猫に暖められた丸い卵のように。

・マニアックなお話なのですが、
Apple製品には、iPhoneや、アプリのアイコンでさえ、
角が丸くなっていませんか?
角が丸い、四角です。
これは、Appleの気付かないこだわりです。
丸みをもたせることで親しみが湧く。
もしかすると、人は丸みをもったものに親しみを覚えるのかもしれません。
いや、個人的に僕だけかもしれないのですが。
眼鏡でも、丸みを持たせたものは、
柔らかく人が見えます。
だから、現在、
僕は仕事用の眼鏡は丸めがね。
プライベートは、赤いチェックのシャープな眼鏡です。
(あまり、普段は薬剤師に見えないようにしてます。)
・人の好みも、丸みを帯びた人が好きです。
僕らの心は変幻自在にかわるけれど、
猫さんにあたためられた、卵のような、
そんな、角のない、
丸みをもった人って、素敵だなぁって思うなぁ。
攻撃性をもつのではなく(誰しもがもっている感情だけど。)
丸みをもっていれば、お互い衝突しても、
痛くないんじゃないでしょうか?
望み過ぎかもしれないけれど(笑
尖った剣は、怖いですよね。
傷つける事ができるから(怖い事件起きますよね。)
僕らは尖ったものではなくて、
やはり、角の丸い、卵のような心でいたいものですね。
…と、書いているうちに、
お薬も、ほぼ、丸みを(長くても、真ん丸でも)帯びてますよね、
やっぱり、心理的なものでも、
これを口にいれるとき、怖がらないように丸いのかもしれませんね。
そう考えると、丸いデザインというもの、
「丸い」という意味は、結構深いんだなぁって思います。
心も、物も、文章も会話も、お薬も。
そして、それは僕自身にもいえると思うのです。
「丸い」のは、1つのテーマです。
ラララ♪

・言葉にできないことを、
鼻歌なんかで、
「ラララ…、ラーラーラー♪」
なんて、車の中で、口ずさみます。
・僕はおもうのですが、世の中、言葉にできないことだらけなんです。
言葉には限界があります。
けれど、その鼻歌には、
言葉はなくても、なんらかの意味がこめられてますよね。
陽気な気分、気持ちの良い気分、誰かを想ってる気持ち、
悲しい気持ち、嫌な事あった時の気持ち。
その、ラララ、ラーララララ、ラーラーラー♪
のニュアンスで、
言葉以上、言葉を超えた気持ちが、
溢れています。
なにか、言葉がみつからない、
言葉であらわせないものは、
ラララ♪なんて、鼻歌で現せば、なんか、
いいんじゃないかな?
なにか、鼻歌で現している気持ちって、
結構、素直な根っこの部分だとおもうんだけどなぁ。
大切な事は、ラララ♪なんですよ、たぶん。
強引に言葉にしなくてもいいんじゃないかな。
そう、今日、僕が伝えたい事は、
ラーラララ♪ラーラララ♪ラーララララララ♪
ネガティブ。

・基本的にネガティブな僕は、どんどん悪い方向へ考えていく事が多いです。
まぁ、長年の知り合いはご存知の通り(笑
・自分の軽率な発言や、言葉が、
誰かを傷つけていないだろうか?
あるいは、
ちょっとした、相手の言葉にすごく不安を覚えたり。
夜ねられないほどでは、ないけれど。
・たとえば、デートの場所なんか、
下調べまですることも多い
営業時間、雰囲気とか…。
(そんなに機会はめったにないですが、しくしく)
・「疲れるでしょ?」って、よく言われます。
疲れます、ほんとに。
でも、何歳になっても、変わんないんだよね。
時々、誰も知らない小さな温泉地に隠居したくなるときもあります(マジで。)
・でも、そういったネガティブな闇の中に、
光が灯ると、
その光は僕を照らしてくれます。
それは、太陽の光が地球に届くより、速く。
僕の心に感じられる事もある。
それは、救いだよね、ほんとに。
様々な人に助けてもらって、なんとかやっています。
そこは、感謝の気持ちでいっぱい。
だから、ジャンプするんだ、明日へ。
昨日の肌着は脱ぎ捨て、シャワーを浴びて、
リセットして、明日へ。
そう、明日へ!!
Pain.

・今までの恋愛や友人関係において、
僕は、すごく傷つけられたり、
ひどい事をいわれたこともあります。
今でも、その傷はうずくことは、あるし、
その時は、本当に身体が自分ではないような、
自分の中の大切な部分を損なわれた気分になります。
それは、何年たっても、忘れられないものです。
どんな、痛み止めの薬を飲もうとも、効きません…。
・けれどね、
その痛みで、逆に誰かも痛みがわかり、
そして、そういう経験があるからこそ、
誰かを意識的に、あるいは、無意識に、
傷つける事が(完全とはいえないまでも)少なくなるのではと思います。
そりゃ、痛み自体はつらいことだし、
無傷でなんて生きてはいけない、
でも、良い側面も、嫌な事には少しだけ隠れていると思います。
・それによって、またより深く、
人を愛せることも、いつかできるんじゃないかな?
とも思います。
(少々、恥ずかしいけれど。)
そして、それは、きっと、世知が無い世の中の中で、
素晴らしい事なんだ。
そう、思うんだ、最近。
本当に。
おそらく、
たぶん、
いや、
きっと…。
今日のハタマロ:天文学好きな僕ですが、今日は見逃しました。
平安時代以来ってことは、平安時代の人達は、
どう思ったんでしょうか?興味深いですね。
そうです、考古学にも興味あるんです。
夢の分量と、カーディガン女子。

・最近、「夢」の分量について、よく考えます。
割と、若い頃は野心が多くて、
なんかすっごい大きな事ができれば、
なんて、大それたことを考えていました。
けれどね、「夢」の分量は小さくて、
少し、手を伸ばして、準備をおこたりなくやっていて、
今の自分と、なにかしら繫がっている、
地に足がついた、そんなものが、
(時には、嫌な事も経験しなきゃいけないし。)
良いなぁと思うようになりました。
・ダイエットだって、15キロ減よりは、
1キロでも、2キロでも、減れば、
それは、理想の自分に対する「夢」の実現だし、
それだって、減らす為の努力をしているんだから。
変なサプリメントで、劇的によりは、
そう、自らの努力で、少しずつ達成していく、
そういう、営みをしていきたいもんですね。
これも、先は長いです。
「夢」は「現実」とある種、つながっていなければならない。
・でもね、僕は「偶然」「運命」というものの、必然性は信じてるんだ。
偶然を呼び起こすには、やっぱり、
なにかしら、日々、分量の小さい「夢」で、
みんな、がんばってるんだからね。
いつ、起きるかは分からない、けれど、
だからこそ、日常を大切に頑張っていく事が大切だよなぁ。
今日のハタマロ:スーツより、
カーディガンの似合う女性は、すごく素敵だと思う。
いや、その…、最近、街行く人のカーディガン女子に目がいくもんだから…。
音符と手拍子。

・たいしたことは、していないんだけど、
毎年、この時期、
知り合いが運営している、ダウン症の障害を持った子供達のコンサートにいっています。
(こういった表現は、僕はあまり好きではないのだけれど)
一生懸命さ、そして、楽しくやっている姿が、
こちらまで元気を頂きます。
今年も、案内がきて、僕はすごく楽しみにしています。
「楽しみっていっていいのかな?もっと、真摯にみなければいけないのかな?」
と、僕はふと、運営の方にいいました。
運営の方は、
「楽しんでいいんです。純粋に。それが、なにより子供達は喜ぶことだし、
子供達は同情よりは、楽しんでほしいと感じています。」
いろんな、意見はあると思うのだけれど、
僕も、そう思いました。
・同情と、コンサートでの、楽しむ事による共感は別のものだと思います。
同情は、相手の感情を共有するのではなく、
自分自身に生じる感情だと思います。
共感は、相手に感情を自分がイメージし、共有することとも思う。
・いいかえれば、子供達の「音符」を音に変える作業を、
耳にいれて、素敵な音楽だなぁ、
なんだか、楽しいなぁと、
自分自身も音に共感して、
心から、楽しめれば良いと思う。
そこに、音符が入っても、自分自身が、
フィルターを持って、聴いたら、
それは、共感にはならないだろう、たぶん。
それは、同情なのかも…。
・同時に、患者さんとお話していて、
本当に気の毒だなぁという、
同情心が、時にはでます…。
けれど、それは、僕自身に生じる感情で、
患者さんの感情をイメージし、共有していることには、
ならない気がする、
・もっと、考えるならば、共感していき、
具体的に、子供達でいえば、音楽に共感するように、
そして、心から聴いて、拍手をするのと同じように、
いわば、メロディと手拍子が、かさなるような♪
そんな、患者さんになにが具体的にできるかを考えていけるようになれたら。
そんなことを思う、この頃です。
とりあえず、コンサートを楽しみにしています。
子供達とリズムを会わせた感じで!!
今日のハタマロ:たまには、キャラをかえて、チャラ男キャラに
なってみようかな♪
…できないですね。
すいません。
シワワセ。

・人のシワが、好きです。
もちろん、増えていくと嫌だなぁって思う人も、
いるかもしれないけれど。
・シワは、その人の年輪、
喜怒哀楽、今までにあった悲しい事も、大変な事も、
そして、ささやかな嬉しい事、笑った事も、
詰まっている気がします。
だから、僕は素敵なシワがある人を、
あるいは、ふと見せる笑顔のシワをみると、
すごく、ふくよかな気分になります。
・薬局で働いていると、患者さんの一人一人の
シワに、いろんな人生を感じる。
いろんな経験や、思い出の数だけ、シワがある。
プライベートでも、
経験的に、この人のシワ好きだなぁって思う時は、
僕は好感を持つことが多いです♪
・なぜ、そんなことを思ったのかというと、
ジブリの「おもひでぽろぽろ」を見ていて、
人物のシワが、すごく良く、素敵に出ていたからです。
村上春樹さん「ノルウェイの森」では、
最後に、レイコさんの、シワがすごく素敵に、描写しています。
・いいですよね、精一杯のシワ、
いろんな、経験をした、シワ。
「シワワセ」とは、そんな
部分に少し含まれてるのかもしれませんね♪
ほんとに。
潜水、深海。

・昔は、割と多くの人に理解してもらえたら、
いいなぁ、なんて、
僕は、大それたことを考えていた気がする。
あるいは、少しでも、
自分をよくみせたい、
そんな気持ちがどこかにエゴとして、
あったのかもしれません。
・でも、僕は元々、
そんなに、いろんな人にいい顔はできない人間であるし、
そういうことをしてると結構疲れます。
それよりは、深みというものかな。
船でたくさんの、港を旅するよりは、
潜水艦で、深海まで、
潜ってみたい、潜水してみたい、
そんな、感じでしょうか。
それは、自分の内省をしたい気持があり、
他の人を理解するためには、
あるいは、生きるうえで、成長していくには、
それが、退化か、進化か、わからないけれど、
必要なことなのかもと思います。
・広々とした海原には、いろんなものがあるけれど、
それは、表面的なことが多く、
深海の底には、
醜いものや、みたくないこともあるけれど、
底からみえる、太陽の光はまた、
陸地とはちがう光が感じられるのかもしれない。
光と、闇、相反するものを感じるには、
どこか、潜っていかなければ、
いけないのかもしれません。
・みたくないものも、見なきゃ良かったってことも多い。
でも、それって、人間関係でも、
そうかもしないなとも、ふと思う。
陸地だけでなく、
潜っている過程で、誰かの心に深く触れ合うことは、
素晴らしい事で、
そして、すごく大変な作業だから。
・悪い部分や、奥底に抱えてる部分、
良い部分や、表面的な部分、
それを、ひっくるめて、
「人」なんだと思う。
Mixtureされたものなんだよな、僕らは。
だから、潜って、潜って、
生きている事を実感する。
深海にある、ごく限られた人の「物語」あるいは、「心の部屋」
を理解してみたい、できることなら。。。
広さより、奥行き、深さが、
僕が、興味があることです。
今日のハタマロ:いつか、オーケストラ聴きたい!!
母の日。

・母の日のプレゼントとして、
新潟の家族旅行をしました。
正月と同じ、上越の、湯の浜温泉。
お米とお刺身がおいしかったです。
・また、僕は、浅間温泉に住んでいるせいか、
「おもてなしの文化」にすごく興味があります。
旅館のおもてなしは、とても良かったです。
日本の大切な文化ですよね、「おもてなし」の心。
学ぶ部分は数多くあります。
海は長野県民にとって、非日常の世界です。
見るだけで、海は広いな、大きいな♪
を口ずさんでしまいます。(笑
母は少し疲れたみたいだけど、
気分転換になっていれば、良いなぁと思います。
正直にいえば、気疲れしてしまうのでは…とは、
心配は少ししていましたが。
料理と温泉で癒されてていれば、いいなと思っています。
なにより、家族団らんは、大切だと思います♪
・僕もひさびさに、美味しいものと海と、
ノンビリできて、リフレッシュできました。
これが、また思い出として1つ残っていけば、良いなぁなんて思います。
思い出は、積み重なるもの。
思い出したら、思い出になるのです。
そんなものが増えてけばいいですよね♪
特別な日。

・今日は、高校時代の親友(というより僕の生涯の数少ない親友の一人)
の命日でした。
毎年、この日は実家に伺い、
お線香をあげ、
カーネションをお渡しして、
親友の母と談笑します。
たわいもないこと、近況なのですが、
お茶を飲みながらお話して、
そして、線香をあげ祈ります。
強く。
深く。
いろんな想いをはせて。
・亡くなったのは2000年の5月11日。
バイク事故でした。
G.Wは、お互い大学から帰省して、
松本で、近況を話しあいました。
その年の、G.Wも、
いっぱいしゃべったなぁ…。
就職する年で、お互い考える事が多かった気がします。
だから、訃報をしったとき、
信じられなかった。
あいつは、なぜ死んだんだろう?
そんな問いは、今でも、
僕に残っています。
・福祉に関心をもち、実際に行動していました、
純粋で照れ屋で口が悪かったけれど、
僕が弱った時は、いつも彼は近くにいてくれた。
俺は、おまえと友達になれて嬉しかったんだよ、
そんなことを、酒の席でいわれてすごく嬉しかった記憶がある。
弔辞は、あまりに悲しくて、ほとんどお別れの言葉にならなかったのが、
今は、悔やまれます…。
そして、最後に会った時、なにか気付いてやれなかったのかと…、
正直、今でも思います…。
・親友の母としゃべっていた時、
これからの、自分について、
「もし、自分もいつか死んだ時、むこうで、
あいつに、おまぇ、がんばったなぁ、お疲れ!!
って言われる人生が理想です。」
と、言葉がでました。
今までは、やはり悲しいことしか言えませんでした。
でも、今年は違いました。
・10年以上たって、出た僕の、実感がそこにあります。
僕は帰るとき、仏壇で祈りました。
たとえ、周りにいろいろ言われても、
たとえ、困難な道が僕を待っていても、
たとえ、灯りが見えず迷いに苛まれても、
むこうで会ったとき、おまえにがんばったよなぁ!!って、
言われるような人生をおくるよ、
またな!!
来年、またくるからな!!
つまり、今、思う事は、そういうことだ。
言葉にうまくできないけれど。