2月に出した論文の発表会が終わった。
得たいものはしっかりと身についてきた
と言う自分での納得感を以って。

ほーんとひと区切り。
4年間よくがんばりました。

論文書きたくて研修所入ったわけじゃないから
論文とかプレゼンはどうしてもあんまりモチベーションあがらなかったけど。

カウンセリングの臨床って意味では、本当に幅が広がったし、自信もついてきた。
(個人でやってるのも含めたらこの4年間で
相当やってきたからね。ほんとに。)

だからこそ。
コメントが嬉しかった。
◎さんは臨床的なセンスがあるだけに、余計におしい感じがしました。
(論文やる気ない問題)
もっと◎さんが感じたこと、見立てたこと、考えたことに沿ってセラピーを、やっていれば展開が変わった可能性があったのではと思いました。
(一緒にやると遠慮しちゃう問題)

つまりは、ちゃんと自分の感覚を信じてやって大丈夫だってことだし、やれよ、ってこと。

自分の中の奥の方ではある意味で自信ありまくるくせに
(なので頑固です)
外側に出すときにはそれを曇らせちゃう。

謙遜のコミュニケーションが苦手って自分で言ってるけど、
それ自分でやってるんだなって思った。
下手にでて、すでにある正解にいかに寄せてだすか、正解言ってくれてそうな人に寄せるか、みたいな。
そういうのは本当は得意ではないけど、わたしセンスあるので(笑)ある程度できちゃうからそこに磨きをかけようとしてしまう。

自分の感覚をそのままだしても、周りには受け入れられない。でも自分の感覚は間違ってない。

そうやって壁作ってるから、ひねっちゃうから、場面によってはこじれるよね。

めんどくさがらず、怖がらず、それを伝えていけばいいだけ。

思い返すと、仕事上の転機になるときには
これと似たようなことを認識して
意識して行動してきて変わってきた。

テーマはステージがかわっても
変わらず続いてるくんだなー。
てか隠れようとしてるから
そうなる、テーマが続くんよね。

ここができてないんだから
ここで主張しちゃだめよね
みたいな遠慮。
心理学用語でいうと
セルフハンディキャップのよつなもの。
びっくりするほどしてたんだな。
もういい加減やめてこ。
いや怖いよ…。
セルフハンディキャップ大好きすぎるもん、期待されずに済むから、落胆されずに済むから、何もより自分を守れるから自分が傷つかない。

だって本当にクソな部分はまじでクソな自覚あるし。

(そうやってどうしても最後は自分落とししたくなるものやめてこ?笑)


ご褒美ケーキ。
自分用に2つ選んで、
ケーキの箱を片手に持って
その箱を眺めながらルンルン帰る
のは子どもの無邪気さとと大人の自由さの
ハイブリッドな感じで
幸せ。