ラジオ深夜便1月5日 ジャパニーズポップス 浅川マキ 孤高のシンガー&ソングライター
リアルタイムでは知らない人だが、昔、FM「サウンドストリート」で甲斐よしひろが暫し取り上げていたので、名前だけは知っていた。その時は暗い印象しか無く、あまり好きになれなかった。
姐御と言うべき、時にドスの効いた低音のボーカルで、淡々と、語るようにささやき、気怠くうたう。その表現は忽ち辺りを圧倒したであろう。
寺山修司に見出され、アングラ文化に咲いた徒花
。いつも黒服に身を固め、タバコを吸いながら捨鉢に歌っていた印象。
フォークでもない、シャンソンとも違う、浅川マキでなければ体現出来ない、唯一無二の独り芝居を見聞きするようだ。2010年1月17日、神戸でライブを済ませて宿泊先に帰った。翌日、部屋で冷たくなっていたと報じられた。事件性はなかったらしい。ヒートショックだったんだろうか? 62才。残された録音から彼女の世界を疑似体験してみよう。
1.夜が明けたら デビューシングル。69年。
夜が明けたら 一番早い汽車に乗って、あの街へ行くのよ、ボソボソと呟く中からギターが鳴りだし、
浅川マキのドラマが開始する。わりといい街だったけどね、あたし行かなきゃならないの… 既に流れ者の宿痾を背負っている。人生、無常。すべからく、この世はさ、何もかも、変わるもんさ…
2.ちっちゃな時から 70年。幼馴染の女性が、他の男性と結婚すると知った男性の、絶望を歌う。
後拍にアクセントを付けた逆符点のドラミング、
エレクトーンのオブリガードがひゅわん、ひゅわんという金属的な響きで重なる。この時代らしいサウンド。
3. 港の彼岸花 サードシングル。71年。作詞は浅川となかにし礼の共作。浅川は社会の底辺で喘ぐ人たちに向き合い、憐憫の眼差しを向ける。
すべて達観し、状況を突き放した感じがする。それでいて、人間なんてさ、こんなもんだよ、しょうがないね、と言いたげな、諦めが横たわる。間奏のハーモニカが寄り添うように謳う。何とも刹那の味。
4. 朝日のあたる家 (朝日楼) 元はアメリカ古謡。
浅川がオリジナルの日本語詞を付けた。
客席のざわめきを縫って、ギターのイントロが立ち上がり、浅川マキの感情を押し殺したヴォーカルが圧倒する。あたしが着いたのは ニューオーリンズの 朝日楼という名の女郎やだった
苦界に身を堕さざるを得なかった女性が
自身の悲哀を淡々と語る。浅川の歌を借りて。
叫ばず、泣かず、感情に陥らず、歌う。
それが却って、逆らえない
凄みを醸す。真骨頂。
5. セントジェームス病院 73年6月のライブから。間奏のトランペットは、南里文雄という、戦前から活躍した名手だそう。1910〜75
亡骸に会いに行く、セントジェームス病院へ。荒れた画質のようなドスの効いた声が刺さる。
差別、貧困が常にテーマにある。報われないかなしみと理不尽さを、訴える。声高でなく、静かに。だからこそ、纏わりついて離れない。
6. 重い歌が続いたので、軽快な歌でひと息つこうか。「こんなふうに過ぎて行くのなら」
アルバム、 裏窓から。作詞は浅川を発掘した寺山修司。川沿いのケバいネオン街(やはり)の女性。シンプルな4ビートに、いつかまた誰かと出会うだろう、と呟くように歌う。まさに一編のショートストーリーであり、独り芝居。3:00台、夜更けにボリューム絞って聴いた。妙に心地良かった。
最後 7. かもめ 夜が明けたらのB面。両A面にしてもよかった位のインパクトだが、それじゃヘビー過ぎて疲れるわ。 港でモテモテの浮気女に惚れた船乗りが、ナイフで刺殺してしまう話。うらぶれ、裏切り、絶望、侘しさが3拍子のリズムに揺れる。
煙草とハイヒール、どぎついマスカラに鮮血の痕。
かもめのように新天地へ渡りたかったのだろうか?
凄い表現者がいたのだな… 衝撃に撃たれた1時間だった。