「あてにするから腹が立つ」とよく言うが、じゃあ何もかもあてにしなければいいんだとなかなかそれを容易に実践することは難しい。
つい人やモノをあてにしてしまい、自分の思い通りいかないで当然のように不愉快になってしまう自らの強欲の怖さと虚しさ。

子供の頃、友達の家のお婆ちゃんが、遊びに行く度に小遣いを100円くれた。
俺はそれがうれしくてうれしくてたまらなかった。
でもそれが5回目、10回目と繰り返すうちに貰えることが当たり前になり、たまに貰えなかった時に自分の心の中に生まれる憎悪にもよく似た不快感。
悲しいかな、人はつい感謝の気持ちや喜びさえも忘れ去り、慣れというモンスターの呪縛にまみれ、何の罪もない相手にさえ怒りを覚えてしまう。

親、友、自然、健康・・・日常に自分の周りに当たり前の様にあると思ってしまうもの。
そしてそれを無くして初めて気付く存在の大きさと自らの心に開く大きな穴。
だから俺は親がこの世からいなくなってから急に後悔や自責の念を抱きたくない。
親の具合が悪くなってから悲しみのフリをしても、それは所詮、自分だけのためにすぎない。
俺もこの歳になってからようやくだが、今は親となるべく連絡を取るようにしているし、休みがある時は実家に帰るようになった。
友にも会える限り会うし、仕事も今は1つ1つに有難みを感じながらやらせてもらっている。

「慣れ」という人間の心の中に潜む甘えに飲み込まれないよう、感謝と初心を忘れずこれからも過ごしてゆきたい。