ふつう考。 | hatamarog

ふつう考。

ふつう、これほどの、褒め言葉は、

ぼくは、ないと思います。

生きる上では、揺らぎの上に、人は生きていくものですが、

ふつうの中にいる、という認識があれば、

人は、安心できるのだと思います。



だからこそ、数ある、プロダクトは、

ぼくは、ふつうのものを、好むのかもしれません。

白シャツ、ジーパン、ジャケット。

スタンダードがあれば、シンプルであれば、

存在として、ふつう、信用できる印象を、自分がふつうであるという認識を、

確認できるからです。



では、ふつうでないものだから、いけないのか?

違うと思うのです。

私たちは、なんらかの病んだ心や、歪みをもっています。

それは、だれでもそうですよね。

その歪みは、時には、ふつうを、変えますし、

ふつうの定義自体、時代が変われば変わります。

ぼくらは、その歪みを、感じながら、なおかつ、

自分の中のふつうを、見つけなければなりません。

右往左往するにしても、その中に、

答えがあります。

あなたの、ふつうは、これですよ、と。



歪みを、感じる、というのは、

疑問から、はじまるかもしれません。

これは、やるべきだったのか?

これは、正しいことなのか?

だれかを、傷つけていないか?

その疑問が、じぶんのふつうを揺るがせ、疑問を、1つ1つ咀嚼して、

あらたなふつうが、生まれる。

つまり、ふつうの事、は更新されていくのではないかと思うのです。



時代が、かわっても、そのふつうを、見つめ直す作業は、

仕事でも、人間関係でも大切かと思います。

ふつうの事は、ふつうを再定義しないと、えられない。

ふつうは、難しい、ふつうを感じるのは、難しい。