと光るのがはっきりわかりました。
もう、どっぷりと科学の世界に浸っていきます。
これほどの集中力、理解力、思考力の子を私は知りません。
しかし、学校では落ちこぼれ。
本もまともに読めないのです。
いや、そう聞いたはずでした。
しかし、彼は、今、難しい科学の本や図鑑に見入っています。
だいたい内容も理解していきます。
2年生の子としては、驚異的です。
私は、一瞬にして、この子を弟子にしようと思いました。
たとえ、十分な授業料を保護者が出してくれなくたって
これは、別問題だ、とまで思えました。
何という展開でしょう。
(つづく)
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
双子の兄弟の冒険ものがたり
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
新しく来られた先生が、はじめて生徒たちと会ったときに
一番最初にしたこと…、
それは、先生の双子の息子の話でした。
今、5年生の二人が繰り広げる、冒険ものがたりでした。
豊かな自然の中で、川や山で出会う、驚きと危険なこと、
みんな固唾を飲んで、次にどうなるんだろう、
二人は大丈夫なんだろうか、と身を乗り出します。
私も思わず、夢中になっていました。
「このおはなしの次は、みんながおりこうさんにしてくれたら
また、話してあげるね」
もう、これが、先生の切り札の一つになったのです。
3日にして、完全に別のクラスに変身しました。
同じクラスとは思えません。
教頭先生も、クラスがあまりにも集中しているので、
教室に入ることを躊躇するほどです。
もちろん、問題は山ほどありますが、明らかに違います。
これらの現場に立ち会わせてもらった私は幸せ者です。
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すべてのものに命が宿る話
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
世界の特色ある教育に、シュタイナー教育というのがあります。
そしてシュタイナー学校があります。
そこでは、ものがたりが、授業の重要な役割を担っています。
1年生には、「すべてのものに命が宿る話」をすることによって、
子ども自身と、動物、木々、花々、植物、石、星、雲、風、人間
といった世界に存在するあらゆるものを関連づけて、
子どもの心に植え付けます。
1年生の子どもの世界は、年齢的に、大人と全然ちがいます。
心の中と外の世界がつながっているのです。
担任の先生は、ある花を訪れた蝶が花と話したり、
木がコケと話したりするように、
すべてのものがたがいに話すことができるようなお話をします。
たとえば、木がコケに「守ってあげるよ」と言っています。
そしてそのお礼に、コケは木にとって必要な水分をあげます。
小鳥はやぶと話をしています。
そのやぶの中に、小鳥が巣を作っていいと聞いたからです。
このようなお話を聞くことによって、
子どもの感受性はとても豊かになります。
身の回りにあるすべての美しいものが
子どもに語りかけてくるようになります。
子どもの感覚はどんどん繊細になり、
世界とつながっていくのです。
すると、次にようなことが起きるのです。
いつもは落ちつかない子どもたちも耳を澄まし、
静かになるもんですから、
授業の取り組みそのものに良い影響をもたらすのです。
メルヘンのお話は、いっぱい絵本にあります。
しかし、「すべてのものに命が宿る話」をする場合は、
先生自身が、自分でその世界を新しく体験し、
世界の本質を直接感じることによって、
物語を先生が作ることが大切であると
シュタイナーは言っています。
ただ、空想しただけの無意味なファンタジーでは
子どもに害があります。
たとえば、木がいきなり空を飛び回り、
月まで飛んでしまうようなお話は自然の理にかなってませんから
子どもと大地をつなぐことができません。
コケと木の物語の場合、実際に木とコケは助け合っていますから
それを使ったファンタジーは子どもを本当の意味で、
自然や大地と結びつける効果があるのです。
以上は、シュタイナー教育の考え方ですが、
私も、こういうお話をつくることは、先生にとって
オマケの仕事ではなく、本質的で最重要な仕事だと思います。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
すべてはおはなしになる
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ものがたりは、特定の子の特定の問題を解決するのにも
とっても役立ちますし、クラス全体にも良い影響を与えます。
ある子の道徳性を問題とする場合、その子を特定するのではなく
おはなしの中で、登場人物に感情移入をすることによって、
子どもたちに、失敗や痛みをいっしょに体験させてしまうのです。
「生き物を大切にしましょう」
「みんなは一人のために、一人はみんなのために」
といったありきたりの言葉は、子どもには通じません。
子どもたちは、お話の登場人物に共感することによって、
自分で自分を教育してこうとしはじめます。
もちろん、先生は、本気でその話しをします。
こういうことはしてはいけない、という強い気持ちが
お話に入ります。
その気持ちが子どもたちに、ファンタジーを通じて伝わるのです。
世界にはすばらしい教育がいっぱいあります。
ぜひ、一緒に勉強しましょう。
そして、ステキな物語をつくりましょう。
良いおとしを。
PS 私にシュタイナーの世界のトビラを開けてくださった、
パン屋の木村さん、さらに講座を開いてくださった
福島玲子先生に感謝します。
教科書に頼っていては赤信号
学校は、教科書を勉強するところだと思っていませんか?
学校を見るキーポイントの一つは、
「教科書に頼った授業をしているか」です。
その前に、…
X君のものがたりの続きを
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
はじめて虐待現場を見た
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
大晦日に、約束もなく来られた、お母さんと小さな男の子。
それと、忘れていました、妹が抱かれていました。
男の子はお母さんと手をつなぎながら、こちらを見上げています。
この時、小学2年生でした。
私は、きっと早めのあいさつなのかと思い、ドキマギしながら
ニコっと迎えました。
ところが、次に聞いた言葉に耳を疑いました。
「お正月この子を預かって欲しいんです。」
「は?」
「預かっていただけると聞いたものですから」
「は?」
「この子と一緒では、私、お正月耐えられないのです。」
そして、話しはじめた、子どもに対するグチ。グチ。
この子のために、私がどんなに苦労しているか、を
延々と、涙ながらに話はじめたのです。
お母さんが、この子のために苦労してると、泣くんですよ!
<それも、わが子の前でですよ!!>
私は、それまで、虐待ということを知識では知っていましたが、
目の前で見たのは、初めてでした。
これは、あまりにもムゴイ虐待です。
手こそ出しませんが、言葉の虐待が、
子どもの魂をズタズタにしているのです。
私は、怒りが100%いや、200%に達しました。
(でも、あとから聞くと、お母さんも精神科に通院していたのです)
(つづく 書きながら、また興奮してきちゃいます)
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
生徒指導が学校の本業ではない、
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
先生に対して、もっと情熱をもってくれ、と言っても、
先生も何に対して情熱をもち、どのようにすればよいのか
わからない、というのが正直なところでしょう。
と言うのも、先生の仕事と言われるものは無数なのです。
限度も無いのです。
ヘタに、ガンバレと応援しますと、生徒指導に情熱を注ぎ、
生徒の取り締まりの鬼となったりします。
私の知る範囲では、学校には事実上勤務評定がありません。
そりゃ、目標と結果の反省はなされています。
最近、動きもあるようですが、まだ本格的ではないと思います。
少なくとも、社会一般で言うところの勤務評定は無いと思います。
もし、ありましたら、どなたかお教えください。
「そんなバカな」、ですよね。
これでは、頑張っている先生が可哀想です。
何より、何が大切な仕事なのか、わからなくなります。
先生の仕事の本末転倒を生みます。
あるところで登校拒否した子専門の高校がオープンしました。
「排除しないこと」をキャッチフレーズに全国から生徒を集めました。
全寮制です。
先生も、全国から熱心な人が自主的に集まりました。
ところが、一学期が終わる前に、
生徒たちの半分近くが授業に出なくなってしまったのです。
寮ではいじめが起こってしまうし、
いじめられた生徒は家に帰ってしまうし、
いじめた生徒は停学処分にせざるをえなくなっちゃったんです。
なんでこうなっちゃったんだろうと、熱心な先生たちですから、
夏休みの間、真剣に反省をしたようです。
その中でわかったことの一つは
「授業が決定的におもしろくない」ということだったのです。
実際に自分たちで模擬授業をしてみたところ、
「これじゃ、生徒たちも来たくなくなる」という授業でした。
先生たちは、すぐに授業改善に取り組んで成果を出しているそうです。
熱心は熱心でも、生徒指導に熱心だけでは、問題行動は改善できません。
授業こそが、先生の仕事の本分であり、命のはずです。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
教科書にたよっていないか?
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
学校の問題のほとんどは、授業のつまらなさから起きています。
小学校・中学校・高校であれ、大学であれです。
退屈だと思いませんか?
単純すぎるし、自分の生活との関係もわかりません。
先生は、みんな、「良い授業をしている」と思っています。
しかし、
良い授業かどうかは、生徒の反応で決まります。
世のメーカーは、良い商品を作って売ろうとしています。
しかし、そう簡単には売れません。
そんなとき、「この商品の良さをわからない消費者がバカだ」
と言うでしょうか?
生徒の評価を授業づくりに生かさないで、
良い授業やカリキュラムができるわけがありません。
現場の先生が、生徒と対話をしながら作るしかありません。
(最近の授業研究では、生徒の評価をしっかりとっています)
少なくとも、現場にいない教科書の執筆者に、
カリキュラムのほとんどを頼っていいものでしょうか?
教科書づくりには、現場の先生がほとんどタッチしていません。
目の前の生徒が活き活きと好奇心を満たしながら、
自分の問題として智恵を獲得していくプロセスは
現場の先生しか作れませんよね。
教育のシロウトは勘違いしてしまいがちですが、
学校は教科書を教えるところではありません。
学習指導要領の目指すところを教えればいいのです。
教科書は一つの道具に過ぎないのです。
ですから、良い授業を作っているかどうかの目安の一つに
教科書に頼った指導をしているかどうか、があると思います。
授業がつまらないのは、教科書のせいでは決してありません。
先生の能力のせいです。
そして、良い授業かどうかは、生徒が判断する事です。
決して、わからない生徒が悪いのではありません。
ここのところが、根本的に学校では、ひっくり返っています。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
子どもが変わったから?
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
学級崩壊や問題児が増えますと、決まって、
「子どもが変わってきた」
「子育てが変わってきた」
と嘆きの言葉が、学校では聞かれます。
私は、思わず、ちょっと待って!と言いたくなります。
一般の会社で、「消費者が変わったのが売れない原因です」
と言い訳するでしょうか?
そんな発言をする社員は、すぐ飛ばされます。
お客は変わるのが、当たり前なのです。
お客の変化についていけないのを、怠慢経営と言うのです。
変化をつかむために営業マンはいるのです。
どんどん変わっている子どもや家庭環境に合わせて
学校のシステムや教え方もどんどん変えるのが、全く自然です。
塾や予備校で、学級崩壊なんて聞きませんよね。
「授業のベルがなっても、席につかないんです」
「授業中におしゃべりをして困るんです」
とっても厳しいかもしれませんが、この言葉を先生は、
少なくとも父兄には言うべきではないと思います。
フーテンの寅さんは、「これを言っちゃあ、おしめえよお。」っです。
子どもは立って歩くのが当たり前です。
それを授業に集中させるのが、プロの仕事なのです。
そのために税金から高い給料と身分の保証をもらっているのです。
先生としての最低限のプライドだと思います。
現に、崩壊したクラスを、魅力ある授業と指導力でもって、
あっという間に立て直せる先生が存在するんですから。
(今日は、ここまでです。また長くなってしまいました。
年末のお忙しいところありがとうございます。
明日は、もっと希望のもてるお話を)
学校を見るキーポイントの一つは、
「教科書に頼った授業をしているか」です。
その前に、…
X君のものがたりの続きを
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
はじめて虐待現場を見た
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
大晦日に、約束もなく来られた、お母さんと小さな男の子。
それと、忘れていました、妹が抱かれていました。
男の子はお母さんと手をつなぎながら、こちらを見上げています。
この時、小学2年生でした。
私は、きっと早めのあいさつなのかと思い、ドキマギしながら
ニコっと迎えました。
ところが、次に聞いた言葉に耳を疑いました。
「お正月この子を預かって欲しいんです。」
「は?」
「預かっていただけると聞いたものですから」
「は?」
「この子と一緒では、私、お正月耐えられないのです。」
そして、話しはじめた、子どもに対するグチ。グチ。
この子のために、私がどんなに苦労しているか、を
延々と、涙ながらに話はじめたのです。
お母さんが、この子のために苦労してると、泣くんですよ!
<それも、わが子の前でですよ!!>
私は、それまで、虐待ということを知識では知っていましたが、
目の前で見たのは、初めてでした。
これは、あまりにもムゴイ虐待です。
手こそ出しませんが、言葉の虐待が、
子どもの魂をズタズタにしているのです。
私は、怒りが100%いや、200%に達しました。
(でも、あとから聞くと、お母さんも精神科に通院していたのです)
(つづく 書きながら、また興奮してきちゃいます)
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
生徒指導が学校の本業ではない、
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
先生に対して、もっと情熱をもってくれ、と言っても、
先生も何に対して情熱をもち、どのようにすればよいのか
わからない、というのが正直なところでしょう。
と言うのも、先生の仕事と言われるものは無数なのです。
限度も無いのです。
ヘタに、ガンバレと応援しますと、生徒指導に情熱を注ぎ、
生徒の取り締まりの鬼となったりします。
私の知る範囲では、学校には事実上勤務評定がありません。
そりゃ、目標と結果の反省はなされています。
最近、動きもあるようですが、まだ本格的ではないと思います。
少なくとも、社会一般で言うところの勤務評定は無いと思います。
もし、ありましたら、どなたかお教えください。
「そんなバカな」、ですよね。
これでは、頑張っている先生が可哀想です。
何より、何が大切な仕事なのか、わからなくなります。
先生の仕事の本末転倒を生みます。
あるところで登校拒否した子専門の高校がオープンしました。
「排除しないこと」をキャッチフレーズに全国から生徒を集めました。
全寮制です。
先生も、全国から熱心な人が自主的に集まりました。
ところが、一学期が終わる前に、
生徒たちの半分近くが授業に出なくなってしまったのです。
寮ではいじめが起こってしまうし、
いじめられた生徒は家に帰ってしまうし、
いじめた生徒は停学処分にせざるをえなくなっちゃったんです。
なんでこうなっちゃったんだろうと、熱心な先生たちですから、
夏休みの間、真剣に反省をしたようです。
その中でわかったことの一つは
「授業が決定的におもしろくない」ということだったのです。
実際に自分たちで模擬授業をしてみたところ、
「これじゃ、生徒たちも来たくなくなる」という授業でした。
先生たちは、すぐに授業改善に取り組んで成果を出しているそうです。
熱心は熱心でも、生徒指導に熱心だけでは、問題行動は改善できません。
授業こそが、先生の仕事の本分であり、命のはずです。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
教科書にたよっていないか?
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
学校の問題のほとんどは、授業のつまらなさから起きています。
小学校・中学校・高校であれ、大学であれです。
退屈だと思いませんか?
単純すぎるし、自分の生活との関係もわかりません。
先生は、みんな、「良い授業をしている」と思っています。
しかし、
良い授業かどうかは、生徒の反応で決まります。
世のメーカーは、良い商品を作って売ろうとしています。
しかし、そう簡単には売れません。
そんなとき、「この商品の良さをわからない消費者がバカだ」
と言うでしょうか?
生徒の評価を授業づくりに生かさないで、
良い授業やカリキュラムができるわけがありません。
現場の先生が、生徒と対話をしながら作るしかありません。
(最近の授業研究では、生徒の評価をしっかりとっています)
少なくとも、現場にいない教科書の執筆者に、
カリキュラムのほとんどを頼っていいものでしょうか?
教科書づくりには、現場の先生がほとんどタッチしていません。
目の前の生徒が活き活きと好奇心を満たしながら、
自分の問題として智恵を獲得していくプロセスは
現場の先生しか作れませんよね。
教育のシロウトは勘違いしてしまいがちですが、
学校は教科書を教えるところではありません。
学習指導要領の目指すところを教えればいいのです。
教科書は一つの道具に過ぎないのです。
ですから、良い授業を作っているかどうかの目安の一つに
教科書に頼った指導をしているかどうか、があると思います。
授業がつまらないのは、教科書のせいでは決してありません。
先生の能力のせいです。
そして、良い授業かどうかは、生徒が判断する事です。
決して、わからない生徒が悪いのではありません。
ここのところが、根本的に学校では、ひっくり返っています。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
子どもが変わったから?
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
学級崩壊や問題児が増えますと、決まって、
「子どもが変わってきた」
「子育てが変わってきた」
と嘆きの言葉が、学校では聞かれます。
私は、思わず、ちょっと待って!と言いたくなります。
一般の会社で、「消費者が変わったのが売れない原因です」
と言い訳するでしょうか?
そんな発言をする社員は、すぐ飛ばされます。
お客は変わるのが、当たり前なのです。
お客の変化についていけないのを、怠慢経営と言うのです。
変化をつかむために営業マンはいるのです。
どんどん変わっている子どもや家庭環境に合わせて
学校のシステムや教え方もどんどん変えるのが、全く自然です。
塾や予備校で、学級崩壊なんて聞きませんよね。
「授業のベルがなっても、席につかないんです」
「授業中におしゃべりをして困るんです」
とっても厳しいかもしれませんが、この言葉を先生は、
少なくとも父兄には言うべきではないと思います。
フーテンの寅さんは、「これを言っちゃあ、おしめえよお。」っです。
子どもは立って歩くのが当たり前です。
それを授業に集中させるのが、プロの仕事なのです。
そのために税金から高い給料と身分の保証をもらっているのです。
先生としての最低限のプライドだと思います。
現に、崩壊したクラスを、魅力ある授業と指導力でもって、
あっという間に立て直せる先生が存在するんですから。
(今日は、ここまでです。また長くなってしまいました。
年末のお忙しいところありがとうございます。
明日は、もっと希望のもてるお話を)
先生とのすれ違い(連絡帳が分かれ道)
本日の話題は、学校生活の天国と地獄の分かれ目の話です。
キーポイントは連絡帳です。
その前に、…
ある子の物語を急に書きたくなりました。
大晦日が近づくと、思い出すんです。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
X君との出会い
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
彼との出会いは、3年前の12月29日、すなわち今日です。
一本の電話から始まりました。
塾も一段落し、大掃除にとりかかっていたとき、
市の教育委員のZさんから、相談の電話があったのです。
「寅さんのところでは、託児はしていませんか?」
「エ?? う、うちは、一応、科学教室なんですけど。」
「でも、いろんなお子さんが集まって
いつも遊んでいるそうですよね。」
「たしかに、遊んではいますが、「真剣に」遊んでいるんです。
その子の好奇心を刺激するように、考えて……。」
というやりとりをしながら、結局、
○何か得体のしれない子を受け入れてくれないか、
○冬休み中でいいから、
というのです。
さらに、事情を聞くと、お母さんが子育てに精神的に参っていて、
休みが欲しいということのようです。
で、なぜか、教育委員さんのところに行ったんですね。
今、考えると教育委員会より
子ども家庭課とか、子育て支援センターがふさわしいのですが…。
きっと、暮れですからねえ、
お役所もどこも相手をしてくれなかったのかもしれません。
その教育委員さんも、この暮れに、
SOSを出されても対処ができなかったんでしょう、
面識のあった、寅さんのことがアタマに浮かんだんだと思います。
でも、私はショックでした。
「変な子を集めている託児所」だと見られていたことが。
でも、とにもかくにも、
アタマの片隅に覚えていてもらっただけでも、
まあいいか、ってもんだと思い直しました。
「とにかく、一度お会いしないと、何とも」
「それでは、ご相談に伺わせますので」
「エッ、今からですか? 今日は大掃除中ですし、用事がありまして」
「では、いつがいいですか?」
「三が日が終わってからにしましょうよ」
「わかりました。よろしくお願いします。」
私は、子どもをこっちのプログラムでドキドキさせるのは好きですが、
子どものペースにつきあうのは、苦手です。
しかも、長時間の託児など、考えただけでも、ぞ~っとします。
教育委員さんの顔もあるから、会うだけあって、
丁寧にお断りしようと思っていました。
それに、私にだって私生活があるのです。
ところが、大晦日のお昼ころ、
突然、見知らぬ母子が訪ねてきたのです。
大晦日ですよ。大晦日。
そして、子どもを預かってくれ、と言うのです。
目が点になってしまいました。
(次回に続く)ウーン、連続小説みたい。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
学校は天国でもあり地獄でもあり、
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
学校は、愛にあふれた、すばらしいところです。
と同時に、人間の醜さが吹き出す、泥沼でもあります。
どちらも真実です。
そして、どこに波長を合わせるか、で
その家庭の学校というテレビ番組のテーマが決まる
と思います。
しかし、良いところだけを見て、
醜いところに目をつむるというのも、
私は、学校というお宝を半分しか手にできない
一種の「壁」だと思います。
無限の喜びと無限の悲しみ、その両方に対して
自由に波長を合わせることができること、
これが、本当の学校の恵みだと思うのです。
いざとなれば、鬼にもなれる、と腹をくくった上で、
天使のつきあいをすべきだと思います。
学校とのおつきあいの日常は、
実は、連絡帳が主役です。
連絡帳の書き方ひとつで、
天国にもなり、地獄にもなります。
では、そのポイントを、ご一緒にお考えください。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
黙っていては、学校の先生はあなたの気持ちを察してくれない
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
先生は保護者の気持ちは、わからないものだと思ってください。
と言うのも、お母さんの感じ方が、家庭によって様々だからです。
たとえば、事故を起こした子がいたとします。
当然、当のケガをした子のケアを考えます。しかし、
しばしば、それを見守っていた子がストレスを受けるものです。
それも、子どもの性格によって受け取り方が違います。
「うちの子は繊細なんで、こんなストレス症状を起こしました。
こういう場合は、今後こういうフォローをお願いします」
とはっきり言わなければ、先生には全然通じません。
先生一人で、30人全員へのきめ細かな「察し」は不可能です。
お母さんが、正直な気持ちを伝えないのに、
「先生が適切なアプローチをしてくれない」と
不満を心で膨らますことは、後々大きなスレ違いを生みます。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
連絡帳には、簡潔に要点をまとめること
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
先生の日常は、秒単位の戦争です。
連絡帳の読み方も、給食を食べながらの神業だったりします。
全員目を通すためには、じっくり読んでいられません。
ですから、一目で何を言いたいのかがわかるように
はっきりと、さらにくっきりと書かなければいけません。
細い字より、太い字、特に大事なところは、アンダーラインです。
色を変えてもいいでしょう。
一目で伝えるポスターやPOP広告と同じ感覚が必要です。
よく、時候のあいさつからはじまって、社会情勢がつづき、
最後の方でようやく肝心のことが出てくることがあります。
これでは、気づかれないで、パスされてしまいます。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
しかし、先生の感情には配慮を
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
いかに、要点をと言っても、感情への配慮は必要です。
先生への感謝、ねぎらいの言葉は、忘れずに。
また、断定的な言葉、学校が嫌う言葉(いじめ等)は控えること
先生より高い知識をひけらかすのは愚の骨頂です。
「教えて欲しい」「判断を仰ぐ」「助けて欲しい」が文脈です。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
気まずい関係になったら、積極策に出る
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
それでも、まじめなお母さんほど、起きてしまうのが、
先生との気持ちのすれ違いです。
もし、ちょっとでも気まずい関係になったら、
決して、謙虚に引っ込んでしまってはいけません。
かえって、嫌な顔をされても、毎日学校に出向きましょう。
アポイントなんか要りません。早い方がいいです。
腹の立つことは、誤解のないように、はっきり伝えましょう。
ただし、笑顔だけは忘れずに。先にあいさつをしましょう。
学校の先生は、意外に、厚かましいことには、慣れています。
逆に、おとなしい人は損ばかりです。
毎日会えば、きっと気持ちが通じます。
すべては、誤解から生まれるんですから。
この時こそ、学校が楽しくなるチャンスなのです。
(今日はここまでかな。異論・反論お待ちしてます。)
キーポイントは連絡帳です。
その前に、…
ある子の物語を急に書きたくなりました。
大晦日が近づくと、思い出すんです。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
X君との出会い
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彼との出会いは、3年前の12月29日、すなわち今日です。
一本の電話から始まりました。
塾も一段落し、大掃除にとりかかっていたとき、
市の教育委員のZさんから、相談の電話があったのです。
「寅さんのところでは、託児はしていませんか?」
「エ?? う、うちは、一応、科学教室なんですけど。」
「でも、いろんなお子さんが集まって
いつも遊んでいるそうですよね。」
「たしかに、遊んではいますが、「真剣に」遊んでいるんです。
その子の好奇心を刺激するように、考えて……。」
というやりとりをしながら、結局、
○何か得体のしれない子を受け入れてくれないか、
○冬休み中でいいから、
というのです。
さらに、事情を聞くと、お母さんが子育てに精神的に参っていて、
休みが欲しいということのようです。
で、なぜか、教育委員さんのところに行ったんですね。
今、考えると教育委員会より
子ども家庭課とか、子育て支援センターがふさわしいのですが…。
きっと、暮れですからねえ、
お役所もどこも相手をしてくれなかったのかもしれません。
その教育委員さんも、この暮れに、
SOSを出されても対処ができなかったんでしょう、
面識のあった、寅さんのことがアタマに浮かんだんだと思います。
でも、私はショックでした。
「変な子を集めている託児所」だと見られていたことが。
でも、とにもかくにも、
アタマの片隅に覚えていてもらっただけでも、
まあいいか、ってもんだと思い直しました。
「とにかく、一度お会いしないと、何とも」
「それでは、ご相談に伺わせますので」
「エッ、今からですか? 今日は大掃除中ですし、用事がありまして」
「では、いつがいいですか?」
「三が日が終わってからにしましょうよ」
「わかりました。よろしくお願いします。」
私は、子どもをこっちのプログラムでドキドキさせるのは好きですが、
子どものペースにつきあうのは、苦手です。
しかも、長時間の託児など、考えただけでも、ぞ~っとします。
教育委員さんの顔もあるから、会うだけあって、
丁寧にお断りしようと思っていました。
それに、私にだって私生活があるのです。
ところが、大晦日のお昼ころ、
突然、見知らぬ母子が訪ねてきたのです。
大晦日ですよ。大晦日。
そして、子どもを預かってくれ、と言うのです。
目が点になってしまいました。
(次回に続く)ウーン、連続小説みたい。
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学校は天国でもあり地獄でもあり、
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
学校は、愛にあふれた、すばらしいところです。
と同時に、人間の醜さが吹き出す、泥沼でもあります。
どちらも真実です。
そして、どこに波長を合わせるか、で
その家庭の学校というテレビ番組のテーマが決まる
と思います。
しかし、良いところだけを見て、
醜いところに目をつむるというのも、
私は、学校というお宝を半分しか手にできない
一種の「壁」だと思います。
無限の喜びと無限の悲しみ、その両方に対して
自由に波長を合わせることができること、
これが、本当の学校の恵みだと思うのです。
いざとなれば、鬼にもなれる、と腹をくくった上で、
天使のつきあいをすべきだと思います。
学校とのおつきあいの日常は、
実は、連絡帳が主役です。
連絡帳の書き方ひとつで、
天国にもなり、地獄にもなります。
では、そのポイントを、ご一緒にお考えください。
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黙っていては、学校の先生はあなたの気持ちを察してくれない
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
先生は保護者の気持ちは、わからないものだと思ってください。
と言うのも、お母さんの感じ方が、家庭によって様々だからです。
たとえば、事故を起こした子がいたとします。
当然、当のケガをした子のケアを考えます。しかし、
しばしば、それを見守っていた子がストレスを受けるものです。
それも、子どもの性格によって受け取り方が違います。
「うちの子は繊細なんで、こんなストレス症状を起こしました。
こういう場合は、今後こういうフォローをお願いします」
とはっきり言わなければ、先生には全然通じません。
先生一人で、30人全員へのきめ細かな「察し」は不可能です。
お母さんが、正直な気持ちを伝えないのに、
「先生が適切なアプローチをしてくれない」と
不満を心で膨らますことは、後々大きなスレ違いを生みます。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
連絡帳には、簡潔に要点をまとめること
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
先生の日常は、秒単位の戦争です。
連絡帳の読み方も、給食を食べながらの神業だったりします。
全員目を通すためには、じっくり読んでいられません。
ですから、一目で何を言いたいのかがわかるように
はっきりと、さらにくっきりと書かなければいけません。
細い字より、太い字、特に大事なところは、アンダーラインです。
色を変えてもいいでしょう。
一目で伝えるポスターやPOP広告と同じ感覚が必要です。
よく、時候のあいさつからはじまって、社会情勢がつづき、
最後の方でようやく肝心のことが出てくることがあります。
これでは、気づかれないで、パスされてしまいます。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
しかし、先生の感情には配慮を
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
いかに、要点をと言っても、感情への配慮は必要です。
先生への感謝、ねぎらいの言葉は、忘れずに。
また、断定的な言葉、学校が嫌う言葉(いじめ等)は控えること
先生より高い知識をひけらかすのは愚の骨頂です。
「教えて欲しい」「判断を仰ぐ」「助けて欲しい」が文脈です。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
気まずい関係になったら、積極策に出る
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
それでも、まじめなお母さんほど、起きてしまうのが、
先生との気持ちのすれ違いです。
もし、ちょっとでも気まずい関係になったら、
決して、謙虚に引っ込んでしまってはいけません。
かえって、嫌な顔をされても、毎日学校に出向きましょう。
アポイントなんか要りません。早い方がいいです。
腹の立つことは、誤解のないように、はっきり伝えましょう。
ただし、笑顔だけは忘れずに。先にあいさつをしましょう。
学校の先生は、意外に、厚かましいことには、慣れています。
逆に、おとなしい人は損ばかりです。
毎日会えば、きっと気持ちが通じます。
すべては、誤解から生まれるんですから。
この時こそ、学校が楽しくなるチャンスなのです。
(今日はここまでかな。異論・反論お待ちしてます。)
イタズラを楽しもう
今日は、ちょっとこのサイトのテーマからはずれますが、
私のもう一つのテーマ、子育てについてです。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
わが子がよい子に見える魔法
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
私の塾のモットーは、「学問は遊びだ。科学はイタズラだ。」です。
イタズラができない科学実験なんて、ライトの点かないクリスマスツリーみたいなもんです。
ところが、信じられますか?
当はてなランドでも、イタズラができない子が増えているんです。
子どもがイタズラをすると、大人は叱ります。
でも、イタズラは「悪い」ことなんでしょうか?
イタズラは、好奇心の表れなんですから、
子どもの成長にとっては、「良い」行動なんです。
学校では、子どもの意欲の無さが問題になります。
「意欲」は「やる気」、「根性」とも言われますが、
それよりまず、目の輝きとなって表れます。
子どもは正直です。顔の表情ですぐわかりますね。
ところが、今、いきいきしていない子どもが多いんです。
どんよりした目。表情もだら~ん。そして無口です。
一見、おとなしいもんですから、「良い子」に見えます。
イタズラもせず、おとなしく親のいうことを聞く子を
大人たちは、「良い子ねえ」とほめてしまいます。
シュタイナー教育の勉強会で教えられたのも、
7才までは、「意欲」を育てなくてはならず、
これをこの時期におろそかにすると、
あとで取り返しがつかなくなるということでした。
ちなみに、14才までのテーマが「思いやり」であり
それ以降にやっと、「知識」のアタマの開発がポイントになると。
少なくとも、3才未満の子に「意欲」が見られないのは、危険信号でしょう。
親に好奇心を抑えることを「良い子」という言葉で、
ほめられ続けますと、本当に親思いの良い子ほど、
イタズラも反抗もできない子になってしまいます。
子どもは「甘え」と「反抗」の繰り返しで成長していくのですが、
そのサイクルがストップしてしまいます。
もし、意欲が育っていないのに、別の動機で勉強をいっぱいさせたら、
将来、…想像しただけでも、怖いですね。
イタズラと躾けは別問題です。
イタズラは、決して叱らないでください。
まず、笑ってながめましょう。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
世界がワクワク・ドキドキになる魔法
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
理科ばなれが問題になっています。
ある人は、実験をしなくなったからだと言います。
確かに、実験は少なくなっているでしょう。
しかし、実験さえやれば、理科が好きになるというものではありません。
実際、生徒自身が、あまり実験をすすんでしようとはしません。
どうしてでしょうか?
まず、その実験が自分たちの生活と、どう結びついているのか、
だから、何なのかが、さっぱりわからないからです。
わかったとしても、ワクワクする内容でないのです。
今までの常識をくつがえして、
新しい世界を広げてくれるものになっていないのです。
いわゆるテーマの設定の問題です。
次に、これが一番のポイントだと思うのですが、
結果が最初から教えられているのです。
これでは、ワクワクするどころか、「実験」とさえ言えません。
いろんな仮説があるけれど、どれが正しいかを判定するために
「実験」で白黒つけようじゃないか、というのが実験です。
もちろん、「こうすればこうなりますから、やってみましょう」
というのも、実験と言えば実験ですが、科学とは言えませんね。
結果を先に示されれば、言われたような結果が出れば「成功」で
違う結果が出れば「失敗」の烙印を押されてしまいます。
それでは、「うまくいって当たり前、失敗すれば怒られる」の世界です。
楽しいわけがありません。
「実験」は予想することが命です。
どっちになるか、いろんな説がある中で、自分の説が正しいことを
証明しようとする活動です。
そう考えると、実験が身軽なものなります。
何も高価な実験道具は必要ありません。
さらには、生徒が自分で実験する必要さえありません。
社会現象でも、気象現象でも、人間関係でさえ実験になります。
テスト勉の時は、「先生は何を出題するのか」を予想する
ドキドキする「実験」ができます。
零点のテストをお母さんに見せたら、お母さんはどんな反応を示すか!
これも、予想をいろいろ立てれば「実験」です。
あのお姉さんは、お店で何を買うのか?
これも予想を立てて見れば、「実験」なのです。
ニュースを見ながらも、家族でできますよ。
「小泉総理は経済制裁をするか」をみんなで予想するのです。
ですから、子どもに「正解」は簡単に教えてはいけません。
考え方の整理は手伝ってあげる必要があるでしょう。
そして、予想を3つくらいに絞ってあげるのです。
こういう考え方もあるし、こういう見方もある、
でも、もしかして…という具合に。
そして、お母さんも予想に参加するのです。
ヘタに何でも知っているお母さんよりも、
な~んにも知らないけど、一緒に考えてくれるお母さんの方が、
子どもの能力開発に何倍も貢献するのはこのためです。
予想をいろいろ立てていますと、だんだん、感覚が鋭くなってきます。
そして、どんな問題設定が楽しさを生み出すのかが、わかってきます。
そうして初めて、自分で学問をする意欲が湧いてくるのです。
今日は、ちょっと固い話ですみません。
次回から、もっと具体的にいきたいと思います。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
塾に行かなくても成績バツグン
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
社会に出たとき、最高レベルの頭脳戦で勝利するのは、
小さいとき「勉強」「勉強」で遊ばなかった子ではなく、
たっぷりと「遊びほうけて」いた子がほとんどのようです。
人間のアタマは、機械とは違い、使えば使うほど能力アップします。
それこそ、無限に伸びると言えるそうです。
だから、「勉強」が大事、と大人は思ってしまうのですが、
「勉強」よりもっともっと、アタマを使う方法があります。
それが、子どもが夢中になってしている遊びです。
(ただし、テレビゲームは注意をした方が良いようです)
大人には、「遊び」=「怠けている」「だら~っとしている」
という意味なのですが、子どもにとっては、全然違います。
「遊び」=「猛烈に勉強している」という意味なのです。
学校でも、授業中は、ぼんやりして、生きてるかどうかもという子が、
休み時間になると、目がパッと開いて校庭に飛び出していきます。
どちらが、頭脳を使っているか、一目瞭然ですね。
ぜひ、夢中で遊んでいるときは、そっとしておいてやってください。
よく、遊びが大切だと知ると、「こうやって遊びなさい」と
口出しをして、せっかくの集中を邪魔するお母さんがいます。
さらには、叱ってしまうお母さんまで、
本末転倒ですね。
まずは、笑って、暖かく見守りましょう。
そして、お父さん。お母さんが率先して、遊んでみせましょう。
決して強制にならないように、気を使いながら。
今日は、漠然としたことばかりでしたが、次回から、もっと具体的にしたいと思います。
私のもう一つのテーマ、子育てについてです。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
わが子がよい子に見える魔法
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
私の塾のモットーは、「学問は遊びだ。科学はイタズラだ。」です。
イタズラができない科学実験なんて、ライトの点かないクリスマスツリーみたいなもんです。
ところが、信じられますか?
当はてなランドでも、イタズラができない子が増えているんです。
子どもがイタズラをすると、大人は叱ります。
でも、イタズラは「悪い」ことなんでしょうか?
イタズラは、好奇心の表れなんですから、
子どもの成長にとっては、「良い」行動なんです。
学校では、子どもの意欲の無さが問題になります。
「意欲」は「やる気」、「根性」とも言われますが、
それよりまず、目の輝きとなって表れます。
子どもは正直です。顔の表情ですぐわかりますね。
ところが、今、いきいきしていない子どもが多いんです。
どんよりした目。表情もだら~ん。そして無口です。
一見、おとなしいもんですから、「良い子」に見えます。
イタズラもせず、おとなしく親のいうことを聞く子を
大人たちは、「良い子ねえ」とほめてしまいます。
シュタイナー教育の勉強会で教えられたのも、
7才までは、「意欲」を育てなくてはならず、
これをこの時期におろそかにすると、
あとで取り返しがつかなくなるということでした。
ちなみに、14才までのテーマが「思いやり」であり
それ以降にやっと、「知識」のアタマの開発がポイントになると。
少なくとも、3才未満の子に「意欲」が見られないのは、危険信号でしょう。
親に好奇心を抑えることを「良い子」という言葉で、
ほめられ続けますと、本当に親思いの良い子ほど、
イタズラも反抗もできない子になってしまいます。
子どもは「甘え」と「反抗」の繰り返しで成長していくのですが、
そのサイクルがストップしてしまいます。
もし、意欲が育っていないのに、別の動機で勉強をいっぱいさせたら、
将来、…想像しただけでも、怖いですね。
イタズラと躾けは別問題です。
イタズラは、決して叱らないでください。
まず、笑ってながめましょう。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
世界がワクワク・ドキドキになる魔法
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
理科ばなれが問題になっています。
ある人は、実験をしなくなったからだと言います。
確かに、実験は少なくなっているでしょう。
しかし、実験さえやれば、理科が好きになるというものではありません。
実際、生徒自身が、あまり実験をすすんでしようとはしません。
どうしてでしょうか?
まず、その実験が自分たちの生活と、どう結びついているのか、
だから、何なのかが、さっぱりわからないからです。
わかったとしても、ワクワクする内容でないのです。
今までの常識をくつがえして、
新しい世界を広げてくれるものになっていないのです。
いわゆるテーマの設定の問題です。
次に、これが一番のポイントだと思うのですが、
結果が最初から教えられているのです。
これでは、ワクワクするどころか、「実験」とさえ言えません。
いろんな仮説があるけれど、どれが正しいかを判定するために
「実験」で白黒つけようじゃないか、というのが実験です。
もちろん、「こうすればこうなりますから、やってみましょう」
というのも、実験と言えば実験ですが、科学とは言えませんね。
結果を先に示されれば、言われたような結果が出れば「成功」で
違う結果が出れば「失敗」の烙印を押されてしまいます。
それでは、「うまくいって当たり前、失敗すれば怒られる」の世界です。
楽しいわけがありません。
「実験」は予想することが命です。
どっちになるか、いろんな説がある中で、自分の説が正しいことを
証明しようとする活動です。
そう考えると、実験が身軽なものなります。
何も高価な実験道具は必要ありません。
さらには、生徒が自分で実験する必要さえありません。
社会現象でも、気象現象でも、人間関係でさえ実験になります。
テスト勉の時は、「先生は何を出題するのか」を予想する
ドキドキする「実験」ができます。
零点のテストをお母さんに見せたら、お母さんはどんな反応を示すか!
これも、予想をいろいろ立てれば「実験」です。
あのお姉さんは、お店で何を買うのか?
これも予想を立てて見れば、「実験」なのです。
ニュースを見ながらも、家族でできますよ。
「小泉総理は経済制裁をするか」をみんなで予想するのです。
ですから、子どもに「正解」は簡単に教えてはいけません。
考え方の整理は手伝ってあげる必要があるでしょう。
そして、予想を3つくらいに絞ってあげるのです。
こういう考え方もあるし、こういう見方もある、
でも、もしかして…という具合に。
そして、お母さんも予想に参加するのです。
ヘタに何でも知っているお母さんよりも、
な~んにも知らないけど、一緒に考えてくれるお母さんの方が、
子どもの能力開発に何倍も貢献するのはこのためです。
予想をいろいろ立てていますと、だんだん、感覚が鋭くなってきます。
そして、どんな問題設定が楽しさを生み出すのかが、わかってきます。
そうして初めて、自分で学問をする意欲が湧いてくるのです。
今日は、ちょっと固い話ですみません。
次回から、もっと具体的にいきたいと思います。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
塾に行かなくても成績バツグン
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
社会に出たとき、最高レベルの頭脳戦で勝利するのは、
小さいとき「勉強」「勉強」で遊ばなかった子ではなく、
たっぷりと「遊びほうけて」いた子がほとんどのようです。
人間のアタマは、機械とは違い、使えば使うほど能力アップします。
それこそ、無限に伸びると言えるそうです。
だから、「勉強」が大事、と大人は思ってしまうのですが、
「勉強」よりもっともっと、アタマを使う方法があります。
それが、子どもが夢中になってしている遊びです。
(ただし、テレビゲームは注意をした方が良いようです)
大人には、「遊び」=「怠けている」「だら~っとしている」
という意味なのですが、子どもにとっては、全然違います。
「遊び」=「猛烈に勉強している」という意味なのです。
学校でも、授業中は、ぼんやりして、生きてるかどうかもという子が、
休み時間になると、目がパッと開いて校庭に飛び出していきます。
どちらが、頭脳を使っているか、一目瞭然ですね。
ぜひ、夢中で遊んでいるときは、そっとしておいてやってください。
よく、遊びが大切だと知ると、「こうやって遊びなさい」と
口出しをして、せっかくの集中を邪魔するお母さんがいます。
さらには、叱ってしまうお母さんまで、
本末転倒ですね。
まずは、笑って、暖かく見守りましょう。
そして、お父さん。お母さんが率先して、遊んでみせましょう。
決して強制にならないように、気を使いながら。
今日は、漠然としたことばかりでしたが、次回から、もっと具体的にしたいと思います。
先生にお歳暮を贈ろう
この時期、塾長である私は、
ありがたいことに授業料の他に、
プレゼントをしばしばいただきます。
うちの息子は、正直に、「スゲー、どうしてもらうの?」
と叫んでしまいます。
考えてみりゃ、不思議なことです。
授業料をもらっているんですから。お客様なんですから。
本当は、こちら側からお持ちしてアタマを深々下げるべきです。
お母さん方のありがたい贈り物を「ワイロ」と言うのは失礼です。
しかし、私も人間です。
一箱のみかん、お米、漬け物、ビール、お酒で、
コロっと、うんガンバロウ! って気持ちが盛り上がります。
学校の先生は、もちろん、公務員ですから、目立つものは迷惑です。
しかし、だからと言って、何も贈らないでいいものでしょうか?
はっきり言って、私にとっても、私塾での仕事量よりも、
学校でのエネルギー消費量は、数倍に達します。
いくら仕事だからと言って、感謝の気持ちは、大切な心の支えです。
保護者からの反応は、貴重な羅針盤でさえあるのです。
特に、何かあって、いっぱい先生の手を煩わせた覚えのある方。
いじめの問題、学習の遅れ、特別配慮が必要な場合など、
ぜひぜひ、感謝の気持ちを伝えてやってください。
どれだけ励みになるかわかりません。
終業式の近い日のこと、補助員に過ぎない私に、1年生の女の子が、
手作りのクリスマスリースとカードをプレゼントしてくれました。
そこには、お母さんからの感謝のメッセージがありました。
これまで、その子はとってもおとなしい子なもんですから、
はっきり言って、あまり意識に上らないでいました。
しかし、お礼の手紙を書き、これまでの彼女とのふれ合いを思い返すと、
自分の意識改革をグっと迫られる思いです。
新学期は、早速、あの子のクラスには、何か面白いネタを披露してやろう、
て思っちゃいます。
もちろん、お母さん方は、心で十分感謝をしておられると思います。
また、日頃から連絡帳を通してもしていると思います。
しかし、あらためて気合いを入れた感謝は、やっぱり違うのです。
病院の先生なら、もうガッポガッポもらっているでしょう。
しかし、学校の先生は、その性質上、ほとんどもらいません。
当たり前ですよね。
でも、そこに盲点があります。
本当は、いっぱいもらって当然なのにもらっていない。
そういう人に、迷惑がかからないような形の感謝のシルシが届いたら
効果バツグンだと思いませんか?
何についでもそうですが、学校の先生は、意外に、
父兄からアクションが無いと、問題意識に上らないものなのです。
何せ、1対30です。
一人のわが子さえ、もてあましているのに、もう毎日が戦場です。
この修羅場をくぐりぬけるには、相当おおざっぱな神経でないと
身が持たないのです。
ですから、良きにつけ悪きにつけ、父兄からの反応が無いと
どんどん先生の意識の中で、存在感が小さくなってしまいます。
とにかく、先生に「刺激」を与えて損なことはないのです。
贈る中身は、やっぱりメッセージ中心にならざるを得ません。
それにプラス、手作りの小さな一品。負担感がないもの。
しかも、子どもも関わって作ったとなれば、もらう大義名分もでき、
インパクトは十分です。
ただ、職員室ではやめといた方が良いでしょう。
どんな雰囲気の学校かで、影響が変わりますから。
それより、校長先生を通して担任の先生に渡した方がいいかもしれません。
そうそう、校長先生への感謝も、大穴です。
教頭先生は、もっと大穴です。
実際、取り仕切っているのは、教頭先生ですから。
その影響力を考えれば、莫大な「贈り物効果」を期待できます。
以上は、「裏技」です。
表だっては、決して言えないことです。
しかし、純粋な気持ちの交流としても、じっとしていられないのが
自然ではないでしょうか?
皆さんのご意見をお待ちしています。
現職の先生方は、発言しにくいでしょうが。ぜひ、お願いします。
ありがたいことに授業料の他に、
プレゼントをしばしばいただきます。
うちの息子は、正直に、「スゲー、どうしてもらうの?」
と叫んでしまいます。
考えてみりゃ、不思議なことです。
授業料をもらっているんですから。お客様なんですから。
本当は、こちら側からお持ちしてアタマを深々下げるべきです。
お母さん方のありがたい贈り物を「ワイロ」と言うのは失礼です。
しかし、私も人間です。
一箱のみかん、お米、漬け物、ビール、お酒で、
コロっと、うんガンバロウ! って気持ちが盛り上がります。
学校の先生は、もちろん、公務員ですから、目立つものは迷惑です。
しかし、だからと言って、何も贈らないでいいものでしょうか?
はっきり言って、私にとっても、私塾での仕事量よりも、
学校でのエネルギー消費量は、数倍に達します。
いくら仕事だからと言って、感謝の気持ちは、大切な心の支えです。
保護者からの反応は、貴重な羅針盤でさえあるのです。
特に、何かあって、いっぱい先生の手を煩わせた覚えのある方。
いじめの問題、学習の遅れ、特別配慮が必要な場合など、
ぜひぜひ、感謝の気持ちを伝えてやってください。
どれだけ励みになるかわかりません。
終業式の近い日のこと、補助員に過ぎない私に、1年生の女の子が、
手作りのクリスマスリースとカードをプレゼントしてくれました。
そこには、お母さんからの感謝のメッセージがありました。
これまで、その子はとってもおとなしい子なもんですから、
はっきり言って、あまり意識に上らないでいました。
しかし、お礼の手紙を書き、これまでの彼女とのふれ合いを思い返すと、
自分の意識改革をグっと迫られる思いです。
新学期は、早速、あの子のクラスには、何か面白いネタを披露してやろう、
て思っちゃいます。
もちろん、お母さん方は、心で十分感謝をしておられると思います。
また、日頃から連絡帳を通してもしていると思います。
しかし、あらためて気合いを入れた感謝は、やっぱり違うのです。
病院の先生なら、もうガッポガッポもらっているでしょう。
しかし、学校の先生は、その性質上、ほとんどもらいません。
当たり前ですよね。
でも、そこに盲点があります。
本当は、いっぱいもらって当然なのにもらっていない。
そういう人に、迷惑がかからないような形の感謝のシルシが届いたら
効果バツグンだと思いませんか?
何についでもそうですが、学校の先生は、意外に、
父兄からアクションが無いと、問題意識に上らないものなのです。
何せ、1対30です。
一人のわが子さえ、もてあましているのに、もう毎日が戦場です。
この修羅場をくぐりぬけるには、相当おおざっぱな神経でないと
身が持たないのです。
ですから、良きにつけ悪きにつけ、父兄からの反応が無いと
どんどん先生の意識の中で、存在感が小さくなってしまいます。
とにかく、先生に「刺激」を与えて損なことはないのです。
贈る中身は、やっぱりメッセージ中心にならざるを得ません。
それにプラス、手作りの小さな一品。負担感がないもの。
しかも、子どもも関わって作ったとなれば、もらう大義名分もでき、
インパクトは十分です。
ただ、職員室ではやめといた方が良いでしょう。
どんな雰囲気の学校かで、影響が変わりますから。
それより、校長先生を通して担任の先生に渡した方がいいかもしれません。
そうそう、校長先生への感謝も、大穴です。
教頭先生は、もっと大穴です。
実際、取り仕切っているのは、教頭先生ですから。
その影響力を考えれば、莫大な「贈り物効果」を期待できます。
以上は、「裏技」です。
表だっては、決して言えないことです。
しかし、純粋な気持ちの交流としても、じっとしていられないのが
自然ではないでしょうか?
皆さんのご意見をお待ちしています。
現職の先生方は、発言しにくいでしょうが。ぜひ、お願いします。
何かが欠けている
先生たちは忙しいです。
校長先生も、指導主事の先生も。教育委員会も。
みんな懸命に働いていて、研修も受けていて、保護者との関係に努め、
聞けばすばらしい教育論を展開してくれます。
でも、何かが欠けている。
教育界全体を通じて 何かが抜け落ちているような気がします。
独断と偏見で感想を言います。
「燃えるような情熱」にほとんど出会わないのです。
個人的に使命感をもって、活き活きと仕事をされている方はいます。
しかし、それでも、私がこれまで一般社会で出会った、
「燃える経営者」「燃える少年野球の監督」と比べると
ほとんど残り火で生きているようにさえ感じます。
なぜ、なんだろう。
やっぱり公務員だからだろうか。
「夜回り先生」や「泣き虫先生」は突然変異種なのか?
私は、無理を承知で、あえて先生に燃え上がってもらいたいと願います。
そのためのバックアップなら、市民は必ず協力をするはずです。
そのためには、何が必要か?
それは、教育への「理想」です。
そして、それに基づく「ビジョン」です。
こういうすばらしい学校が世界にはあるんだ!
僕たちにもできるんだ!
ぜひ、困難を乗り越えてでも作ろう!
という情熱です。
私は、この意味で、日本の常識を打ち破った学校の情報を
これから集めていきたいと思います。
本当は、学校内で夢をたたかわせられればいいんですが。
校長先生も、指導主事の先生も。教育委員会も。
みんな懸命に働いていて、研修も受けていて、保護者との関係に努め、
聞けばすばらしい教育論を展開してくれます。
でも、何かが欠けている。
教育界全体を通じて 何かが抜け落ちているような気がします。
独断と偏見で感想を言います。
「燃えるような情熱」にほとんど出会わないのです。
個人的に使命感をもって、活き活きと仕事をされている方はいます。
しかし、それでも、私がこれまで一般社会で出会った、
「燃える経営者」「燃える少年野球の監督」と比べると
ほとんど残り火で生きているようにさえ感じます。
なぜ、なんだろう。
やっぱり公務員だからだろうか。
「夜回り先生」や「泣き虫先生」は突然変異種なのか?
私は、無理を承知で、あえて先生に燃え上がってもらいたいと願います。
そのためのバックアップなら、市民は必ず協力をするはずです。
そのためには、何が必要か?
それは、教育への「理想」です。
そして、それに基づく「ビジョン」です。
こういうすばらしい学校が世界にはあるんだ!
僕たちにもできるんだ!
ぜひ、困難を乗り越えてでも作ろう!
という情熱です。
私は、この意味で、日本の常識を打ち破った学校の情報を
これから集めていきたいと思います。
本当は、学校内で夢をたたかわせられればいいんですが。
百聞は一見にしかず
入学する学校の説明会に出席されると、学校案内や学校要覧を渡され、
それに基づいて、学校の教育目標や基本方針が説明されますね。
また、新年度の説明会でもいろいろPRされるでしょう。
しかし、文書や言葉で集めた情報は、氷山の一角どころか、
実態と正反対のことだったりします。
良いことも悪いことも含めて、
表面には出てこない、隠れた基本方針・カリキュラムが必ずあります。
それを発見するためには、百聞は一見にしかずです。
特に学校を決める前には、必ず見学しましょう。
もちろん、二つ以上の学校を見学しなければ比較できませんね。
できれば、時間帯を変えて、二回以上見ましょう。
行事のときに参加すれば、思わず実態がかいま見えることがあります。
また、行事で知り合った様々な立場の人から、
フランクに、学校の様子を聞くことができます。
でも、最も大切なのは、子どもたちの様子です。
大人が学校を視察すると、どうしても主役が、先生や保護者になります。
良い学校かどうかは、まず、子どもにとって良い学校か、です。
教室の中で子どもたちがどのように動き、感じているのか、
先生と生徒たちが、どのようなやりとりをし、関係を築いているのかを
感じ取ることが、最も大事です。
と、言っても、短時間でポイントを見るのは、たいへんです。
これまた、独断と偏見のアドバイスをさせていただきたいと思います。
それに基づいて、学校の教育目標や基本方針が説明されますね。
また、新年度の説明会でもいろいろPRされるでしょう。
しかし、文書や言葉で集めた情報は、氷山の一角どころか、
実態と正反対のことだったりします。
良いことも悪いことも含めて、
表面には出てこない、隠れた基本方針・カリキュラムが必ずあります。
それを発見するためには、百聞は一見にしかずです。
特に学校を決める前には、必ず見学しましょう。
もちろん、二つ以上の学校を見学しなければ比較できませんね。
できれば、時間帯を変えて、二回以上見ましょう。
行事のときに参加すれば、思わず実態がかいま見えることがあります。
また、行事で知り合った様々な立場の人から、
フランクに、学校の様子を聞くことができます。
でも、最も大切なのは、子どもたちの様子です。
大人が学校を視察すると、どうしても主役が、先生や保護者になります。
良い学校かどうかは、まず、子どもにとって良い学校か、です。
教室の中で子どもたちがどのように動き、感じているのか、
先生と生徒たちが、どのようなやりとりをし、関係を築いているのかを
感じ取ることが、最も大事です。
と、言っても、短時間でポイントを見るのは、たいへんです。
これまた、独断と偏見のアドバイスをさせていただきたいと思います。
学校とは「学校の常識」でつきあえば楽しい
学校の「常識」は社会の「非常識」とは良く言われますね。
私が、学校に出入りして、まず感じたのも実はこれなのです。
常識的な人が先生になっているはずなのですが、
ビミョーにズレているのです。
最初は、それほど気にならなくても、毎日おつきあいをしているうちに、
ストレスがボディーブローのように効いてきます。
それは、たとえば、「教える立場」に慣れすぎてしまっていることです。
「学校はサービス業である」とか、
「教員は公務員であるから、市民の公僕だ」
という市民側の「常識」を、まともに持ち込むとたいへんです。
クレームも要望も、提案もすべて、
「教えていただく」形をとらなくては前にすすみません。
でも私は、これをもって先生方を非難しようとは思いません。
誰だって、「先生」「先生」と毎日言われ続ければ感覚は狂います。
子どもに接するのと同じように、親にも接してしまいます。
だいたいにおいて、ほとんどの先生は、「純粋培養」です。
23才以降、一回も一般社会に身を置いていないのですから。
また、教員には、芸能人や政治家以上に二世・三世が多いのです。
また、親がそろって教員も、珍しくはありません。
本人も、これまた教員同士で結婚しちゃいます。
先祖代々、「先生」にどっぷりつかっているのです。
感覚が多少ズレても、これは、職業病だと見てやるしかないでしょう。
それに、学校では、生身の子どもが現在進行形で成長しています。
先生や学校との正面衝突は、悲劇で終わることがほとんどです。
裁判は、最後の最後の核兵器ボタンです。
逆に、<ここがポイントです。>、先生たちの「常識」を使ってやると、
こちらの思った方向に、先生や学校を手の上で転がすことができます。
そして、一度その良い循環に入ると、学校のパワーが見えてきます。
それは、それは恐るべし、です。
何せ、有名進学塾の何百倍、何万倍のパワーをもっているんですから。
そして、面白いったらキリがありません。
とにかく、先に相手の立場に立った方が、勝ちなのですね。
この世の中は。
この意味で、これからこの日記では、少しずつ、
学校を楽しむための「ルール」を
(私の独断と偏見で)
お伝えしたいと思います。
批判や不快に思われる方も多いと思いますが、
一人でも、ヒントとしてお役に立てれば幸いです。
私が、学校に出入りして、まず感じたのも実はこれなのです。
常識的な人が先生になっているはずなのですが、
ビミョーにズレているのです。
最初は、それほど気にならなくても、毎日おつきあいをしているうちに、
ストレスがボディーブローのように効いてきます。
それは、たとえば、「教える立場」に慣れすぎてしまっていることです。
「学校はサービス業である」とか、
「教員は公務員であるから、市民の公僕だ」
という市民側の「常識」を、まともに持ち込むとたいへんです。
クレームも要望も、提案もすべて、
「教えていただく」形をとらなくては前にすすみません。
でも私は、これをもって先生方を非難しようとは思いません。
誰だって、「先生」「先生」と毎日言われ続ければ感覚は狂います。
子どもに接するのと同じように、親にも接してしまいます。
だいたいにおいて、ほとんどの先生は、「純粋培養」です。
23才以降、一回も一般社会に身を置いていないのですから。
また、教員には、芸能人や政治家以上に二世・三世が多いのです。
また、親がそろって教員も、珍しくはありません。
本人も、これまた教員同士で結婚しちゃいます。
先祖代々、「先生」にどっぷりつかっているのです。
感覚が多少ズレても、これは、職業病だと見てやるしかないでしょう。
それに、学校では、生身の子どもが現在進行形で成長しています。
先生や学校との正面衝突は、悲劇で終わることがほとんどです。
裁判は、最後の最後の核兵器ボタンです。
逆に、<ここがポイントです。>、先生たちの「常識」を使ってやると、
こちらの思った方向に、先生や学校を手の上で転がすことができます。
そして、一度その良い循環に入ると、学校のパワーが見えてきます。
それは、それは恐るべし、です。
何せ、有名進学塾の何百倍、何万倍のパワーをもっているんですから。
そして、面白いったらキリがありません。
とにかく、先に相手の立場に立った方が、勝ちなのですね。
この世の中は。
この意味で、これからこの日記では、少しずつ、
学校を楽しむための「ルール」を
(私の独断と偏見で)
お伝えしたいと思います。
批判や不快に思われる方も多いと思いますが、
一人でも、ヒントとしてお役に立てれば幸いです。
理想の学校に向かって
学校は、もっともっとステキになれます。
もっともっと楽しくなれます。
もっともっと良くならなければいけません。
これから、いろんなタイプの学校が生まれるでしょう。
教育の「常識」がひっくり返る「革命」が起ころうとしています。
今の学校を見つめるだけでなく、
そんな未来の学校の姿に思いを馳せるのも、
心をリフレッシュさせるためにも必要かもしれません。
これから、週に2度のペースで、日本のすばらしい学校の事例ばかりでなく、日本の常識を越える世界の教育事情もお伝えできれば、と思っています。
学校をつまらなくしているのは、先生と市民の古くて固い「常識」なんですから
もっともっと楽しくなれます。
もっともっと良くならなければいけません。
これから、いろんなタイプの学校が生まれるでしょう。
教育の「常識」がひっくり返る「革命」が起ころうとしています。
今の学校を見つめるだけでなく、
そんな未来の学校の姿に思いを馳せるのも、
心をリフレッシュさせるためにも必要かもしれません。
これから、週に2度のペースで、日本のすばらしい学校の事例ばかりでなく、日本の常識を越える世界の教育事情もお伝えできれば、と思っています。
学校をつまらなくしているのは、先生と市民の古くて固い「常識」なんですから
学校のココを見よう。
教育にシロウトの私たちが、学校を評価しようったって、何を基準に善し悪しを言えば良いのか、分かりませんよね。
どこを注目したら良いのかさえ、わかりません。
だいたいにおいて、学校側が強調するポイント自体が的はずれだったり、意味がないことだったりします。
これからは、「良い学校」を見極める目が大切です。
私立に限らず、公立学校も、校長先生の考え方で、ガラっと変わった学校になる時代です。
学校の選択制の幅も広がってきています。
たとえ、選べなかったにしても、その学校の特徴をつかんでおくことは、「敵を知る」意味で、戦いを有利に運ぶ秘訣です。
週に2回のペースで、私が公私ともに、多くの学校を訪問して身につけた、学校や先生を見るポイントを独断と偏見でお伝えしちゃいます。
「校長先生には、何を質問すれば良いのか?」
「何をほめれば喜ぶのか?」
これって、とっても大切なことなんですよ。
映画の予告編みたいですが、お楽しみに!
どこを注目したら良いのかさえ、わかりません。
だいたいにおいて、学校側が強調するポイント自体が的はずれだったり、意味がないことだったりします。
これからは、「良い学校」を見極める目が大切です。
私立に限らず、公立学校も、校長先生の考え方で、ガラっと変わった学校になる時代です。
学校の選択制の幅も広がってきています。
たとえ、選べなかったにしても、その学校の特徴をつかんでおくことは、「敵を知る」意味で、戦いを有利に運ぶ秘訣です。
週に2回のペースで、私が公私ともに、多くの学校を訪問して身につけた、学校や先生を見るポイントを独断と偏見でお伝えしちゃいます。
「校長先生には、何を質問すれば良いのか?」
「何をほめれば喜ぶのか?」
これって、とっても大切なことなんですよ。
映画の予告編みたいですが、お楽しみに!