現代では、ネット社会が急速に加速して、 一家に一台はパソコンがあり、高速のネット通信が出来る状況となっている。 では、いつからそうなったのか。 今から18年前。1995年にはようやく、ネットのインフラが整い、 過程で通常にネットサービスを受けることが出来てきた。 もっと前からありますが、 windows95がいい起点となるのでそう書きます。   その時の速さは動画なんて快適に見れるものではなかった。 全員がネットを活用しているわけでもなかったので、 膨大な情報の量はまだネットになかったわけだ。   しかし、この約20年間のあいだに、 無法地帯といえるネット環境に誰もが書き込みが出来る掲示板や、 動画のアップサイトいろいろなまとめサイトなどが 莫大な量をものすごいスピードで構築されていった。   はじめは、本当に無法地帯である。 誰も監視するものがいなく、誰も規制することがなかったわけだ。 しかし、民衆、社会、組織は、 ネット社会へと必然と移行していくこととなる。   人は、見たことないもの、触れたことがないものに多大なる興味をもつように遺伝子に組み込まれている。 自分の知っていることだけを望んでいると、 進化しないからである。 人々は常に変化を求める。   常に、新しい環境と、情報。そして、経験を望む。   話を元に戻そう。 このネット社会だが大衆が興味を持ち、 構築を始めて現在まで20年しかたっていない。   その20年の間に浸透し、成長した。 管理しきれてない社会だ。 何十億人の人間が情報交換を出来るようになり、 社会と、企業、組織、民衆、マスコミなどが入り乱れ 複雑で混沌とした社会。 それが現状のネットワーク社会だ。   正しい情報と、正しくない情報。 必要とされる情報と、必要とされなくとも表示されている情報。   話の出所が、真実であるもの。虚実であるもの。 だろう、かもしれない、だといい。 ~だ。のはずだ。としか考えられない。   普段の生活の中で相手の目を見ながら生活していた人類が、 相手の目や顔、話口調などを理解することなく、文字で読み解く。   結果。   混乱する。 話の出所を確認するまでもなく、自らの情報や経験より、 その話を推測し、切り捨てたり、信じたり。   自分の興味がある情報を探しているから 必然と、自分の望んだ情報が入ってくる。それを信じる。 ブログや掲示板などでそれを吹聴する。  その2につづく・・・


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