大好きな 滋賀県
特に好きなのは 。。。 彦根市
やっぱり 見なきゃね
国宝 『 彦根城 』

関ヶ原の戦後 徳川家康の命を受けた
井伊直継と直孝が 20年の歳月を
かけて築いた。
完成は 元和8(1622)年
その後 彦根藩は三十万石となり
開国政策を推し進めた
大老 井伊直弼を排出している。
城内には 入母屋の屋根に唐破風を付けた
三層三階の 国宝天守(現存)のほか
太鼓門櫓 天秤櫓 西の丸三重櫓 など
重要文化財の建物が数多く残る。
大手門橋を 渡り ・・・
内堀 の 石垣
石垣の上は “ 鐘の丸 ”
今回は 天守閣には行かず ・・・
旧西郷屋敷 長屋門
あ
向こうに ・・・
お城 ・・・ 見えますか
京橋口 の 石垣
京橋口 から 夢京橋キャッスルロード へ ・・・
振りかえり ・・・
中堀 の 石垣
“ 江戸時代の城下町を 再現した通り ”
白壁・黒格子の町屋風のショップや食事処などが軒を連ねてます
三成の暖簾につられ ・・・
三成が ・・・ どこにも居なかったよ~
と ・・・
表のショーケースに いました
女のような 三成が ・・・
今回の 目的のひとつ
浄土宗の寺 “ 宗安寺 ”
。。。 朱塗りの表門 (赤門) 。。。
もと 石田三成公の佐和山城の正門で
慶長8年(1603)に 移築したものです
元禄14年(1701)の大火で 唯一焼け残ったそうです
4年前に見たときは もっと赤かったのに ・・・
内側から ・・・ 初めて入りました
馬に乗って入れるよう 高さがあり 敷居がない
。。。 本堂 。。。
もと 長浜城御殿であったため
間口が広く(十二間) 屋根の低いことや
欄間 ・ 釘隠しなどに 桃山建築の
遺構が伺われます
本尊は もと秀頼の母淀の念持仏
大阪夏の陣の際 持ち出されたと
伝えられるそうです
。。。 あかもん夢観音 。。。
万霊供養の願いを込めて 平成7年造立
高さ1.4メートル 御影石の観音像
。。。 地蔵堂 。。。
本堂に向って 左側に位置する
彦根藩士の眼病を治した といわれる
木ノ本地蔵尊のご分身 および
地廻りの二体が安置
現在は 水子供養のお地蔵様として
参拝されている
この地蔵堂の前には 木村重成公の
御首をくるんだ 血染めのススキが生えてるそうな
。。。 行者堂 と 鐘楼 。。。
“ 行者堂 ”
修験道の開祖で 不思議な神通力を
そなえられた奈良時代の行者 役小角神変大菩薩
が祀られ 行者講によって守られている。
江戸期には 朝鮮通信使の宿舎になったいたらしい。
“ 鐘楼 ”
1707年の再建で 梵鐘には1708年の銘がある。
“ 書院 ” の案内
行くでしょ
というか ・・・ これが目的です
でも、本堂で法事を済ませた方が 書院に入られてる
え~ぇ
入れないの~ォと ・・・ ウロウロしてると
年配のご夫婦が 入いられてるのを見つけ ・・・
持務所へ ・・・
「 千体仏 見たいんですけど ・・・ 」
「 千体仏の奥の部屋から使われてますので 見れますよ 」
やった~ぁ ヾ(@^▽^@)ノ
で、300円のところを 「 100円で良いですよ 」
って ・・・ ラッキ~ィ
ありましたよ
キンキラキンの 3cmほどの仏様が ・・・
1 ・ 2 ・ 3 ・ ・ ・ ・ と
数え始めたけど あきらめました (゚_゚i)
しゃしん ・・・ 写真 ・・・ と、 携帯を ・・・
と、横の方に 「 仏様は写真を撮らないでください 」
そりゃ そうだ
“ 千体仏 ”
石田三成が 母の菩提を弔うために
佐和山城下に建立した瑞岳寺に安置されていたが
今は 宗安寺に安置されてるとのことです
その おとなりに “ 石田地蔵尊 ” がおられました
すごく ・・・ 凛々しいお顔です
この地蔵尊は はじめは顔の表情はなく
ヌベ~ッとしてたそうです
でも慶長5年(1600) 10月1日
三成が 京都 六条河原で斬首され
三条河原に 首を晒されていたときに
地蔵尊の お顔に 目や鼻や口が
浮かんできたそうです
そのお顔が三成公に そっくりだった ・・・ と、
そうなんです
このリンとした お顔こそ 三成さまなのです
思わず ・・・ 両手を合わせ 拝んでしまいましたとさ
お写真が 撮れなかったので
入口 近くに居られた この方を ・・・
パ ・ チ ・ リ
で ・・・ 今回は お ・ し ・ ま ・ い
次回 ・・・ つづきます