こんにちはカワウソです☆
昨日、私の姉の旦那さんのお母さんが亡くなりました
今日の昼休みに近かったので職場のチャリンコに乗って(20分ぐらい)葬儀会場の霊安室に行ってお線香をあげてきました
カワウソ
「おばさん久しぶりやなぁ
アルツハイマーを患って長い施設での生活やったね
もう大丈夫だからね
ゆっくりと次の生まれ変わりの準備でもするんやで
地球のどこかでまた会おうね
お疲れ様でした」
私は心の中で語りかけました
そして姉家族達と短い打ち合わせを済ませました
カワウソ
「おばちゃん
また明日くるからなぁ」
声を出して語りかけ霊安室を後にしました
仕事に戻るために駐輪所前で加熱タバコを吸っていたら頭がビビビーンときておばさんの意識が入ってきました
「ヒロシ君、わざわざ来てくれてありがとうね
後、皆(姉家族)のことをよろしく頼むよ」
カワウソ
「はい、わかりました
聞こえています
有難うございます」
そして私はチャリンコをこいで職場へと帰りました
姉は今年に二人の母を同時に亡くしました
明日、通夜を行い明後日に告別式です
姉の気疲れが心配になりますが仕方がありません
おばちゃんは体調を崩し施設を離れ病院で療養していたのですが
肺炎になり酸素供給数値が下がり亡くなりました
その病院でコロナ患者が発生していた事により姉夫婦は亡くなるまでの半年間面会禁止が続き亡くなってから顔を見ることができたのです
十分に検査を受けコロナには感染もしていないのにです
姉家族の息子、娘、そして旦那さんは実の母の顔を見ることも手を握ることもできずに半年後に亡くなってからご対面ですよ
しかも病院に駆けつけても首に許可証をぶら下げられ一人ずつ5分程度しか対面させてもらえなかったらしいですよ
無念極まりないですよね
狂ったコロナの方程式ですよ
マスクが体の下着に同化して人の思考回路を狂わせている
認知症だった私の母は去年の年末に胃癌のために胃を切除し、痩せ細り弱った極限状態であったにも関わらず病院からインフルエンザワクチンを打たされ数日後に様態が急変し肺炎になり生死をさ迷い続けて2月に亡くなりました
私はコロナなんか屁とも思っていない
でもマスクを付けていないと社会では受け入れてもらえない
職場では毎日の接触状況表を強制的に作らされている
言うことを聞かないものは危険因子とみなされ罵倒されていく
まさしく狂ったコロナの方程式ですよ
人は皆いい加減な価値観に惑わされ自分自身か信じた価値観が絶対であると錯覚し、平気で人の価値観をジャッジしてしまう傾向がある
これが正しい、これが間違っていると強弱をつけていることに気づかないでいる
もっともらしいことを言って人を傷つけては自己満足に酔いしれる
なんでわからないの?と他人を諭そうとする
最近スピリチュアルにも同じような傾向が現れてきているように思う
今のスピリチュアルは痛スピだとか金儲けだとか上辺だけのヒラヒラスピだとか気持ち悪いだとかスピがスピを批判しはじめている
正しいスピとは何ぞや?
とにかく批判しだしたらキリがない
チャネリングに依存してはいけないとか宗教に依存するなとか言いだしたらきりがない
まさしくきりがないのないないずくし
私自身も他者から見れば同類項かもしれない
これはこうですと私が言っていること自体いい加減なものです
そして自分自身が屁理屈と公爵をたれているなと自分が自分を見ています
自分の目に写る宇宙の正解を解き明かすなんて
今の私には無理ですね
魂自身は宇宙の七不思議を解っていると察することができると思いますが
今の自我と個性の人生はたかが長く生きて100年足らず・・・
何もわかっちゃいないというのが正解かもしれない
その解っていないということを理解することが無限を感じとるヒントかもしれない
無限意識はその一人一人の独自環境を通して私達に錯覚している色を展開させてくれている
パターン化された思考と反応の繰り返しが自我の中で行われ、それを疑う余地がない状態であぐらをかいてしまっている
そのカラクリに気付くと自分を変えようという新しいパターンを創造し自ら環境を整えていくのかもしれない
宗教もスピリチュアルもその通過点にしか過ぎず必要なくなったらホームを降りて新しい列車に乗り換えレベルを超えていく
その環境を学びとして捉えることができたとしたならば感謝が生まれそして更新して手放していく
そしてまた新しい発見が生まれ感謝が生まれ新たに更新していく
結局は何の無駄もない宇宙の完璧さに圧倒され
過去の記憶として笑って過ごせるようになっていくのかもしれない
私がコロナや陰謀論という苛立つ薬味を感謝へと変換し更新することが出来たならば私の頭も身軽になって目から鱗が剥げ落ちるのかもしれない
そして
「貴方は私であり、そして私は貴方なのだ」
という単純な言葉を理解できていくのかもしれない
読んでいただき有難うございました ☆感謝、感謝☆
