1960年代から1980年代にかけて、短歌、詩、映画、演劇など多くのジャンルで活躍し、47歳で亡くなった寺山修司。
没後38年経った今も多くのクリエイターや映画監督、若者たちに影響を与え続けています。
そして、寺山修司は大の競馬好きでした。競馬をテーマにしたエッセイなど数多くの作品を世に送り出し、「言葉の魔術師」という異名を持つ寺山の手により、競馬は文芸にまで高められたと言われています。1970年代に一世を風靡したアイドルホース・ハイセイコーを詠んだ寺山の詩は、今でもファンが多い作品です。
ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない ハイセイコーがいなくなっても 全てのレースが終わるわけじゃない 人生という名の競馬場には 次のレースをまちかまえている百万頭の 名もないハイセイコーの群れが 朝焼けの中で 追い切りをしている地響きが聞こえてくる
思い切ることにしよう ハイセイコーは ただ数枚の馬券にすぎなかった ハイセイコーは ただひとレースの思い出にすぎなかった ハイセイコーは ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった ハイセイコーはむなしかったある日々の 代償にすぎなかったのだと
だが忘れようとしても 眼を閉じると あの日のレースが見えてくる 耳をふさぐと あの日の喝采の音が 聞こえてくるのだ
■プロフィール
1935年青森県弘前市生れ。県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。早大教育学部に入学(後に中退)した1954年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真、競馬エッセイまで、活動分野は多岐にわたる。とりわけ演劇には情熱を傾け、演劇実験室「天井棧敷」を主宰。その成果は国際的にも大きな反響を呼んだ。