こんにちはカワウソです☆
私は昔、20代前半に硫黄島に2年間、南鳥島に3ヶ月勤務していました。
数百人の自衛隊員とアメリカ沿岸警備隊員と基地工事の鹿島建設の作業員しか住んでいませんでした。
そこには女性がいない・・・
娯楽施設もない。
基地の売店以外に店もない。
あるのは飛行場とその施設だけです。
1年後に休暇で帰った時に町に女性が歩いているのを見て感動したのを覚えています(^_^;)
食事は隊員食堂で腹を満たし、土日は缶詰飯です。
私は発電所のディーゼル員でした。
発電所の周りは自然しかないジャングルです。
飲み水は滑走路に溜まった雨水を貯め濾過して基地内に供給していました。
雨が降らないと貯水池の水が減っていきます。
極限状態になると臨時的に隊員の半分の人員が日本内地に返されていました。
私はいつも居残りグループです・・・ 風呂にも入れず、スコールが来ると一目散に雨樋の下にいって天然シャワーです。
島全土に地下壕がアリの巣のように構築されていて、慰霊碑だらけで島自体が墓標のような島です。
何万人という兵士の御遺体が島中に眠っています。
酒の肴は、休みの時にいつも釣りに出かけ現地調達の日々・・・
硫黄島独特の硬い土丹岩をくり抜き廃材から集めた鉛を溶かして流し込みオモリを作っていましたね。
ジャングルの硬い土を耕し畑を作り手頃な野菜を栽培していました。
種を蒔いても一晩たつと鳥にほじくり返され全滅しています・・・
それでもめげずに毎日水やりしながらタバコをふかして野菜の成長を見守るのが喜びでした☆
定期的に遺骨収集が行われ作業員に駆り出されます。
あるとき勤務していた発電所の倉庫施工工事の時、真下に地下3階ぐらいの壕が発見されました。
遺骨収集作業開始まで立ち入り禁止で封印されています。
私はこっそりと懐中電灯、水、りんご、線香をもって侵入しました。
天井の土が崩れ落ちそうです・・ そこで見た光景は今でも忘れることができません。
穴を塞がれ息絶えた何十体もの兵士の姿・・・ 手榴弾や小銃弾、ドラム缶、ヘルメット、小銃の錆びた鉄部分など遺品がゴロゴロしています。
白骨化した遺体と遺品がその絶滅した状況のまま残されています。
全ての遺骨の口の部分に手を合わせながら少しずつ水を流してあげました・・・
線香とリンゴを供えお祈りをして・・・ 記念に腐った小銃弾を数発ポケットに放り込み壕から出てきました。
その夜、発電所で当直勤務、仮眠ベットで目覚ましの横に盗んできた小銃弾を数発置いて寝ていたら・・・
「 ガタ!ガタ!ガタ!」 とベットが地震のように揺れ動きました。
次の日、皆に 「 昨夜地震ありましたよね!? 」 と聞いて回ってもみんな無いの一点張りです・・・ (>_<)
この頃に、いつも見晴らしの良い丘の木に取り付けられた諸先輩方作品のハンモックで横になり摺鉢山を眺めながら「魂とはなんなんだろなぁ・・・」と瞑想にふけっていたのを思い出します☆
守護神さん
「 大切なのはお前がそこで何を得たかじゃ。
物的刺激が少なく、その与えられた自然環境の中で自問自答することができた・・・
欲に溺れた物質的環境の中ではなかなか気づけん事も一杯あるんじゃよ・・・
自問自答してゆっくりと内心を観察できる環境が無いのが現在の社会じゃ・・・ ゲームやコンピュータに使われておるのう・・・
今の若者に必要なのは環境じゃ・・・
小さな子供がギュウギュウ詰めの通勤電車に乗せられ、大人の息苦しい部分を早くから体験させられておるのう・・・
しかし、いずれ自分の内面にアクセスするしかないと悟れるように魂の人生計画がインプットされておる
大人はその環境のおてつだいすればいいんじゃよ
それがお前たち中年の仕事じゃ!!
これから生まれてくる子供たちは霊的にも経験豊かな魂たちが誕生してくることとなる お前たちはその土台を作っていくんじゃよ
未来の子供たちを大切にしなさい!!
子から学ぶことがこれから多くなっていくことじゃろう 精進するんじゃ!
中年諸君達よ!! わっはっははは!! 」
読んでいただき有難うございました ☆感謝、感謝☆
