今日は、木曜日で平和の会です。

僕の携帯のニュースにあがってた話です。
食糧問題の話で、飢餓を救うためにお金持ちに寄付して欲しいというものでした。
お金持ちは、良いよって言いました。
日本円で6000億円くらいです。
良いよって言いました。

すごいですね。
お金持ちは、ある一定を超えると地位や名誉を求める傾向にあるらしいです。

ここからが、お金持ちらしい意見です。
そのお金の使い道を透明性を持ってどのように飢餓を救うか報告して欲しいと言いました。
これ本当に思います。
大きくなりすぎた組織は、腐敗も多くなります。
小さな組織は、志で集まった集団ですが、大きくなると志のみでは成り立ちません。飢餓を救うためにどうすれば良いかの根本原因を根絶しないと飢餓はなくなりません。

飢餓のない国って何処なのか?って考えたら、日本かなって思いました。もちろん、調べてないので日本で飢餓あるのか知りませんが、少ないのかなって思いました。

では、飢餓のある場所を日本みたいにしようと思うとどうすれば良いのかって考えました。
無理でした。0から考えると僕の能力では無理でした。

この話は、何かの情報から拾ったものです。
その話とは、一瞬だけ空腹を満たすのは簡単です。ご飯をあげればいいだけです。それをその空腹の人に永遠にやってあげるのなら問題ないです。でも実際には不可能です。
その空腹の人が、ずっと食料を得ることができる仕組みを作らなければなりません。
それが支援という仕組みです。
この仕組みを考えずして支援はないと断言していました。

お金持ちの人も、中々難しいお題を出したと思います。間違いなくそのお金を支払える能力があるにも関わらずこのお題を出すということは、寄付される側の本気を試しているようです。

何かをやろうと思うと細部まで計画を立てないと必ず何処かに抜けがあって、組織が大きくなるとその抜けが致命的です。

飢餓があるということは、人はいるということです。その人達に無料で支援しても、無料の食事をあげているだけです。飢餓は、食料を買うお金がないから起こります。本当の飢餓は、食べるものがないという状態ですが、食糧が余っている国があるというのも事実です。
だとすれば、食糧を作り出すものに資金を寄付してもらい、飢餓で苦しむ人にその施設を作るために働いてもらって食糧を渡す仕組みを作らないといけません。
中々ハードル高いですね。
あの有名な鶏が先か、卵が先かですね。

この手の議論で必ず感情論で話すやからが多数派で存在しますが、彼らは基本的に喉元過ぎたらいなくなる存在なのに白熱してるときはうようよ出てきます。そういう人達が大きく物事が動くときに邪魔をします。自分自身もその多数派にならないように感情論だけでなく、理論的に問題に向き合えるようにしていきたいと思います。

難しいことは、賢い人に考えてもらって、僕はまず自分のことを終わらせて、その上で他人を喜ばせる方法を考えたいです。