9月11日 日曜日
この日に町店(まちだな)町の長(最近はおさと言っている)北川さん、同じ大和区紺屋町澤村さん、フジ木工富士男さん、小林テレビ渡辺社長、杉山、そしてオイラで倉庫を開ける。

太鼓台の箱の中を富士男さんが確認すると・・・これはスゴイ古い太鼓台だよ。舵棒も見たことない。との事。

再度、日程を改め、14日に運び出すこととなった。


そしてその間、同じ町の同級生で祭の大先輩、竹川裕史 ひろちゃんに相談、
「町店太鼓台14日に出すことに決まったよ。近場の同級生声掛けようか?」と伝え
「了解、何とか都合つけるよ。同級生声かけちゃって良いんじゃない」ってことで
何人かに声かけて、オイラも江戸から戻り14日を迎えました。

10時ちょうどにお宮の参道に着くと長から電話
「おい、早く来い、終わっちまうぞ」と北川の長
みんな揃っていて既に運び出しているところでした。


$「仕事のできる男」になる、をテーマに人生リセットしたオトコのどうでも良い日記


$「仕事のできる男」になる、をテーマに人生リセットしたオトコのどうでも良い日記


$「仕事のできる男」になる、をテーマに人生リセットしたオトコのどうでも良い日記


運び出して倉庫の中を見ると結構古いモノが出てきました。


$「仕事のできる男」になる、をテーマに人生リセットしたオトコのどうでも良い日記

大東亜戦争時の国債



$「仕事のできる男」になる、をテーマに人生リセットしたオトコのどうでも良い日記


大正10年の寄付芳名録



$「仕事のできる男」になる、をテーマに人生リセットしたオトコのどうでも良い日記


安政2年 左から2番目「傅七」と書かれている。
オイラの先祖。
橋傅の屋号はこの傅七さんから来たもの。