何を言っているのか分からない哲学者ランキングをしたら、ミシェル・フーコーはおそらく、かなり上位に食い込んでくるでしょう。
フーコーを読んだあとには、フロイトやニーチェが、むしろ分かりやすいことを書いている人たちのように思えてくるから不思議です。
僕の兄の卒業論文のテーマが、フーコーの『監獄の誕生』だったので、僕は本を譲り受けることができました。そして本を読み終わったあとに分からないことがたくさんあったので、「これってどういう意味なの?」と兄に訊いたら
「そんなの分かるわけないだろ。俺、半分も読んでないよ、この本」
と言っていました。彼は一体どんな卒業論文を書いたのでしょうか…。
フーコーの本は理解不能なことがほとんどですが、読んでいてつまらないかというとそんなことは全然なくて、格調高い文章のリズムが心地よく、スリリングで興奮します。
以前バタイユの『エロティシズム』の感想のときも書きましたが、僕はエロスや性について真剣に考えている人を信用し、信頼することにしています。そこに人生の神秘があると思うからです。
フーコーの『性の歴史Ⅰ 知への意志』を少し長くなりますが引用してみます。
『つまり問題は、性についてのある種の知の形成を、抑圧や法という関係においてではなく、権力の関係において分析することである。しかしこの「権力」という語は、様々な誤解を招くおそれがある。その実体、その形、その統一性についての誤解である。権力という語によって私が表そうとするのは、特定の国家内部において市民の帰属・服従を保証する制度と機関の総体としての「権力」のことではない。私の言う権力とは、また、暴力に対立して規則の形をとる隷属の仕方でもない。更にそれは、一つの構成分子あるいは集団によって他に及ぼされ、その作用が次々と分岐して社会全体を貫くものとなるような、そういう全般的な支配の体制でもない。権力の関係における分析は、出発点にある与件として、国家の主権とか法の形態とか支配の相対的統一性を前提としてはならないのだ。これらはむしろ権力の終端的形態にすぎない。権力という語によってまず理解すべきだと思われるのは、無数の力関係であり、それらが行使される領域に内在的で、かつそれらの組織の構成要素であるようなものだ』
フーコーが何をおっしゃりたいのかはよく分からないのですが、熱い意志はビンビンに伝わってきますね!