30代未婚男の感想をある研究所の方からいただいた。
選択肢が増えることは豊かさの実感につながるという「多様性」「個性」重視の政策や教育の結果、逆に、決断できない、「選べない」といった結果を招いていないか。
ある人が、バイキングやサラダバーが嫌いで、その理由が、これだけいろいろな選択をしなければならない世の中で、食事の時まで悩ませないでほしい、ということだった。私もバイキングが面倒だと思う1人なのだが、自分としてははっきりとはわからないけどなんだか面倒な、その理由を教えてもらえたようですっきりした。選択肢が多いことが必ずしも豊かではないと思う。
昔のお見合いっていうのは、お見合いおばさんが、自分の知っている範囲での人と人を引き合わせていたけど、「この人でどうですか」といわれれば○か×か決められるけど、世の中に結婚対象はたくさんいるけど、その中で選びましょうといわれると、選択肢が多すぎて選べない。
また、今日は某テレビ局の営業の方とお2人とお昼をご一緒したのだが、その1人の方が
「お見合いっていうのは、人を見る目がある人が、この人とこの人はあうんじゃないかな、と思って紹介していたわけでしょう。恋愛だと、自分ではこの人だ!って思ってもその自分がまだ人を見る目がなくて、結婚しても意外とだめだったりして、お見合いのよさって、人を見るプロが選択してくれるという点にあると思う」
と言っていた。
なるほどー。たしかに、今回取材した仲人さんの1人は、極力自分の知っている人(会ったことがある人)同士を紹介していると言っていたが、たしかに成婚率が高かった。
「この人とこの人ならいいかも!」というのも、一つの専門職、職人技かもしれない。お見合いっていう文化は、もう日本には職業としての結婚相談所とか以外は成立しないんですかね。
もう1人の方は、
「強制的に成人したら親元を離れるっていう法律作ってしまえば、自ずとみんな、それまでには、とがんばって決断力や生活力を身につけようとするんじゃないですかね・・・極論ですけど」
と言っていた。
これについては、うちの小3の息子を見ていて思うことがある。
子どもの時間割チェックや宿題チェックを親がどこまで手を貸すかである。
最初は
「忘れ物をしないように一緒に時間割をして宿題を確認する」
けど、ある段階で
「忘れ物をしてもいいから、本人にまかせる」
段階が来る。
でも、きっかけを逃している親も結構いるように思う。
たとえば水泳があるのに水泳パンツを忘れれば、せっかくの水泳を見学しなければならないという痛みを感じ、その失敗経験から「次は忘れないようにしよう!」と思うのだと思う。
親が、どこかの段階で、突き放さなくてはいけないんだけど。
ちなみに、私は先生に
「忘れ物をしてもいいので、自分でやらせてあげてください」
と去年あたりに先生が保護者会で言うのを聞いて、覚悟を決め、結構本人にやらせています。
でもこれって親の忍耐も必要ですけどね・・・。だってやってあげちゃった方がなんでも楽だもの・・・。
たしかに「成人したら親元を離れる」という目標があれば、自分である程度できるようにと本人もがんばるし、親もそういう前提で育てるかもしれないなと思ったのでした。