中高校生の頃に聞いた音楽たち | Hatch's smile

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中学になってからもY君とは 仲が良かった。その頃たぶん オフコースは ギターの鈴木さんが抜けて4人になった頃だったと思う。Y君も僕も相変わらず オフコースは好きだったが やはりずっと昔から小田和正さんと組んでいた鈴木さんが抜けたことは 僕らにとっても大きかった。しかし4人になったオフコースはサウンド感は変わったものの「君が嘘をついた」がヒットしていた。やっぱりこの頃からオフコース熱は少しづつ冷めていった。と同時に多少洋楽を好んで聞くようになってきた。イーグルスやクリストファークロス、フィル・コリンズ、ヒュールルイス&ニュース、などなどたくさん聞いた。やがて、4人になったオフコースも少しづつヒットがなくなって解散した。高校生になって、Y君は県内の優秀高へ 僕は都内の私立校に通うことになってY君とも疎遠になってしまった。僕は都内の私立高校のフォークソング部に一時期 所属していた。それが僕とフォークギターとの初めての出会いだった。少し恥ずかしいが、その頃僕はたぶん今で言うモテ期だったと思う。中学の3年くらいから 一応彼女もいたし、何故かファンクラブのようなものも密かに存在していた。一時期クラスでファンクラブ同士のもみ合いがあって 後から友人にたいへんだったと聞いたことがあった。高校に通ってからは そんなものは存在しないが相変わらず僕の後ろには 何人かの女子はたいていついて来ていた。今から思うと何故かな?って思う。フォークソング部の女の先輩にも 何故か僕を可愛がっていた先輩がいた。フォークソング部では やはりオフコースの曲を弾き語りした。他の同級生たちはグレープやあみん だったから二人組でフォークデュオみたくなっていたが僕はひとりオフコースが好きだった。「眠れぬ夜」「水曜日の午後」「でも花はいらない」などを練習した。定期コンサートと言う発表会があり 僕は初めて人前でギターの弾き語りを体験した。さだまさしが好きな先輩でとてもギターの上手な先輩にサポートしてもらいたぶん3曲くらい歌った。しかし、フォークソング部は 秋を迎える頃にはやめていた。何故かと言うとこれも女子がらみなんだけども その頃僕は 同じフォークソング部の髪がちょうど肩くらいまで伸ばしていたひとつ上の先輩に思いをよせていた。やさしい声の先輩でアダナはコタンって呼ばれていた。僕の中では とても可愛いくてきれいな先輩だった。しかし、その先輩が秋の始めくらいから海外に移住することになった。たぶん僕の一方的な片思いだっただろうけど先輩は やさしかった。何枚かの写真やピックケースにしまい込んだ先輩が書いてくれたサインは 今でも僕のピックケースに入っている。フォークギターはそれから38才まで たまにはケースから出して弦を張り替えチューニングまではすることはあったが殆ど弾くことはなかった。
高校生になってから聞いた音楽は マイケルジャクション、ジョージマイケル、ジョージハリスン、ビリージョエル、邦楽では ユーミン、サザン、などなどを聞いた。
高校生の頃 尾崎豊が流行っていたけれど この頃は あまり聞かなかった。軽音部が文化祭でやたらコピーをしていたがこの頃の尾崎豊は不良が好む音楽と言う印象が大きかった。だって「15の夜」では 盗んだバイクにまたがり、「十七歳の地図」では煙草を吹かしているんだから 教師たちもあまり歓迎はしてなかったと思う。僕が尾崎豊を聞くようになったのは彼が亡くなってからだ。でも高校生の頃にうっすらと聞いた尾崎サウンドは頭にあったが やはりあの頃は 歌詞が字余りでメロディーラインにのせていないでセリフのように歌う辺りが僕には どうも理解不能だった。
つづく。