夫の作った

先日のお昼ご飯


美味しかったですニコニコ




毎日見ている

NHK朝ドラで


夫の罪を

長年つけていた妻の日記から

夫は無罪であると家族が

確証する場面があった。





私の父は

46歳で事故で

亡くなったのであるが


若い独身時代から

亡くなる前日まで

日記は

欠かさずつけていた。


淡々と

農業のこと

日雇い仕事の事

家族の事

地域の事


どんなに疲れていても

文字が読めないほど

フラフラな字になってても

書き続けた。



先日


父の日記を読む機会があり


それは

昭和38年のもので


私は小学校1年生の時である。




今でも覚えている

その日


私は学校に行きたくなくて

相当ぐずっていた。


それも

姉二人が

何かの理由で

休むこととなり


当然


私だけ学校にいくのは

嫌でたまらず

ごねていた!



それを

父はなだめすかし

スクーターに私を乗せて

学校へと走った。


その日は

校庭ですでに朝礼をしており

私は

恥ずかしい気持ちを

飲み込んで

皆が並ぶ列に加わった。




ここまでが

私の記憶






父の日記には



昭和38年

某月某日 月曜日


先日来から

胃腸の調子の悪い父は

家にいて


どうやら家族中

調子が悪いらしく

姉二人も

それぞれに学校を休み



元気であった三女の私まで

学校を休むと言い出し


駄々をこねていたが

スクーターに乗せて

学校まで送っていった




とのこと。








あの時の記憶


私だけでなく

父も覚え書きとして

日記に書いていてくれた。





三人姉妹に

末弟の

四人の子供がいて


多忙な毎日で

子供にかまっている暇はない


そんな中


気にかけて

一生懸命育ててくれた事


私の中の宝物として

大切にしまってある







他にも




私の記憶と

父の日記とが

一致する日常の出来事が


いくつも出てくる







私はというと

残念ながら

日記はいつだって

3日坊主泣き笑い




子供たちに残してやれるものは

私が楽しんで生きている

という姿だけ


そして


子供たちに何かあった時

羽を休める場所として

母船としての

存在でありたいと

思うのですニコニコ