藤原和博さんの本をもう一冊ご紹介。

宮台真司先生などとの共著で「よのなかのルール」(ちくま文庫)を読んでいたら、まさに「人生の教科書」とあるように、とても勉強になることがたくさん書いてある。

人生の教科書 よのなかのルール/藤原 和博
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しょっぱなの序章の「なぜ人を殺してはいけないのか」という宮台真司さんの章は、なるほどなー、とうなってしまった。


その章の中で「自尊心」について書かれているところがあったのだが、ここのところ、高校生や大学生について思っていることが、とてもうまく整理されていてとてもすっきりしたので、ちょっと紹介したい。


・学校期における思春期的な課題を達成することで、大人社会のコミュニケーションの中で「自分はOK」という「自尊感情」(self-esteem)を得ることができる。他人とのコミュニケーションを通じて肯定され、承認されることで自尊心を養う。


・こうした課題の達成に失敗するとどうなるか

① 他人に承認してほしいあまり、周囲の期待に過剰反応して右往左往する
  AC(アダルトチルドレン)
②他人に承認してほしいが、周囲の期待と自分の能力のギャップが鋭く意識されてコミュニケーションに踏み出せなくなる
  引きこもり
③周囲からの承認がもらいえないことに適応して、コミュニケーションを通じた達成を一切信じなくなるタイプ
  脱社会的


・こうした課題の達成に失敗しない社会にするためには、

(1)自立的尊厳の育成が支援されるようなメカニズムが必要=教育の現場で、自立型の尊厳が養われるような学校システムにするということ。

(2)学齢期に達する前に親を中心とする周囲の大人がどう振舞うかが重要=試行錯誤を繰り返すことで、「失敗しても平気」「怖くても大丈夫」と思えるよう になり、さらなる試行錯誤へ乗り出せる。最初の試行錯誤へ踏み出すためには、幼児期に与えられる「承認」(=無条件で与えられる包括的な受容)が必要。承認を十分に与えられていれば、基本的な肯定感があり、「試行錯誤」へ踏み出す勇気を持てる。

ここでは具体策として

①教育において子どもに試行錯誤の機会を与えることで、失敗や居心地の悪さを人のせいにできず自分でやりなおすしかない制度の導入が必要

②低年齢の段階えは、コミュニケーションを通じた承認の供給を目指す必要があり、児童館が学童保育のシステムを拡充して家に居場所がなくても地域の中に居場所があって承認されるシステムを作るべき


としている。


あー、なんか、日ごろ感じていながら、うまく言葉にできないことを教えてもらった!というお得感がいっぱいです。

特に、外国の幼児番組の「自立」と「相互貢献」を重視する自己決定型の教育、という例表記は「そうそう!」と思ってしまいました。

基本的には、システムを変えるには、段取りやら時間やらかかるから、まずは、親であれ学校であれ、地域の人であれ、子どもに関わるすべての大人が、こうしたスタンスで子どもに接していけばいいんじゃないかな、と思う。


つまり

「何がしたいの?」

「それがしたいならちゃんと自分で伝えないとね」

「でも、それって1人でできないよね」

「誰かに助けてもらうにはどうしたらいい?」

「友達を作らないとだね」

「友達を作るには、気味が魅力的にならないとね。それに、友達がしてほしいことをしてあげないとね」


ということなのだ。


ああ、目から鱗。

引用ばかりですいません・・・。

でも本当に、すっきりしたもので・・・。


子どもに接するときに、

「自立」までは理解があったし、実践しているつもりであったが、自分が魅力的にならないと、とか、友達がしてほしいことをしてあげないと、までは至っていなかった。


きのう、高校の講演だったので、この話を加えた。


「お友達に自分の意見を伝えよう」

「伝えるだけじゃなくて、お友達の意見をちゃんと聞いてあげよう」


と。また


「コミュニケーション能力が高い」ことは「自分の意見を言わずに相手に合わせるのがうまい」ことでは決してないのだよ、と。

「感情制御力が高い」のは「自分の気持を押し殺す」ことでは決してないのだよ、と。

「この人は趣味が何で、どんなテレビ番組が好きなのかを知っている」というのを友達というのではなく、

「この人は、こういう考え方をする人だ、という事を理解しあっている」のが友達なんじゃないかなあ、と。


ちなみに、きのうは、体育館ではなく、場所の都合で食堂のテーブルだったため、中には、最初からこちらに頭を向けている生徒もいた。

だから最初に、


「私はみなさんに、社会人として必要な基礎力のお話をしに来ました。もしもこれが企業の面接で1対1だとして、私に頭を向けますか?これも社会に出る一つの訓練だと思っていただけるとうれしいです」


と釘をさしてみた。


親や先生を含めてまわりにいる大人に、きちんと承認される経験を積んできていれば、いくら授業の一環の講演だからといって、最初から頭を向けるなんて失礼なことはできないんじゃないのかな・・・などと考えながら。

・・・という以上、話の内容で飽きさせない!というプレッシャーが自分にかかるのだが・・・。

結果は、みなさん、かなり真剣に聞いてくださいました。ありがとうございます。


また、先生には、この講演で自分が感じたことを、ぜひクラス単位で、チームに分かれて共有しあい、クラスの他のメンバーにチームごとで発表するといったワークをぜひやってくださいね、とお願いしてきた。

学年単位の講演を1年ぐらいやってきたけれど、やはり、クラス単位のグループワークをしたい・・・と痛切に感じる今日この頃でした。