長期入院で始めたことー学校で不得意だった科目
今日は、音楽でも双子の話でもありません。
私の話です。
学校の成績って今でも覚えていますよね。
あれが、嫌いで成績も悪かった、、これは得意だった、これは好きだったけど、成績は悪かった。
きっとさまざまな思いがあると思います。
学校の成績って、その子の才能や、得意とは、全く関係ない数字を叩き出すことがあると思います。
私の出身した小学校では、、
漢字をよく覚えていれば国語の成績はOK。
年号をよく覚えれば、社会の成績はOK。
音楽は、自分でも得意だったので学校の評価と自分の気持ちと連動していました。
体育は、無器用とよく親にも言われており、これまた気持ちと連動していました。
今、一番ギャップを感じているのが美術と国語です。
今でも覚えていることがいっぱいありますが、、
小学校の頃は、「図画工作」と言う授業でした。
何をやってもダメ。楽しいはずなのに、、と思ったものです。
精密さが必要な工作では、大雑把な性格が災いして 出来上がった頃には、あちこちイビツ。
写生も同じ、最後の方には辻褄が合わなくなる。
あまりにひどくて、夏休みの宿題は、母が。私は背景の色だけ塗りました。先生の言う事にゃ、、「バックの色だけよくないね」
楽しかったのは、、表裏が違う色の工作紙、その色の取り合わせが本当に好きでした。
黄色の裏が グレー
ピンクの裏が 紫
赤の裏が 青
など、何色もありましたが、それを何度も何度も眺めては、いいわあ、、この色って喜んでいました。
この「色」が好き、、、は 母の刺繍糸の見本、毛糸の見本をじーっとみているのも好きでした。
でも、肝心の絵はからっきしダメ。本当にダメでした。
そして双子がお腹の中に入ってから、この子達が生まれた時に、象を描いたつもりで、、カバ??とか言われたら悲しい。。
そう思って、いきなり始めたのがお絵描き。
その時から20年ほど経って、、こんな絵、あんな絵を描いて今年は11回目の個展を開くことになります。
学校の成績は、学校の先生のやり方にあっているかどうか?で決まる気がします。
自分で楽しんでできれば、成績なんて、、、ね!1
発達障害も、こういう人、こうあるべき、こう社会に対応すべき、なんてこと、人それぞれ。
得意なところ、好きなところを伸ばしたい、、そう思います。