職人の世界は基本教えることをしない。体で覚えろ!が基本スタイルだが、技術その前に、その仕事にたいしての精神をわかってないと、ただ間違ったことをやってしまいます。
そういう、「にわか」仕込みの職人が多いような気がします。
何屋さんだかわからない服装で仕事をしたり、言葉遣いや身なりがどうしたものかと。
ラグビーで言えば、ノーサイドを知らないと、対戦相手を敵と言うことで、憎しみを込めてプレイしてしまわないか。僕はそう考えます。
まずはその仕事、学びたい事の精神をわかっていないと、その本質を理解することは難しい。
ですから、「にわか」が現れる。
にわかは、お客様が本能的に見破ります。
あれ、なんか変だな?
やり方が違うような。
本当にいいのかな。
と、言うような。
先ず、教わる側の心構が大前提です。それが儲かるからと言うような、動機が不純であると直ぐにメッキが剥がれていきます。
そう言うことを、僕は父から知らず知らずに学んでいました。
父は大工でしたが、ひとつの理論、美学を持っており、お客様のことを、誰よりも理解し、先回りすること。と、言っていた。
修行時代何をしたか?と一回だけ聞いたことがあり、親方の好きなものは、くっついていれば誰よりもわかる。
それを、言葉で「くれ」といわれる前に用意しておくものだと。
そう言うことが、なるほどと気づくようになったのは最近のことです。
ですから、教えるとは、最所から全てを教えてはいけないものかな?と。
ただ詰め込んでも、一見親切にみえますが、学習者は依存心を育てるだけで、受け身になります。
それは失敗と言う皮肉なことになる。
教わるとは、その興味「何故」「なんで」から始まると思う。
ありがとうございます。