先日、NHKのTVドラマを見ました。
「家で死ぬということ」という番組でした。

実の娘が東京へ来いと言う。
東京には医療設備も充実している。
介護設備も充実していると言う、でも母は嫁いだ家を離れようとはしない。
そこには嫁いだ思い出、いまでは懐かしく思える姑のいじめに合わされた思い出、子育て、村の衆と共に茅葺屋根を葺替えた思いで、色んな思い出の詰まったこの家を離れたくない。
病院では死になくない。
終焉を思い出の一杯詰まった家で終わりたいと願う一人住まいの老婆の日常生活を通じて終の棲家とは、を問いかける番組でした。

誰もが求めてやまない家、それは大きい家、豪華な家であったかもしれない。
一方で起きて半畳寝て一畳という禅語もある。
終の棲家には生涯生きてくれた自分の身体へのご褒美として小さくてもキラリと輝く本物のダイヤのように本物の、自然と共生した住みか、思い出の一杯詰まった住みかが終焉の家ではないか、と問いかける番組でした。

終の棲家となる家。
 人は生まれる場所は選べません。
 しかし、住む場所は選ぶことができます。 
そして死ぬ場所も選べます。 
「終の棲家」は、そこに住む家族にとって最高の家であるべきものだとTVは訴えていました。

住宅を提供している立場として終の棲家とは、じっくり考えさせる番組でした。


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