発達障害の双子が扉を開けようとしているもの
こんにちは。今日も来てくださってありがとうございます。
幼稚園、小学校、中学、高校、大学、専門学校、会社、自営、専門職、それぞれの段階、ポジション、時期がありますね。幼い時には、世界も小さく、周りにいるクラスメートも幼い時には、あまり発達障害の子供と変わらない反応です。
嫌なことがあれば泣くーASDにとっては
ー予想外のことに驚く
大きい音がすればびっくりするーASDにとっては
ー耳が痛い
ぶつかったら泣くーASDにとっては
ーちょっとした痛みではなく、とても痛い
叱られたら泣くーASDにとっては
ーもっとも苦手、、自分を責める。
一見同じ反応なのですが、、、もっと悲しみ?痛み?辛さ?は深い。。。ここで障害を見逃してしまうことがありますね。。きっと。
それが、だんだん高学年になると顕著に周りと違ってきます。
周りは泣かなくなる、、でも彼女たちは泣き続け、ショックを受け続けます。
これが中学になると、周りと違う反応を隠そうとします。で、我慢して、我慢して、ストレスが溜まり始めてしまいます。違ってもいいじゃないか なんてその時には思えないほど、12歳前後は、友達とか、グループとか、仲間外れとか、そういうことが学校内では辛いので、カモフラージュをし始めてしまう。違っていい、、なんてことは、その時、その渦の中では思えないし、それでは、学校生活はうまく行かない。。。。
これが彼女たちの中学時代でした。
疲れ切って、納得できなくて、が続き、首の皮一枚残して?卒業しました。
それから時間が経ち、だんだんとカモフラージュ、いわゆるマスキングをしなくなってきています。
Nはイギリスで演劇科に行っていましたが、学校では根気強くニーズを伝えて、学校で定期的に行われる火災報知器や、非常ベルの時には、よく彼女をわかっている先生がサポートをしてくださるようになりました。
授業中に大きな音が出ることがある場合には、あらかじめそれを伝えてくださる、楽屋も静かなところに分けてくださる、
クラスメイトも、いつ発言をしたらいいかわからない彼女に注意を払う、パーティの時には、静かな部屋を用意してくださる、など、障害に対する理解やニーズをわかろうとしてくださったようです。
それは、Nからの働きかけがあり、ニーズを伝えた結果であり、学校がそこにしっかり向き合ってくださった結果です。自閉症研究の先進国イギリスならではのことなのかもしれませんが、これは、車椅子に対するスロープと同じように、日本でも教育のチャンスを与えることに対して求める方も、受ける方も積極的であってほしいと思います。
発達障害に最初から理解があり、積極的に動いてくださる高校もありますが、いわゆる偏差値の高いところは、単一的な生徒たちを求めている感じがしました。彼女たちの受験から、20年ほどたった今は、もっと門戸が広くなっていることを望みます。
心から望みます。