今日は学校公開日だったので、授業参観してきました。
うちの長男の学校は、1学期に1回ぐらいの頻度で「学校公開日」というのがあって(時に複数日)、この日は、一日中、家族や地域の人が授業を参観できる。(ただし、セキュリティの問題で、受付などが厳しい)
今日は書写(いわゆる書道)ということで、きのう書道道具一式を準備している長男に、
「道具の中身は大丈夫?」と聞くと
「あ、細い筆がとれてるんだよな・・・」
おいおい、今言うのか・・・。
もう夜なのでつきさしてとれないので、
「これでなんとかして」
と急場をしのいでもらった。
で、書写の授業のあと、手を洗って、背中で拭いている。
(ハンカチ持ってきてないし・・・)
算数の時間に先生が
「じゃあ、紙に、名前ペンで書いてください」
というと、筆箱あけてみてあっという顔をして
「先生、えんぴつでもいいですか・・・」
と聞いている。
(名前ぺんなくしているし・・・。)
ここのところ、忘れ物がひどく、言った端から忘れては私に怒られているのだが、授業参観で再認識。
物の管理も、今きちんとできるようにしないとなあ・・・結構母としてはいちいち面倒だが、できるようになんとかせねば・・・。
うちの子の小学校はいい学校なんじゃないかな、とよく思う。
先日紹介した、地域の商店街にみんながお手伝いに行き、さらにそれを学習発表会で発表するという取り組みなどは、なかなかすばらしかったと思う。
ちょっと前には、国語の教科書の絵にふきだしがついていて、そこにセリフを入れるという授業で、最後は、全員が物語りを作り、それを作品集にして配ってくれた。さらに、日記で、その作品集に感想を書くなど、立体的だ。
また、先週は全校集会で学年として大縄跳びを披露するという課題に取り組んでいた。
今は「M小郵便局」週刊らしく、牛乳のふた一枚ではがきと交換できて、それに宛名を書いて、学校の人あての手紙を書いて専用ポストにいれると相手に届くという取り組みをやっている。長男はそれで、1、2年生の時の担任の先生に(来年春出産予定で、3月までは学校にいる)「元気な赤ちゃんを産んでください」と書いて出したらしい。お友達からも長男あてに何枚か来ていた。
ちなみに、この1、2先生の時の担任の先生は、とてもいい熱い先生で、2年生のときに、男の子がちょっと、ふざけて数人で1人をからかっている事がわかったときに
「そういうことはしてはいけません」
ということをクラスのみんなに伝えるときに、なぜいけないかをきちんと伝えて
「もしも、大勢が1人のことをからかったりするようなことが今後またあったら、先生は先生を辞めることになってでも、みなさんを叩いてでもやめさせます!」
と涙ながらに伝えた先生だ。
昨今、「いじめ」という言葉がとても巨大な社会問題のようになってきているが、こうした先生のきちんとした対応や、それを受けて親がきちんとさらに先生の想いを子どもたちに伝えていく・・・ことの小さな積み重ねのように思う。
きのうの日経新聞かなにかの記事にあったが、先生や親を中心に、地域やその他子どもに関わる人達それぞれが、
「当たり前のことに当たり前に対応していくこと」
が大事なんだろうな、と思う。
小学校の時に、校長先生の訓話で
「当たり前のことを当たり前になる人になりましょう」
という言葉を時々思い出す。
さて、授業参観の話に戻ります。
今日の授業を見ていても、盛り上がったり楽しんだりする工夫が見られた。
算数で、「整理する」という事を学ぶにあたって、まずは
「みなさん全員の『好きな○○』を聞きたいと思います。○○は何がいいかな?」
「人」
「えー、オレは恥ずかしくて言えねー」
「あたしもやだ!」
「動物」
「スポーツ」
「じゃあ多数決とります」
でスポーツになり。一人一人が紙に好きなスポーツを書いて黒板に貼っていく。
うちの長男はハイテンションリアクション男なので、私が担任でも、多少うるさいけど、クラスに1人こういう子がいたら便利だよなーと思うだろうな。
「スポーツに決定!やったあ!よし!」みたいなリアクションは欠かさない。
でも、親としては、なんかちょっと恥ずかしいのである・・・。
他の学校は知らないけれど、少なくとも、長男は学校の授業や取り組みは楽しいようだ。
クラスも活気がある。
信頼できる学校に預けている事は、もしかしたらとても贅沢なのかもしれない。