神女と女神 | 哈台族@元祖の台湾中国語&漢字よもや話し

神女と女神

漢字の恐ろしいところは前後を入れ替えただけで意味が全く変わることがあるということ。例えば「会社」と「社会」なぞは、欧米人からしたら何故にそこまで意味が変わるのといいたくなるような世界だと思います。


中国語に同じような例で「神女」と「女神」といものがあります。日本語だとどちらも「神の女」という意味になってそれほど大きな違いはありませんが(神女にはカササギの意味もあることがあります)、これが中国語だと全く違う意味になります。女性に対し「妳是我的女神」と言えば相手もまんざら悪い気はしないでしょうが、「妳是我的神女」というと場合によっては張り倒される可能性もあります。実は「神女」には売春婦というマイナスとしての意味があったりします。


神女が何故そのような意味を持つに至ったのか、調べてみると戦国時代にその由来がありました。赤帝の三女の瑤姫という女性がおり、才色を兼ね備えていましたが、嫁ぐことなく早世してしまいます。それでもそんな女性だからでしょうか、死後は巫山の神に封じられ、早朝は雲霞に、夕方は時雨として巫山をさまよっていました。


その巫山に楚の懐王が訪問した際のことです。夢の中に神女が出てきて「聞君遊高唐、願薦枕席」と言いました。ここで言う「薦」とは進むという意味で、願わくば同衾したいという意味になります。さてこのようにして結ばれた二人ですが、瑤姫は山に帰ることを懐王に告げ、朝は雲霞、夕方は時雨の姿で現れると言って去っていきました。懐王はそこで夢から醒めて巫山を見てみると瑤姫が言ったとおりの風景が広がっており、懐王は「朝雲廟」を建てて瑤姫を偲んだという故事があります。


自ら同衾を願ったことから、その意味が派生して「神女」に売春婦のような意味が付されるようになりました。ちなみに瑤姫の姿である「雲雨」という言葉も「雲雨之事」や「翻雲覆雨」と表現すれば、男女の関係という意味で使用されます。


勿論「神女」にも仙女としての意味もありますし、文脈によってはそちらの意味で使用されることもあります。ただしあらぬ誤解を招かぬためにも、仙女と表現したくなるような美人を表現するときは「女神」を使用したほうが無難です。